【World Life】とは?
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あなたの見方を変えた本は何?

World Lifeな生活
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洋書は新しい視点を与えてくれます。

それはほんの小さな空気穴が開いただけの感覚かもしれません。でも空気穴があるかどうかって、とても重要ではないでしょうか?

20世紀最大の小説家と言われるマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」を読んでいたら、行き過ぎた礼儀についての鋭い考察を見つけ心に刺さりました。

ある場面での過剰な礼儀は、別の場面での無礼と表裏一体だ。上流貴族が下流貴族に対し、時に極端に礼儀正しく接するのは、別の場面で同じ人を完全無視する為の「埋め合わせ」あるいはその「前払い」のようなものだ。(原文と英訳は追記に)

彼の言うように、親切や礼儀は、適量が一番効果的で自然でしょう。ところが過剰になると不自然。多すぎても少なすぎても違和感が生じるようです。

なぜ彼のこの指摘が心に刺さったかと言えば、過剰な礼儀にうんざりしてたからです。主な場面は、退職前の学校現場。
職員室の出入り口で、教員同士が「どうぞ」「いえいえ、お先にどうぞ」と儀式のように道を譲り合う光景が日常的に繰り返されていたんです。
狭い場所での「どうぞ」は自然な礼儀ですが、広い場所で譲り合えばやり過ぎ。職員室の入り口なんてすれ違おうと思えばすれ違えるはず。ここで譲り合うのは明らかにやり過ぎでした。

この過剰な礼儀、私がイヤだと感じたのは2つ。

① 先生達が相互に確認しあっている「先生は特別な存在」という優越感。
つまり、自尊心をくすぐるメッセージを交換してるようだったのですね。

② 自然さを欠いた礼儀正しさ、わざとらしさ。
つまり、自然に心に湧く相手への思いやりや敬意がないみたいということです。

そして、この礼儀正し過ぎる行動を、学校外の一般社会でも見かけ愕然としたんです。
図書館に入ろうとしたら、出ようとしていた人が私を見て足を止め、私が通り過ぎるまで中で「どうぞ」みたいな感じで待つのです。一見何でもない光景ですが、学校現場でうんざりしていたのでとても驚き、大袈裟でなく虫酸が走るようでした。

でも今は、プルーストのおかげで二つ安心感が持ててます。

●過剰な礼儀についての彼の見方が、自分の嫌な気持ちへの対処法になったこと。
●自分だけが礼儀の細かいことに過敏なわけではないと知ったこと

あなたも洋書を読んで、新しい視点を得られると良いですね。「世界が広がる」きっかけになるかもしれませんよ。
See you next time,
Jiro

追記:(英訳)…And her one and only failure in true politeness lay in this excess of politeness;…a lady of the Faubourg Saint-Germain,…always seeing in her humbler friends the latent discontent that she must one day arouse in their bosoms, greedily seizes every opportunity in which she can possibly, in the ledger in which she keeps her social account with them, write down a credit balance which will allow her to enter presently on the opposite page the dinner or reception to which she will not invite them.

(拙訳)そして彼女(作者の祖母の友人貴族)の一つのそして唯一の本当の礼儀に欠ける点は、この礼儀の過剰だった。フォーブール・サンジェルマンに住む上流女性は、いつも下流の友人たちが、潜在的な不満を抱えているのを目にすると、あらゆる機会を貪欲にとらえ、社会的な口座の帳簿に貸しの債権項目を書きつけようとする。そうして程なく、招待範囲の狭い夕食やレセプションを(記入済みの債権と釣り合う)借りの債務項目として書き込もうとするのだ。
P660 Translation:Scott Moncrieff Centaur Editions

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<英語版>
日本語で内容を理解した上で今度は英語で理解してみる☆
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