「one more please!」
何度聞いても何を言ってるのかわからない、仕方なく電話を切った。
私は海外旅行で泊まったホテルから、電話でファーストフードのオーダーをすることができなかった・・・
私は英語がこんなに聞きづらくて、通じないと思わなかったが、ある時点で視点を変えた。
それからは、だれでも仲良くすぐにコミュニケーションを取ることができるようになった。
今回はそれをお話したいと思う。
思いがけない出会い
まさか私があの国へ行くことになるなんて、思ってもいなかった。
その留学生のお世話をしたのは、夏も始まろうとしている6月終わりごろだった。
その留学生は、宗教上の理由で厳格なベジタリアン。お肉お魚、卵ももちろん食べることができない。
そうなると、寮で提供できる食事がない。お味噌汁にはカツオ節を使うし、朝食のメニューに魚肉ソーセージも卵焼きも出すことができない。
結局、施設の近くにある古いアパートの1室を短期間だけ借りてもらい、自炊してもらう事になった。
私は一時的に添加物アレルギーを発症した経験から、自然にベジタリアンや添加物の食事の内容が身についていたので、留学生がどんな苦労をしているのか、手に取るようにわかった。
私は新鮮なオレンジを数個買ったら、一つおすそ分けをし、卵無しのカップケーキを作ったらおすそ分けをした。
施設近くに住んでいるベジタリアンの留学生は、「甘い物」を調達することが一番難しい。
英語が流暢に話せなかった私も、食事の話は伝わり仲良くなった。
そしてこの食をサポートしたご縁で、私は留学生の家族から「自国」へ遊びに来てくださいと招待された。
私は少し危険だと日本で思われているインドという国へ、1人旅をすることになった。
初めての英語だけの旅
日本語が話せるのは日本の空港まで、ここから先はすべて英語。
もうわからなくても、泣いても笑っても、英語しか話せない。それどころか、本当は英語ではなく、その国の言葉を話すのが当たり前の場所ばかり、英語も話せない人もいる。
全く聞き取れない英語
私はホテルを探してもらい、そこを拠点にして旅を進めた。
留学生の家族の1人が病気だったため、ホームステイがはばかられたからだ。
そのホテルの部屋には、宅配の食事のメニューがおいてあった。写真はあまりにもおいしそう。
電話でオーダーをする欲望を止められず、思わず受話器を取った。
「one more please!」何度も聞いた。
何度聞いても何を言ってるのかわからない、オーダーするまではできるが、その後の説明の英語が全く理解できない。仕方なくキャンセルして電話を切った。
私は電話でファーストフードのオーダーをすることができなかった・・・
ホテルのフロントへ行き、代わりにオーダーしてもらった。
ほどなくして食事は届き、ホテルのボーイさんが部屋へ運んでくれた。
その時、ホテルのボーイさんはこう言った。
「すいません、僕の英語はインディアンイングリッシュなのでうまくないので聞き取れないと思いますが・・・」
私が1人旅をしたのは「インド」の東側「コルカタ」
タクシーに乗れば運転手さんは、「僕の英語はクイーンズイングリッシュだから、聞き取ることができるよね」とよく言われた。
ホテルのフロントマンやボーイさんは、「インディアンイングリッシュは聞き取りにくいでしょう」と言った。
英語の聞き取りができない。
私は視点を変え、英語を理解しようとか聞き取ろうと思うことを止めた。
「この国の人たちの言葉を聞こう」という考えに変えた。
サンドウィッチを買って持ち帰ろうとして、
「take out please」というと「?」という顔をされる。
身振り手振りと英語の単語で、持ち帰りたいと説明すると
「take awayのことね!」と言われる。
英語を話しているけど、インドの英語は別の言語。
たとえば、「personal」という単語
私たちは
「パーソナル」と発音するけど、
インドでは
「ペルソナル」と言っているように聞こえる。
勉強してきた英語の概念を捨て、インドの人達が話すインディアンイングリッシュを聞いて、何を伝えたいのかを理解しようとした。
「正しい英語」という概念を捨てる
これは楽しい作業だった。
この国の人たちが何を語り掛けようとしているのかだけを理解しようとすると、コミュニケーションを取るのがとても楽しかった。
いろいろな国の人たちと話す時、その国なまりの英語になる。
正しい英語を話すことも大切だけど、ただ目の前の外国人が何を伝えようとしているのだろう?とだけ捉えると、正しくない英語でも、わからなくても大丈夫だと思える。
そして、私の正しくない英語の発音も、不思議と相手は理解してくれる。
正しいか正しくないか?と英語をジャッジするよりも、ただ、相手とのコミュニケーションを取ることだけに集中する方が、お互い理解できるのだと思う。
京都が大好きで光華女子学園へ進学、卒業後、大阪の企業で経理課勤務。仕事が肌に合わず、夢だったイラストレーターを目指して大阪芸術専門学校へ。賃貸住宅ニュース雑誌社へ派遣社員として就職。その後地元へ帰り、地元のフリーペーパーやパチンコ店などのポスター制作するグラフィックデザイナー、ベジタリアン・ヴィーガンのお料理の先生、バンドのドラマー(ジャズ・ロック・軽めのフュージョンなどジャンルを問わず、地元ではセミプロとして活躍する。プロドラマー海野俊介氏に師事)、お琴奏者(趣味で名取まで取得)、演劇が好きで劇団にも少しだけ所属・・・など様々な経験を経て、英検3級しかありませんが、縁あって現在は、某施設で外国人担当のお仕事をしています。