世界70ヶ国の言語に翻訳され、3100万部を売り上げた大ベストセラー。
さらには、世界中で読まれた書籍トップ10の1冊としてユネスコの「世界記憶遺産」にも登録された超有名書籍。
それこそが、アンネの日記。
アンネの日記を読んだことはなくても、この本を知らないという人はいないでしょう。
ユダヤ系ドイツ人のアンネは、ナチスの迫害から逃れるためにオランダ アムステルダムに亡命します。しかし、第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占拠されると、アンネ一家は隠れ家での生活を余儀なくされます。
息を殺しながら過ごした約2年間。彼女が過ごした家は「アンネの家」として公開されています。どんな中で彼女は暮らしていたのでしょうか?
<え?こんな所に隠れ家?>
オランダと言えばチューリップに水車のイメージかもしれませんね。チューリップ畑と水車の風景は、残念ながら郊外に行かないと見る事はできません。
オランダの首都アムステルダムは、人口80万人を超えるオランダ最大の都市。通りには切妻屋根の幅が狭く、背の高い建物がびっちりと連なります。隙間なく建てられた建物は、まるで一つの大きな壁のようです。
それでも、街の中に圧迫感はありません。街中を運河が巡り、そこを遊覧船やボートがゆっくりと行きかい、車よりも自転車が多いアムステルダム。緑も多く、都会ながらもゆったりとした時間が流れる街なのです。
そんな遊覧船も通る運河沿いに立ち並ぶ建物の中に、「アンネの家」はありました。
「え?こんな所に?」
隠れ家なので、奥まった路地裏などにあるのかと勝手に思っていた私は、通りに面した目立つ所に入口があることに驚いたのです。
実は、表向きは会社の建物。その裏にある「後ろの家」にアンネ家族やその知人達8人は住んでいたのです。
アムステルダムの家は、「ウナギの寝床」のように幅が狭く奥が長~い形。これは、17世紀当時、家の幅によって税金が決められていたため、幅は狭く、奥行きが長い、細長くて、背の高い建物が多いのです。
そのため、アンネ達も表からは見えない奥の部屋で隠れ家生活ができた訳です。
人一人がやっと通れるくらいの細い階段をのぼって中へ。
だだっ広い部屋があり、また階段。どんどん奥へと進んで行くと…。古びた本棚が壁際から少し斜めに向いていた。
と、前を歩いていた観光客が、その本棚の後ろを覗くようにして…そして本棚の後ろへと消えていったのです。
そう。この本棚は「隠し扉」。
ここが、アンネ一家が住んだ「後ろの家」への入り口だったのです!
「おお~。何か忍者屋敷みたい!隠れ家っぽいね~!」
アンネの日記を読んだ事もなく、ただ何となくしかアンネの事を理解していなかった当時の私は、その時はまだ観光地のアトラクションにでも来た気分だったのだ。
その本棚の扉を抜けると、細い通路。
急に何だか暗く重い空気を感じる。
昼間でも薄暗くて狭い部屋。この狭い空間に8人の人たちが外に出る事もできず、周りに気づかれないように声を殺して生活していたのだ。
考えただけで息苦しくなる。
上に上がると細長く狭い部屋に、ベッド2つと机が縦に並べられた「アンネの部屋」があった。家具は後から再現された物らしいが、壁はその当時のままらしい。
壁にはメモや写真、雑誌の切り抜きのような物やポスターなどがいっぱい貼ってあった。落書きもあった。
それを見た時、初めて(アンネがここで生活していたんだ。)と実感したのです。
もちろん、アンネの日記が実話なのも知っていたし、アンネが実際に住んでいた家だというのも分かっていた。
けれど、どこか「遠い昔の、遠い国の知らない人の話」という感覚で、実感が全く湧いていなかったのです。博物館やお城を見学しているような気分。
それが彼女が実際に書いたであろう文字や、彼女がワクワクしながら貼ったであろう写真やポスターを見た事で、それが一気に現実味を帯びて感じられたのです。
確かに彼女はここで生きていた。
息をひそめて生活しながらも、楽しみを見つけ部屋を飾り、明るく生きようとしていた。それが伝わってきたのだ。
私は自分も中学生の時には好きなアイドルの写真やポスターを壁に貼っていたのを思い出す。アンネも一緒。自分と同じ感覚を持った普通の女の子だったのだ。
私にとってアンネはもう「遠い国の知らない人」ではなく、「近くの友達」になっていた。
暗くて狭い「後ろの家」の中で唯一、空が見えたのは、渡り廊下。
ほんの数メートルの部分だったが、そこに出た時にやっとホッとした気持ちになれた。ふ~っと深呼吸する。アンネも同じ気持ちだったのかもしれない。
後で、「アンネの日記」を売店で買って読むと、やっぱりこの渡り廊下の事が書いてあった。アンネのお気に入りの場所だったらしい。
「アンネの日記」は、思っていたよりも赤裸々に色んな事が書いてあった。
戦争時代で暗く真面目な話しばかりかと思っていたら、家族や同居人との確執や、友達の悪口から恋愛の話まで。
日記だから思った事、感じた事を正直に何でも書いていたのでしょう。情緒豊かな表現で面白くつづられています。日記を読んでいると、当時のアンネの姿がまざまざと目に浮かび、彼女が限られた中でも一生懸命に明るく生きていたのが分かります。
大きな声を出したり自由に動き回ることができない中で、日記だけが自由に声を上げる事の出来る場だったのかもしれません。
<To build up a future…>
アンネは間違いなく世界的な超有名人。
だけど、彼女が特別に何かを成し遂げたという訳ではありません。
ただの普通の女の子。
快活で、好奇心旺盛で、恋愛にも興味のある普通の思春期の少女なのです。
ごくごく普通の女の子が、戦争に巻き込まれ、迫害を受け、何の罪もないのに連行され亡くなったのです。
アンネの日記はたまたま残され、たまたま表に出たから有名になっただけの事。
あの当時、彼女のような思いをした「普通の人」がいったいどれだけいたことでしょう。
アンネ一家で唯一生き残った父親オットーが残した言葉が
“To build up a future, you have to know the past.”
(未来を築くために、過去を知らなければならない)
私たちは過去を知らなければならないのです。そして、過去から学ばなければいけないのだと思います。
明るい未来を築くために…。
そして、アンネのような普通の人たちがこれ以上犠牲にならないために…。
中学生時代から英語を話せるようになる事に憧れ、外国語短大へ進学。その後イギリスへ留学するも英語が話せず落ちこぼれの生徒に。英会話のトレーニング(カランメソッド)を受け英会話が上達。帰国後、夢だったツアーコンダクターになる。渡航国約35カ国 年間200日以上を海外で過ごす。その後オーストラリアにワーキングホリデーで渡り、オーストラリアにあるハミルトン島のリゾート会社に就職。その後日本に帰国し、京都のホテルやゲストハウスなどでの経験を経て、地元宮崎にUターン。現在は地元宮崎で、英会話教室及び、単位制、通信制の高校で英会話を教えている。
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