Hello everyone.
Noriです!
テキストでお伝えしている、
海外に住んで分かる、
日本が、日本人が凄い理由。
今回は、
「銃犯罪がない!」
というお話。
実は私、アメリカ、ロサンゼルスに住んでました。
ご存知のようにアメリカって銃社会ですから、毎日のように、まるで交通事故かのように、銃犯罪が毎日どこかであるんですね。
もちろんロスですから、銃声聞いたこともあるし。
あと年始、「ハッピーニューイヤー」って、空に向かって銃を撃つんですね。
だからパパパパーンって聞こえるんですが、ほんと危ないですよね。
それ落ちてきて、当たって死んだ人とかいるんです。
そういうのって本当は禁止すべきことなのに、まるで花火のようにね、パンパン撃っちゃうんですよね。
それが世界をリードするアメリカという国で。
だから本当に誰が銃を持ってるか分からないので、そういう緊張感はありますよね。
例えばそうですね、爆竹をどっかファーストフードレストランの外でパパパパーンって破裂させたとしたら、日本では「何かの音かな?花火かな?」って普通思うじゃないですか。
アメリカ人だと、間違いなく銃声だと思って、マクドナルドにいる人たち全員伏せます。テーブルの下に入ったりとかね。
それぐらいの緊張感で普段暮らしてるんですね。
誰がいつ乱射するか分からないという。
分かります?この感覚。
絶対分かんないですよね、住んだことある人じゃないと。
だから、どれだけ日本が素晴らしいかと。
銃が本当は禁止になっている国でも、オーストラリアとかイギリスでも銃犯罪っていうのは普通にありますし、それが結構庶民が持ってて、喧嘩で撃ったとかね。
そんなレベルなんですよ。
日本の場合は、銃犯罪っていうと、ほとんどが、ヤクザ同士かギャング同士が撃ち合って、庶民がたまに流れ弾に当たるという。
最近ほとんどないですけど、私のふるさと福岡の上の方にある北九州では、しょっちゅうそういうのあってましたね。
まあでも、ほとんど庶民が、その辺の兄ちゃんが銃を持って喧嘩で使うみたいなことはないわけですけど、世界ではそういうことが普通に起こってしまう。
ですから、非常に危ない。
またよくナイフを使ったりとかね。
あとは普通の喧嘩でも、その辺にあるボトルで殴ったり、ボトルをバシャンって割って、ギザギザにしておいて、それを使ったりとかね。
そういう、後のことを考えないんですね。そういうので怪我させたらどういうことになるかと。
ボトルなんかのギザギザでグサッとやられたら、縫い合わせられませんからね。怪我の後がものすごい大変なんですけど。
素手で殴り合え、っていう話なんですね。そういうことが日本人はだいたい分かってますから。
日本人がやるんだったら、だいたい素手で殴り合って、あんまり道具は使わない、というのが基本なんですけどね。
本当にそういう意味では、銃がない世界に生きているということが、どんなに安心に暮らせるかと。
普通に私たちになってますけど。
だいたい世界の主要都市では、銃が禁止されているところでも、銃を普通の人たち、チンピラぐらいだったら平気で持ってますから。
本当に夜なんか危ないし、下手に喧嘩もできないし。
私は実践空手を長くやって、素手でやり合うには自信があるんですけど、そういうの持ってこられてパンとやられたら、一発で終わりますからね。
戦いに対する美学というか、ドラマもないわけですよ。銃なんか持ってこられちゃうと。
ですから本当につまんないですよね。
その点、日本はそういうことが非常に少ない。
ほとんどないに近い。
これがどんなにすごいことか。
やはり日本にも悪い人たちとか、ヤンキーと言われる人たちいるんですけども、そういう人たちでさえ、一線は守るというかね。
喧嘩になったからといって、銃を出してパンと撃つみたいなことはしないわけで。
これがやっぱり、日本人の奥深く沈む道徳の深さというか、愛でしょうね。
ですから、相手をやっつけるにしても、やっつけすぎないというのが日本人の美学でありましたし、それは「武士道」だしね、「武士の情け」というのがあって。
でも諸外国、中国をはじめアジアでも、相手をやっつけるときはとことんやっつけて、下手したら子供、妻、親戚全部殺すぐらいの戦争だったわけですね。
ですから中国が「四千年の歴史」とか言っても、四千年全然続いてないわけで、今の共産主義だってね、中国共産党だってほんの何十年です。
前の毛沢東が文化大革命でその前の文化を全部壊して、それを受け継ぐ人も全部ぶっ殺して、一説には四千万人ぐらい殺したということなんですね。
ですから何も残ってないんです。今、必死で掘り起こしてますけど、ちょっと手遅れという感じですね。
その点日本は、二千年以上続いてますので、素晴らしい長いものの歴史があるわけで。
それにはやはり、そういう「相手をとことんやっつけない」、ましてや「根絶やしにはしない」というこの優しい心が我々にある。
そういうことで私たちは、もう銃なんてものをね、庶民が持つなんていうのは、もう全然そぐわないということです。
そういうわけで日本の素晴らしさ、お伝えしてまいりました。
また次回お会いしましょう。
See you next time.
Bye bye.
昭和37年8月5日、福岡市博多区生まれ。26歳で渡米。飛行学校に入るが英語ができないためアメリカ人の教官から「帰れ」と言われながらも、ノルウェー人の教官に救われ、3ヶ月で英語ペラペラになる。あまりに英語が話せるようになったので、1年後にはアメリカ人を教える飛行教官になる。その後、全日空の同時通訳を務め、武蔵野学院大学准教授、名古屋大学理学部外部講師や、海上自衛隊将官トップマネジメントセミナー講師等も務める。自身が主催した「本城式英会話スクール」の受講生は1万人を超える。生い立ちから、現在に至るまでの詳細、また著書、講演履歴等はこちらから