【World Life】とは?
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世界の終わり?

World Lifeな生活
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朝の通勤、通学時。乗ろうとしていたバスや電車が10分遅れてもまだ来ない、としたらどう感じますか?

Ⓐ「ちょっとー、困るよ!会社/学校に遅刻しちゃうじゃない!」
または
Ⓑ「焦ってもしょうがないか。来るまで本でも読んでゆっくり待とうか。」

さて、あなたはⒶ、Ⓑどっち派ですか?

<いつ来るの~?!>

感じる時間の感覚や時間の流れは、人によっても違いますが、国または地域によっても違いますよね。

海外に行くと、電車やバスの時刻表はほぼあてになりません。だいたい遅れてくるのが当たり前。30分近く遅れてもみんな何食わぬ顔で待っています。

いつも使う電車ならいいけど、旅先などで初めて使う電車だと、時間通りに来ないと乗り場が間違っているのかと不安になってしまいます。

イギリスに住み始めて最初の頃。バスが遅れる度に「まだ来ないの?もう10分もたってるんだけど…。学校遅れちゃうじゃん!」と一人イライラして、落ち着かずウロウロとしていた私。

それを「何してるのかしら?」という表情で見ながら、静かに待つイギリス人。そして、遅れたバスに乗る時も、文句を言う訳でなく笑顔で挨拶をして乗り込む。バスの方も「遅れてすみません」などのアナウンスはもちろんない。

その時の私は、遅れても平気な顔をしていられる人の方が信じられなかった。「数分の遅れならいいけど、10分も20分も遅れてお客も運転手もどっちも平気なんて…」

しかし、それもだんだん慣れてくるとその遅れる時間を見越してバス停や駅に行くようになる。バスが遅れてくるなら、遅れる時間の方に合わせれば待つ時間も少なくて済むわけだ。

それに「バス/電車が遅れて遅刻しました。」という言い訳も日本なら通らなかったり、遅延証明書など必要な場合がある。ところが、イギリスでは普通に通るし、何なら遅刻すること自体も別にとがめられたり、理由を聞かれる事さえもないのだ。

友人との待ち合わせの時間に遅れて謝った時も、

“Don’t worry. It’s not the end of the world.”
(世界の終わりじゃないよ → 気にしなくていいよ)

と言われ、「確かにそうだな。少々遅れても別にこの世が終わるような大変な事にはならないよね。むしろイライラする方が損かも。」と思うようになった。

そうなると、「別にバス/電車が遅れてもいいか。」という心境になり、私も他の人たちと同じように静かに音楽を聞いたり、本を読んだりしてゆっくり待つようになった。

逆に、たまに時間通りに来たりすると「もう!何で時間通りに来るの!ちょっと待ってよ!」と走って乗り込むことになる位。時間通りに来た方を怒るようになるなんて自分でも笑える事だった。感覚がすっかり変わってしまったのだ。

そんな海外の生活に慣れてから日本に戻って来ると、それまでは気づいていなかった驚く発見をする事がある。

大阪駅でJRの電車に乗った時の事。ちょうど電車が来ていたのですぐに飛び乗った。電車が出てすぐ、アナウンスが流れる。

~この電車は現在、1分遅れで運行しております。お急ぎの所ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません~

「え?1分??」聞き間違いかと思ったが、その後も何度もアナウンスでは「1分遅れて申し訳ありません」と謝っていた。

「え?!たった1分の遅れ、誰が気にするの?! そんな謝る事? 時計の誤差範囲じゃない?」

1分遅れで怒る人がいるのだろうか? でも、分刻みで動いている人たちにとったら1分でも影響するのかもしれない。

1分の遅れで謝るなんて、イタリアの電車会社が聞いたら驚くだろう。イタリアで1分遅れで来たら「おー!今日は早いね!やるねー!」と褒められる遅れだ。もし、1分遅れで謝っていたら謝りっぱなしになってしまう。

