アフリカの飢餓で苦しむ子供たちや、水を汲みに何時間も歩いている子どもを映して「恵まれない子どもたちに愛の手を」的なCMを見ると、私は心がモヤっとする。
「恵まれないかわいそうな子供たちを助けてあげましょう」といいたいんだろうけど、
私は「かわいそうな子たちじゃないのにな…」と思う。
「飢餓で苦しんでる子供がかわいそうじゃないって酷くない? 冷たくない?」って思いますか?
私も以前は思ってた。「かわいそう」って。
そんな私が変わったのは、ペルーでこんな体験をしたから…
湖に浮かぶ 草でできた島
ペルーのチチカカ湖に浮かぶ「ウロス島」を知っていますか?
「浮かぶ」と表現したのは、この島は正に水の上に浮かんでいる「浮島」だから。
湖に生えているトトラという葦の穂のような植物を束ね、重ねに重ねて島(土地)を作っているのです。ウロス島という1つの島があるのではなく、トトラでできた浮島が大小たくさん集まって「ウロス島」と呼ばれています。
標高3812m、つまり富士山の頂上よりも高い所にあるチチカカ湖。そこに浮かぶ島。
島全体が葦の穂でできた島? 浮いてる島?
添乗員の仕事で初めて訪れたペルー。
写真ではウロス島を見ていても、実際どうなっているのか私には想像もできなかった。
島に向かう船の中。ガイドさんがそこで暮らす人たちの生活を教えてくれた。
そこでは、島だけでなく、家も、船も学校も全てトトラの植物を使って作っているという。ソーラーの電気が来ているのは一部だけ。時には食料としてもトトラを食べ、食用の大きなネズミがご馳走だという。
そんな話を聞いて、私は
「そんな生活をしなきゃいけないなんて。かわいそうな人たち。」
貧しい人たちの暮らしを観光として見に行くという感覚があり、あまり気がすすまなかったし、見たくないなと思っていた。
島に着いて子供たちの姿を見るまでは…。
何、この目の輝き!
船がウロス島に近づいてくる。船の向こうに、いくつか島が見える。
あれもみんな浮いているの?遠くの島の上では家畜の姿も見える。浮いている島だと思うと不思議な光景。
私達が到着した島は、小学校がある中心的な島。といっても、全体を見わたせる程の大きさ。広場では、島を案内してくれる男性と、鮮やかな民族衣装を着た女性2人が手作りの素朴なお土産物を広げて待っている。
足元を見ると、聞いていた通り一面、藁のようなトトラが重なっている。
「浮島という事は、降りたら沈んだり、揺れたりするのか?」と注意しながら船から降りてみる。
揺れる事はなかったが、やっぱり普通の感触とは違う。やわらかい。クッション性のある床のような感じで、フワフワした感覚。
最初は、ツアーメンバー20人近くがいっぺんに島に入ったら沈みはしないかとか、ゆっくり動かないと揺れるんじゃないかとか色々な疑問が沸き、私もツアーメンバーも様子を伺いながらゆっくりと歩いていく。
と、そこへ小さな子供たちが数人、キラッキラッの笑顔でかけ寄ってきた。少し恥ずかしいような、でも見慣れない顔の大人たちに興味があるぞ、そんな表情。
「え!何、この子たちの目の輝き!めちゃくちゃ楽しそうなんだけど!」
島に着く前に感じていた、「かわいそうな人たちを見に行く」という感覚は一瞬でなくなっていた。むしろ、そんな感覚を持っていた事を申し訳なく思った。
それくらい彼らの目は澄んでいた。
子どもたちの先導で学校へ。小さな小屋のようなその学校も、屋根も壁も全てやっぱりトトラでできていた。
外観では、小屋のようで学校の雰囲気はないが、中を覗くと薄暗い部屋の中に、黒板や背の低い長いすが並んでいる。壁には子供たちが描いた絵も飾ってある。日本と変わらない風景。学校だ。
と、子供たちが「これ、これ見て!」と指さす。そこにはひらがなが書いてあった!日本人観光客が多いからか、日系の人が多いからか分からないが日本語も学んでいるらしい。
そしてガイドさんに促され、恥ずかしそうに日本の歌を歌ってくれた。照れている子や歌わないぞと口を一文字に結ぶ子など、子供らしい表情がかわいい。
「この子たちは、かわいそうな子供たちなんかじゃないんだ!彼らはハッピーなんだ!」
私の「貧しいのはかわいそう」という考えが180°変わった瞬間だった。
「かわいそう」って思う事がかわいそう
ウロス島のこども達の笑顔で、「彼らはかわいそうな人たちなんかじゃないんだ!」と気づけた事は、私の中で大きな変化をもたらした。
