ある本の一節。
「西欧では人の『心』は17世紀までなかった」と。
どういうこと? と心の中が???でいっぱいに。
著者によれば…
『心』の普通のイメージは、考えや感情が出入りする頭の中の「入れ物」。
だが西欧人は長く、思考や感情が個人一人一人の『心』に湧くとは思わなかった。
そもそも『心』が一個づつ一人一人にあるとは感じなかった。
なぜなら大昔、大イベントは叙事詩の朗読。だが詩は聴衆に一斉に詠まれたから感じ方が一種の共同的な感覚だった。個人が別々に感じる体験ではなかった。
『心』という人それぞれの入れ物的な感覚が育つのは17~18世紀になってから。
決定的だったのは一人の本読み=個人的読書が多くの人の習慣になったこと。
それ以前にあった本は数は少なく高価で、一部の人の所有物。だが17世紀に活版印刷術が登場。安い本が大量に出回り読書人口が急増。また読書が一人黙って行う現在のような習慣になった。
孤独な黙読の中で、自分だけの考えや感情を入れる『心』という内的世界が多くの西欧人の中に初めて生まれ、徐々に固まっていった…
<50年ぶりの出会い>
普通の『心』の意外な成立を読みながら、思い出したのは自分の高1時代のコトです。
当時の担任の口癖「『心の内的世界』を磨け」や「『内面』が大事」が正直意味不明。田舎の中学で内的世界とか内面とか一度も使わなかった言葉だし…
見えもしない『内面』なんてどこにあるか分からない、そんなモノ自分にはない気さえしました。
「内面」があるフリをした記憶があります。(どんな「フリ」だったかは忘れましたw)
冒頭の本の中。数十年ぶりに出会ったのは私には因縁めいた言葉。
<心=入れ物>という普通のイメージが分かり、少しほっと。尾籠な話ですが長い便秘が治った気分w…だったのですが…
<本の力>
考えがいろいろ膨らんじゃいました。
(『心』の現在のイメージが17世紀にできたなら、将来変わる可能性はないか。今から数百年後『心』が穴あきや裏表一つのメビウスの輪みたいになってるかも。あるいは結局『心』はないとされるかも。昔の自分の『心』がない感覚は案外正しかったりして…)
さて『心』の吟味はこれくらいに。とにかく今回あなたに伝えたかったのは、私が改めて感じた読書の力。50年来の疑問が解けた上に、色んなことを考えさせてくれたのです。
今回は一冊の英書。英語を学ぶあなたの視界も広がるとよいですね。
See you later!
Jiro
<英語版>
知ってる内容を英語ルートで理解。洋画で字幕を読んで英語を聞くように。
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追記:
冒頭の本からまとめて引用
印刷術の発達のおかげで孤独な読書が可能になり、読書体験の舞台/受け皿として(自分の心だと)意識できる空き箱風な内面世界のイメージが徐々に表れ確立していった。
◯Walter Ong / Orality and Literacy The Technologizing of the Word
p151,152
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◯日本語訳 声の文化と文字の文化
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私立学校に英語教師として勤務中、40代半ばに差し掛かったころ、荒れたクラスを立て直す策として、生徒に公言して英検1級に挑戦することを思い立つ。同様の挑戦を繰り返し、退職までに英検一級(検定連合会長賞)、TOEIC満点、国連英検SA級、フランス語一級、スペイン語一級(文科大臣賞)、ドイツ語一級、放送大学大学院修士号などの成果を得る。
アメリカで生徒への対応法を学ぶ為に研修(地銀の助成金)。最新の心理学に触れた。4都県での全発表、勤務校での教員への研修を英語で行う。現在も特別選抜クラスの授業を全て英語で行っている。「どうやって単語を覚えればいいですか?」という良くある質問に答える為、印欧祖語からの派生に基づく「生徒には見せたくない語源英単語集」を執筆中。完成間近。常日頃洋書の読破で様々な思考にふれているが、そうして得た発想の一つを生かして書いた論文がコロナ対策論文として最近入賞。賞品の牛肉に舌鼓をうっている。元英検面接委員