つい先日の事、ドイツ人チーフが私を部屋へ呼んだ。
いつも穏やかな平和主義者だが、その日は違った。
「○○してください!」
ドイツ人チーフが言ったその言い方があまりにも怖いと感じ、私は震え上がった。それは日本語だったからなのだが。
その一言とは?
確認ミスから始まった
ドイツ人チーフは、はっきりと私に仕事のミスについて、そして今後の対応について意見した。
これは私が確認を怠ったために、ドイツ人チーフが共有したくない人に情報を流してしまった。
完全に私のミスで、今後は気を付けるようにという話だった。
何事も必ず相談と確認をしてきたつもりだったのだが、ついうっかりしてしまった。
そのお仕事は、日本人教授にお願いされたもので、日本語で説明してもらって非常にわかりやすかった。
久しぶりに完璧に理解できた安心感から、私の脳は、いつものドイツ人チーフへの確認というルーティンをすっ飛ばしてしまった。
頭の中で、日本人の教授が言っていることだから、ドイツ人チーフも了承済という風に安易に転換されてしまったのだった。
意見を述べる
私がドイツ人チーフの部屋へ呼ばれ、日本人的にはお説教を聞いたという感覚になっていた。
かなりきつい口調だと感じた、それはなぜかというと、注意したい1部分だけ、ドイツ人チーフが日本語を使ったからなのだ。
「これは本当に、気を付けてください!」
たったこの一言だったが、私は涙をこらえるほどショックを受けた。
言い方と、その冷静な目つきが恐ろしく怖かったからだった。英語で言われたなら、ここまでショックを受けなかった。日本語での日本人の対応とはとても違っていたので、ことさらに恐怖が増長した。
外国人と一緒に仕事をしていると、彼らが大事な事を使える時、日本人のように笑って言うことは少ない。だから、これはとても大切な話だと身に染みて実感する。
いつもと違うんだな、と感じる。
自分とは○○な人間です
実はこれは外国人の習慣であって、怒っているわけではない。
大切な事や自分の意見を伝えることは、彼らにとっては相手への礼儀でもある。
「私はこう考えている」や「私はこんな人間です」などの自己主張の一貫でしかない。
自分の意見を伝え合うことは、大人になった事の証であり、家族の中でもとても大切な事とされているようだ。
黙ったまま怒った態度をとって、「わかってよ!」という対応をする場面を見ることは少なく、はっきりと伝えている場面を見ることの方が多い。
この話し合いは一見怖いようだが、実は私にとっては非常に楽な事だ。
怒っていると感じるけど、その後ずっとそれが続くわけではない。「どうしてそう思っているか」を伝えるとその後は普段と変わらない。
だから、ドイツ人チーフもそれを言った後は普段と変わらない。
気にしているのは、日本人の私だけ。だから、言われた後は気にしなくていいのである。
自己主張も怖くない
外国人にとって自己主張をすることは相手への敬意であり、相手を尊重している事になると感じる。
たとえば、私がいつも外国人に話しかけるときに
「Can I ask question?(ちょっと聞いてもいいかな?)」と言うと
彼らは自分の作業を止めて、必ず私の方を向く。
体を必ず私の方を向けて、しっかりと話を聞く態勢を作ってくれる。
これから自分の意見を話す人を、とても尊重してくれる。
私がどんなに下手な英語を話しても、英文が間違っていてわかりづらくても、彼らは絶対に馬鹿にしたりしない。
それは、私が自分の意見を一生懸命伝えているからだ。
ただ、外国人が私の意見を理解するのが大変そうなので、私はもっと英語を勉強しようと思う。
簡単でいいから、自分の思っていることを、もっと伝えたいと思う。
自分の意見を外国人へ話すとき、外国人はとても親切になって、対応も丁寧になる。
簡単な英語でも「自分の思い」を伝えると、外国人とのコミュニケーションは、より深まっていくと思う。
京都が大好きで光華女子学園へ進学、卒業後、大阪の企業で経理課勤務。仕事が肌に合わず、夢だったイラストレーターを目指して大阪芸術専門学校へ。賃貸住宅ニュース雑誌社へ派遣社員として就職。その後地元へ帰り、地元のフリーペーパーやパチンコ店などのポスター制作するグラフィックデザイナー、ベジタリアン・ヴィーガンのお料理の先生、バンドのドラマー(ジャズ・ロック・軽めのフュージョンなどジャンルを問わず、地元ではセミプロとして活躍する。プロドラマー海野俊介氏に師事)、お琴奏者(趣味で名取まで取得)、演劇が好きで劇団にも少しだけ所属・・・など様々な経験を経て、英検3級しかありませんが、縁あって現在は、某施設で外国人担当のお仕事をしています。