それまでは「海外に興味がある」と言いながら、私の興味があるのは欧米諸国のみ。発展途上国や飢餓で苦しむ国の事など知ろうとも思わなかったし、テレビで映像が流れても見たいとも思わなかった。
「あなた達はそんな所に生まれてかわいそう。私は日本人で良かった。」そんな事さえ思っていた。
「かわいそう」という言葉で片付け、ただ目を背けていたのだ。たまに寄付をしてもそれは「かわいそうな人たちを助けてあげよう」的な上から目線だったと思う。
それが、「かわいそうな人たちじゃないんだ」と気づいた事で、発展途上国の国々が抱えている問題やアフリカの飢餓の子供たちにも目を向け、知ろうとする事ができるようになっていった。
その後に訪れたカンボジア。川の上に竹とバナナの葉っぱで作った家に住んでいる地域を訪れた。トイレは仕切りはあるものの、汚物はそのまま川の中へ。そのすぐ近くで、鍋を洗う人や泳いでいる子供たち。
以前なら「かわいそう。こんな酷い衛生状態の所で生活しなきゃいけないなんて」と見ていた。
しかしもう違う。「君たちすごい!たくましい!」彼らの笑顔はやっぱり輝いていて、エネルギーに溢れていた。
フィリピンやブラジルのゴミ山でゴミの中からお金になるものを見つけて働く子供たちもいる。
スラムやゴミ山に住んでいても、彼らはその中から遊びを作り出したり、ゴミからアクセサリーを作ったりして、笑って生きている。
彼らの中には、「生きてやる!生き抜いてやる!」という「生きる事」への不屈の精神が見える。そのたくさましさや生命力の強さが目の力強さに表れているんだと思う。
それは、色んなものが普通にあり「毎日生きているのが当たり前」という私達が、忘れてしまっている、もしくは知らない感覚。
もちろん、彼らの生活で良いとは言い切れない。でも、先進国の人たちが自分たちを基準に「物がない。貧しい暮らし=不幸だ、かわいそうだ」とする事は間違いなんだと思う。
そして、物に溢れお金もある先進国の人たちがみんな幸せなのかというと、そうでもないと思う。むしろ、たくさんの物がある事を知っているからこそ、それを持てない事で不幸を感じたりする事もある。
したたかに、たくましく生きている彼らを見ていると、心から応援したくなる。それは、「かわいそうな人達だから助けてあげないとかわいそう」というものとは全く違う感情。
同じ人間として彼らを尊敬する。だから応援したいのだ。
私がフェアトレードに興味が沸いたのも「対等な取引」という所に共感するから。お金をあげるだけの支援や「かわいそうな子供たち」をアピールする支援には違和感を覚える。
「かわいそうって思う事が悪い事なの?」と思うかもしれない。
私が今思うのは「かわいそう」というのは相手に心を寄せているようで、単に同情しているだけの他人ごとの感覚。または上から目線の感情。
でも、私がそうであったように、これはそういう状況の人たちと実際に接しないと分からないし、気づけない感覚かもしれない。
どんなにテレビやネットで勉強したとしても、本を読んだとしても、実際にそこに行き、その人たちと接しなければきっと頭の中だけの理解や偏った情報、思い込みで終わってしまう。
百聞は一見に如かず
彼らの事を知ろうとする事も大事。知らなければ本当に他人事で終わってしまうから。
だけど、やっぱり直接彼らに会ってみる、接してみるという事の方がずっと大事だと思う。
彼らの生活や姿はいい意味でも悪い意味でも衝撃。だけど、そこから「自分の常識(としているもの)」を超えた、知らなかった、または気づいていなかった感覚や感情が沸きあがる。
自分で体験しないと分からない事、気づけない事はたくさんある。
ほんとの世界を知るために、私は世界を旅する。
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中学生時代から英語を話せるようになる事に憧れ、外国語短大へ進学。その後イギリスへ留学するも英語が話せず落ちこぼれの生徒に。英会話のトレーニング(カランメソッド)を受け英会話が上達。帰国後、夢だったツアーコンダクターになる。渡航国約35カ国 年間200日以上を海外で過ごす。その後オーストラリアにワーキングホリデーで渡り、オーストラリアにあるハミルトン島のリゾート会社に就職。その後日本に帰国し、京都のホテルやゲストハウスなどでの経験を経て、地元宮崎にUターン。現在は地元宮崎で、英会話教室及び、単位制、通信制の高校で英会話を教えている。
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