【World Life】とは?
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それは否定しているわけじゃない

World Lifeな生活
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「僕たちは犠牲者なの?」

その一言で、頭から冷や水をかぶせられた気持ちになった。
思わず目を見開いて見つめ返し、久しぶりに気まずい沈黙を味わうことに・・・。

日本を含め、どの国の学生も、これを持っていって嫌な顔をする学生を今まで見たことがなかった。

それを聞いて、英語で返す言葉がどうしても見つけられなかった。

私たちの施設は山の中にある。車で15分以上走らないと、コンビニエンスストアを見つけることすらできない。
そして、時々トンネル事故や大雨などで道路が遮断される事がある。自然災害に弱いのである。

そんな時のために、施設には非常食が常備してある。それは時に災害の時の非常食として大いに私達を助けてくれるけれど、頻繁に緊急事態は発生しないので、だいたい使われず期限切れまじかに私たちの胃袋に入ってしまうものだ。

半年に1度ぐらい非常食の期限を見直し、買い替えるのが事務の私たちの仕事。

非常食と言っても種類は豊富、水やお湯を入れて数分待つだけでご飯を食べることができるレトルト食や、缶の中にはったパン(これはチョコチップ入りで、取り出しやすいように逆さに2個はいっており、結構おいしい)、乾パン、水・・・など。

レトルト食は、「梅かゆ」のようにあっさりしたものから、「炊き込みご飯」のようにしっかり味がついているものまで、味のバラエティが豊富で、少し驚いてしまう。

そんな期限切れ間近になった非常食を、施設に来る国内外の学生さんに渡すことがある。

施設に研究に来る国内外の学生さんたちは、近くの寮に長期滞在する人が多い。施設には食堂があり、予約制で食事をすることができる。

ただし、日曜日は給食さんがお休みで、各々で食事を調達しなければならない。彼らは先輩など車を運転できる人に便乗して、近くの町のスーパーマーケットやコンビニエンスストアで食料の調達をする。

みんなそれぞれ上手にやりくりをしている、でも休日の食事が出ないときのちょっとした「おやつ」や「おにぎり」「パン」などは、とても助かるようだ。

非常食の期限間近のものが、皆が集まる部屋のテーブルに並べられ、次の所有者を待っているとき、私たち事務員は、皆さんにお知らせのメールを送る。

ただ外国人研究者にはそのお知らせが届かないので、学生さんなど私が知っている人達には直接配ったりする。

そして、今回もフランス人2人で研修に来ている学生さんのお部屋へ、レトルト食品と乾パンなどを持っていた時のこと。

それを見るなり、フランス人学生の一人の男の子が嫌な顔をしながら、こう言った。

「これって期限切れのものを消費しなきゃいけないの? 僕たちは犠牲者なの?」

もう一人の女の子のフランス人学生は、隣でゲラゲラと笑っている。理由はよくわからないけど、「また言ってる」的な、あきれた笑いだったのだろう。

それを聞いて冷や水を浴びたように固ってしまった私。私は善意で配っていたつもりだったが、フランス人には私が彼らを馬鹿にしていると捉えられてしまった。

フランス人にとって残り物の食品を運んでくることは、「もうすぐ期限切れだから消費しろ!」と押し付けられたようなもので、これはとても屈辱的な事だったのだ。

他の学生さんたちだったら、いつも喜んで受け取ってくれたのだが、今回は相手の気分を害してしまった。

私は勝手に自分の意見を押し付けて恥ずかしいことをしたと、とてもショックを受けた。こうゆうのを心が折れるっていうんだなと思いながらも、冷静になって次の言葉を探そうとしたが、焦れば焦るほど、この状況を取り繕う英語が出てこない。

結局、そのまま黙って置いてきてしまった。

こうゆう国の違いの捉え方のズレはよくある事で、外国人らしくはっきりと伝えてくるというのもよくある事、いちいち心が折れていては仕事にならない。
わかっちゃいるけど、やはり今回も心が折れて、とぼとぼと彼らの部屋から帰ってきた。

拒否されることは失敗したのではない

この失敗は、シンプルに国民性が違う、という一言に尽きるが、今まで休日の食事の調達が特に面倒な外国人学生から、このように、お菓子や非常食を持って行って拒否された事はなかった。

誇り高きフランス人でも、「これを拒否なんてしないだろう」と私の都合だけで相手が求めていると思い込んでいた。

その他にも、イタリヤ出張から帰国した教授のお土産の「ヤギのチーズ」も、においが強いという理由と、イタリヤ産ということでやはり拒否された。

フランス人は誇り高く、自国への愛が強い。カラオケに行っても「フランスのシャンソン」を歌いだすぐらい。ただ、こだわりの表現方法は様々で、マイルドで優しく伝えてくれる人もいる。

そして、この続きがもっと不思議だ。これだけはっきりと拒否して嫌な態度をとっておきながら、次の日にはケロッとして

「Hello!」 と親しげに挨拶をしてくる。

今回のような事は、決して私が大失敗をして拒否された!というような大それた問題ではなく、海外ではとても当たり前の事。

私が
「きっと相手は困っていて、それを欲しいのではないか?」
とか
「お土産をみんなにあげなければ、もらっていない人は気分を悪くするのではないか?」
というのは、ただの日本人的な気遣いであり、それを断れらても、相手の外国人は私を否定しているつもりはさらさらない。

お互いの価値観の違いを尊重している外国人

外国人との付き合いで、私がもっとも注意している事は、この「価値観の違いを尊重する」という点。

日本人は、とても気遣いの行き届いた国民性を持っていて、言わずとも図るという文化の通り、先に相手の気持ちを読んで対応する、という考え方が美徳とされている。

これは、外国人にとっては驚くべき事で、言わずとも伝わっている状態は、時に外国人をとてもうれしい気持ちにさせ感動させる。悪いことではない。

ただ、付き合いが深くなっていくと、外国人が自分の価値観を示したときに、日本人の私たちは驚くことがある。

これは昔、イギリス人学生が、出張申請の行き違いから、旅費を出してもらえない事で怒ってメールを送ってきた時に、ドイツ人の上司に相談したときの一言。

「外国人はただ主張しているだけで、怒っているのではないから安心して。これはただの文化の違いなんだよ」

私は、前よりも、相手の価値観を尊重しあう付き合い方に慣れたが、やはり日本人なので心が折れるときがある。

ただ、相手を理解しようとすることで、立ち直りが早くなったし、外国人と仲良くなれるようになった。外国人がはっきりと主張しても、これは怒ったり否定している訳ではないので、安心していいのだ。

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