他にも改めてびっくりした事がある。ホームにある乗車位置の印にピッタリと停車する電車だ。日本にいる時は当たり前のように思っていた。

だけど、イタリアに行ったら乗車位置を示す印自体もないのだけれど、電車がどこに停まるかはその時次第だ。運転手さん自身もどこに停まるか分かっていないはず。ホーム内のどこかに収まればいいという感じだ。

ホームの前の方で停まったり、後ろの方で停まったり毎回バラバラ。時には頭やおしりがホーム内に収まらず飛び出ている時もある。

もちろんその時も乗車位置の微調整などは行われず、電車が停まった所に乗客が合わせなければならない。長い間待たされた挙句、待っていた所には停まらず、電車まで走らないといけないという事はよくある。

それを経験してからみると、日本の電車の時間の正確さ、ピッタリ停まる運転技術のすごさは「当たり前」ではないんだと改めて気づかされる。

<なんだ?この黒い集団?!>

オーストラリアのハミルトン島からケアンズ経由で日本に帰ってきた時。成田空港に着いて荷物受け取り所まで歩いていた時、反対側から速足で迫ってくる黒い集団にギョッとした。

暗めのスーツを着たサラリーマンの人たちだ。
それまで私がいたのはオーストラリアでもトロピカルな地域。歩いている人たちは、年中T-シャツ、短パンにビーサンが普通。ビジネスの場面でも、シャツにチノパンくらいだ。

その光景に自分の目が慣れてしまっていたのか、成田空港でダークスーツを着て、真剣な顔つきで足早に搭乗口へ向かう人たちが軍隊のように見え、思わず「こわっ」と思ってしまったのだ。
日本を出る時には全く気にもならない、普通の光景だったのに。

どちらが良い、悪いという事ではないんです。ただ、どっちも知るって大事な事だと思います。自分の知っている世界や生活している環境が「当たり前」や「普通」になってしまうから。

日本での「当たり前」が海外では特別だったり、海外で違う経験をする事で新しい価値観を得る事ができたり。それが海外に行く良さであるとも思います。

まだ海外に気軽に行ける時ではないですが、国内でも自分の環境と違う所へ行ってみる事はできます。

私は宮崎に住んでいるのですが、宮崎には「日向時間」というものがあります。

待ち合わせや約束の時間に遅れる、そして何でもゆっくり時間なのです。これは私の悪い癖だと思っていたのですが、宮崎に帰ってきたら周りがみんなそうだったんだと気づきました。

みんながそうなので、遅れても気になりませんし、誰かが遅れても気にしません。イギリスやイタリアと同じ感覚です。

最近、都会の方から移住してくる人たちと出会う事が多く、話しているとやっぱり「日向時間」の話になります。

「最初来たばかりの時は、何でも時間がかかるし、遅いしで「えー」ってなってたけど、今は自分もそうなりつつあるわ。東京ではいつも時間を気にして、分刻みで動いて、同時にいくつもの事をこなしたりしてたんだけどね。自分がこんなにゆっくりできる人とは思ってなかった。日向時間、好きだわ~♪」

海外と日本でも時間の流れは違いますが、同じ日本でも都会と田舎では時間の流れが違いますよね。私は逆にたまには都会に行って、人や街のエネルギーとかスピード感を感じたくなる時があります。

どっちが良いという訳ではなく、どっちも知って初めて、自分にどっちが合っているのかも分かるのだと思います。どちらかしか知らないと、本当の自分がどっち派かも分かりません。

私がイギリスやイタリアで感じたように、そして都会から宮崎に移住してきた人が感じたように、最初は抵抗があったり、違和感があったりしても、だんだん馴染んでそっちの方が良くなっていく事もあります。経験してみて初めて分かるのです。

もしどちらも知ったら…あなたは、Ⓐ、Ⓑどっち派になるでしょうか?
それを発見しに違った環境に行ってみるのも楽しいですね!

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