Hello everyone
Noriです!
テキストでお伝えしている、海外に住んで分かる「日本人がすごい理由」。
今回は「日本には大和魂がある」ということをお話したいと思います。
ヤマト魂とは何か
ヤマトナデシコとか、大和魂、大和の心、何でしょうね、大和魂って。
大和魂っていうのは、なんかこう右翼的な発想になる人も多いと思いますが、決してそうではないんですね。
日本人ってやっぱりこの島国でずーっと暮らしてきて、どう考えても、我々の遺伝子って、お隣の人とも重なってるんですよ。もうね、10代遡ると1000人、20代遡るともう何十万人とか、もっとかな、ちょっともう計算できないぐらいすごい人数なんですよ。
それもっと遡るとなると、絶対どっかで遺伝子重なってますよ、私たちその辺の人と。
どこか途中で朝鮮とか中国から来た人以外はね。
九州・長崎あたりの話
ですから、九州とかだと西洋人、長崎あたりだともうちょっと混ざってるでしょうし、私もちょっと親戚でね、父親の妹さん、おばさんなんですけども、ちょっとね、外人みたいな顔してるんですよ。
私自身にはその感じは出ませんでしたけど(笑)、ちょっと体型で、ふくらはぎの太さ及び足首の細さがちょっと日本人離れしているとよく言われますけど。オランダ人かポルトガル系の血がちょっと入ってないですかね(笑)
福山雅治さんなんか絶対入ってますよ。私の知り合いでイギリス人と日本人のハーフの男の子がいるんですが、本当福山そっくりな顔してます、本当に男前でね。
九州には、そういうちょっと外人みたいな顔した人がクラスに必ず1人か、多ければ3人ぐらいはいましたね。ちょっと髪の色が薄かったり。
福岡の生徒さんで、目が完全に黒くない人がいまして、おじいちゃんおばあちゃん全部日本人なのに、目がちょっとグレーな感じの、外人のような目でしたね。
やっぱりね、小さい時はいじめられたらしいですね。今は当然全然気にしないでしょうけどね。まあそういう目の色なんかも、多分どっかから来てるんだと思いますよ。
日本人みんな兄弟という感覚
まあそれは置いといて、日本人みんな混ざってますから、私たちみんな兄弟なんですね。
で、この大和魂っていうのはですね、
日本人が日本人を思う気持ち、自分の損得ではなくね、日本人をもう何としてでも守りたいという、これが大和魂じゃないかと思うんですよ。
前もちょっと言ったかもしれないですけど、インドに行った時にガンジー博物館行ったら、そこで日本人の女子大生が向こうの男子大学生に何かセクハラみたいにされてたんですよ。
写真一緒に撮ろうとするんですが、その時に無理やりなんか抱きついてキスしたりして、その女子大生もキャー言ってるんですけど、誰も止めないんですね。
ですから私そこを突っ込んでって、英語で「おいこら!何やってんだ!」って汚い言葉バンバン使って言ったら、そのインド人ももうびっくりして、まあこんなにキレる日本人見たことないし、体もごっつくて怖そうだし、もうヒューっとホント潮を引くように逃げていきましたね。
もちろん女子大生たちも「本当ありがとうございます」って、助かったー、みたいな感じでした。
まあそれが大和魂ですよ。日本人舐めんじゃないよ!、ということでね。
海外のいろんなところで日本人が割りを食ってるの見たら、私すぐ助けに走ります。
大和魂とGHQの関係
日本を守りたい、という気持ちで、亡くなった兵隊の方もたくさんいると思います。
こういう大和魂ですね、アメリカ、および当時日本を統括したGHQは嫌いだったんですよ。
どうにかして日本人が日本人を思わないようにしたい、みんな個別に、自分自分自分と、他の日本人がどうなってもいいよ、っていうふうに日本人になってほしかったんですね。
まあアメリカなんか本当、自分の周りとか同じ教会の人たち以外はどうでもいいみたいな感じですね。人類みんな兄弟なんて全然思ってないです。
日本人の場合、本当に人類みんな兄弟というか、日本人みんな兄弟なんですよ。日本人同士仲いいし、物を盗まないし、財布が落ちてたら警察に届けるし。
なぜかというと、例えばね、自分の従兄弟が財布を落としてとしたら、それを従兄弟に返したいじゃないですか。こんな感じなんです。これがまだ残ってるんですよ、日本人の中にはね。
日本人は特に、日本人を思う気持ちがすごく強いです。ですから海外でも、華僑っていう人たちはすごく仲良くて、お金の貸し借りも自由にできたりするんですが、日本はねお金の貸し借りが自由にできないというか、あまりお金には関わらないというのは日本人のいい意味での気質ですね。
お金はある意味汚いとか思ってますし、「お金お金」っていうのはね、みたいな感じがありましたね。ですからその経済的な結びつきにはならないんですが、日本人は気持ちは、思いは、すごく繋がってましてね。
そんな感じで、この日本人が日本人を思う気持ち、これが、日本人の海外でもすごいと思うところなんです。
それではまた次回。
See you next time.
Bye bye.
昭和37年8月5日、福岡市博多区生まれ。26歳で渡米。飛行学校に入るが英語ができないためアメリカ人の教官から「帰れ」と言われながらも、ノルウェー人の教官に救われ、3ヶ月で英語ペラペラになる。あまりに英語が話せるようになったので、1年後にはアメリカ人を教える飛行教官になる。その後、全日空の同時通訳を務め、武蔵野学院大学准教授、名古屋大学理学部外部講師や、海上自衛隊将官トップマネジメントセミナー講師等も務める。自身が主催した「本城式英会話スクール」の受講生は1万人を超える。生い立ちから、現在に至るまでの詳細、また著書、講演履歴等はこちらから

