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5度目の正直?留学の夢が実現

World Lifeな生活
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海外留学の夢。あなたは思い描いたことはありますか。英語に限らず,外国語を勉強する方には,留学は大きな夢ですね。

海外の大学や大学院への留学もありますが,語学留学は身近になってきました。2週間程度から1年まで,コースもたくさんあります。

その国の文化を楽しみながら語学を習得できる。楽しいでしょうね。今はコロナ禍で実現は難しいですが,準備期間として学習するのも良いですね。

Swatchが留学したのは,2000年。防衛省からの米陸軍大学のアカデミーへの,国費留学でした。米陸軍の軍人のリーダーを養成する学校です。

自分で貯金をして,留学費用を払うというのではなく,防衛省が留学費用を負担してくれるというものです。厳しい留学選抜試験に合格しなければならない。

今回は,Swatchが留学生としてアメリカへ飛び立つまでの軌跡をお話したいと思います。

<最後のチャンス!5度目の留学試験>

目の前に在日アメリカ大使館の門がある。この門をくぐるのは実は5度目。

5名の自衛官が下車し、大使館の受付でセキュリティチェックをうける。
渡された立ち入り許可証を首にかけ、2階へ階段で上がるように指示される。

試験担当官によって,ラングエッジ・ラボ(Lunguage Laboratory:語学教室)に通された。5名は米国の陸軍大学の教育機関への留学試験を受験する。

私以外の隊員は,初めての受験で緊張が見て取れた。私の心は落ち着いていた。これが最後のチャレンジとなる。

防衛省・自衛隊には,国費で外国の軍の大学等に留学をさせる制度があります。毎年,陸軍大学の各学校やコースに日本人留学生を送る制度です。

全国の隊員の中から,何回もの書類審査を経て,最終候補者が絞られます。

<留学試験は,アメリカ大使館で>

最終候補者は,全国から小平にある語学研修所に集められ,2週間程度の受験勉強をしたのち,アメリカ大使館にあるラボで留学試験を受験します。

留学試験って,防衛省の試験じゃないの?と思われるかもしれません。違うのです。私が受けた留学試験を少し説明させていただきます。

米軍の教育機関に留学するためには,米軍の留学生基準をクリアしなければならないのです。在日米大使館の中に,試験専用のラボが置かれているのです。

この試験で米軍により英語の実力がチェックされ,米軍の学校に留学生として入学できるかを判定されるのです。

<防衛省の語学学校での受験勉強>

当時のSwatchの仕事は,情報部隊で英語を使った翻訳と通訳の仕事でした。
担当は,イギリスと国連の機関。それらの情報を日本語に翻訳して整理すること。

米軍の留学試験に合格しなければ,陸軍の学校へは入学が許可されません。留学予算を計上し,許可が下りた時点でキャンセルすることはできません。

防衛省は2つのことを考えます。一つは,米軍の留学試験の前に,2週間の受験勉強をさせること。もう一つは,留学生に補欠の枠をつけて,その年度の留学を担保することです。

留学候補者は,東京の防衛省の語学学校に集められ,2週間の受験勉強を実施します。その最終日に,米陸軍の留学生試験を米大使館で受験するのです。

私は,当時,防衛ホーム新聞に英会話を連載していましたので,留学候補者には名前が売れていました。英語に関する質問も気軽に応じていました。

受験2回目以降は,留学試験のコツや要点,勉強法などを留学候補者に惜しみなく伝授しました。アドバイスが,得点を急激に伸ばすからです。

受験者からは本当に感謝されました。多くの受験者は,研修最後に提出するアンケートに,私の名前を挙げ,参考になったことを記入していました。

実は,このことが私の留学を遅らせることになったのです。

<万年補欠要員だと知る>

最初の一年は,私の予定する学校への留学候補者は,3名でした。私以外は,地方の部隊から選抜されていました。

米軍の留学試験の結果は,私がトップでしたが,最終選考で留学生に指定されませんでした。

当時,私は情報部隊で情報専門官でした。担当者は防衛省で一人。留学の時期を遅らせてほしいという要望が所属部隊からあったと説明を受けました。

所属先との人事上の調整は,防衛省・自衛隊では良くあることなので,私も落胆せず,「来年は行けるな!」という強い印象を持ったものです。

それから毎年,同じ時期に留学希望調査に記入し,各段階の選考をへて,米軍留学生試験受験の命令を受け取りました。命令通りに,小平の語学学校で2週間の受験勉強をし,最終日に米大使館で受験する。トップで合格。

3度目となると,自分の受験勉強をするより,米大使館で実施されるwebインタビューの練習などを候補者に指導していました。

4度目の試験終了時に,人事担当者からこんなことを言われました。
「今回も全員合格でしたよ。諏訪さんがいてくれると,助かります。」

「ん?いや,皆さん優秀な人ばかりだからしっかりと準備して望まれているのだと思いますよ。私も受験者ですから何もしていません。」と答えた。

「2週間で,特に,スピーキングが伸びるってアンケートにもあります。候補者は諏訪さんのアドバイスが具体的で,非常に参考になったと書いていますよ。」

この人事担当者は,毎回,全員が合格することが大切で,いつもトップで合格する私を,「絶対不合格にならない補欠要員」としてみていたのでは?

通常、留学試験にチャレンジできるのは3回まで。なぜ私が3回以降も受験できた理由が、分かった。万年補欠要員だったのだ。

<夢をあきらめない。努力を継続し,自分を信じる>

私が、留学生候補者ではなく、その補欠要員であったことは、未経験のショックだった。受験時には、候補者・補欠要員かは、知らされない人事秘密だ。

私は,精神的なスランプに陥った。今まで出来ていた他人への思いやりや気配りができなくなった。朝起きて思うことは自己嫌悪と自己否定である。

自己否定のために,ストレスがたまり,そのストレスが引き金となり,顔面に吹き出物が広がり,真っ赤に腫れた。誰とも会いたくない気分が続く。

そんな時に,先輩から声がかかった。「美味しいラーメンの店がある。一緒に行こう。」ラーメンを食べながら,ニキビのよい薬がないかと相談してみる。

「それは医者に聞けよ。ただ,そんな真っ赤なニキビ面では,人前には出られないよな。お前,まだ自分の本当の姿を認めていないだろう?」と言われた。

「自分の本当の姿?」と私は呟いた。

「他人は,不健康そうな奴だと思うよ。自分では,今までのようにすべすべの顔が自分の本当の顔だと思っているだろうが,他人は,今の顔がお前の顔だ」

「つまり自分のことを何もわかっていないということだ。わかっていないから,自分のことも他人に伝えられない。だから,顔に不満が出る!」

私は,先輩の言葉から,自己否定が,チャンスを自らつぶすことになっている。相手に自分のことを伝えていくことが,今できることだと気が付いた。

私は,人事担当者,上司,同僚に自分の気持ちを伝えた。なぜ留学したいのかを説明して回った。夢はあきらめない。努力も継続すると決めたのである。

私は,5回目の受験,5年をかけて留学することができました。

その5年間の努力と準備によって,留学が充実したものとなったことは間違いありません。夢をあきらめず努力すること。きっと花開きます

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