20世紀にひょんなこと(アメリカ南北戦争の爪痕)から生まれ、世界大戦や禁酒法の時代を経て、好景気の時代を迎え、初めて日の目を見たジャズ。20世紀後半のアメリカでのジャズ界にはマイルス・デイビスなどが出て、世界に誇る不朽の名作を録音として残し全盛期となりました。
その後世界と時代の移り変わりとともに、いろいろなものとコラボし、それでもオーソドックスなスタンダードジャズを演奏する派と、それ以外に、もうロックンロールやラテン音楽とのフュージョンでは飽きたらず、ラップやポップと一緒にやったりする若いコラボ派もどんどん、どんどん生まれてきました。
今回のジャズヒストリー#6は、『ミレニアムジャズ』と題して、今までの総まとめと行きましょう。
自然の流れとして、例えば恋愛について考えると、邪魔をするものがあると、恋はとっても燃え上がるそうです。人間の情熱とは不思議なもので、一筋縄ではいかないときに、思いもかけない才能、努力やアイディアがパッションとなって弾け出るもののようです。ジャズも然り、ではないかと。
ジャズ発祥は、アメリカ南北戦争時代。北では奴隷解放運動が少しずつ唱えられるようになってきた頃です。そんな時代の映画、『ジャンゴ/繋がれざる者』をご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんね。デカプリオが大変に好演だったという評判でしたが、ジェイミー・フォックスが演じた黒人が、当時受けていた白人達による扱いは、まるで人間とは思えないものでした。
そんな時代を経て、少しずつ自由に近くなっていた、ニューオリンズなど南部の黒人たちが、戦争後に残された楽器を拾い、演奏し始め、当時の赤線繁華街の隆盛とともに演奏のプロとして、仕事としてなり立つようになっていった。
ところが第一次世界大戦が没発、これらのレッドライトゾーンはもちろん閉鎖。明日から、どうやって食べていこう。どこか、演奏でお金を稼げる場所がないだろうか。彼らは必死で、シカゴやニューヨーク等の大都会を目指します。
そして大都会では禁酒法。バーなどの演奏場所は完全に秘密裏に。そしてすぐの第二次世界大戦開幕。こちらも、この状況下では、おおっぴらに音楽をやるわけにはいかない。こんなふうにずっと抑圧されていた、苦しみの中、ミュージシャン達は、酒やドラッグに溺れながら、ずっと日の目を見なかったのがジャズなんです。
だからこその、あのマイルス・デイビスや、チャーリー・パーカーや、ジョン・コルトレーンの、血がほとばしりそうなほどのパッションを、いまだにレコードから私たちは聞くことができます。
我々人類の、それぞれの胸のうちの苦しみは、いつの世も変わらないのかも知れないけれど、一応、現在は大きな戦争も身近にはなく、平和な感じで毎日を過ごすことができています。食べたいものも、着たいものも、見たいものも、大概のものは何とか自分の周りにあって、雨露がしのげて、毎日生きるための食料があれば、それだけで、どんなにかじゅうぶん幸せなはずなのに、人間はどんどん贅沢になって、もっともっと豊かな生活をしようとしている。
でも、ジャズは、ちょっと違うような気がするんです。物質が少ない時代の方が、精神的なものが強かったかもしれない。
確かに、昨今の若者の演奏テクニックは素晴らしい。昔は、レコードを擦り切れるまで聞いて、粋なアドリブのフレーズがあれば、そこを擦り切れるまで何度も聞いて、自分の耳でコピーして練習をした。指使いも、とにかく自分で工夫した。なかなか思ったようにいかず、とても長い時間がかかったのです。
現在は、それらは既に楽譜としても出版され、無料で何度でも聴けるYouTubeなどのビデオもあり、それを練習するためのカラオケ音源も発売され、手取り足取りです。そして世界中の音楽大学でジャズ科ができているように、彼らの音楽理論もとてもレベルが高い。どうやって練習したら上手になれるかを、有名教授がちゃんと教えてくれる。だからこそ、もちろん授業料もとても高額です。そんな優秀な生徒さん達が毎年毎年大勢卒業して、プロのジャズミュージシャンとなっていく。
野暮かもしれないけれど、ジャズの精神性を、どうぞ信じてください。爆売れする事は何の目的でもなく、即興演奏を通しての、スピリチュアルな芸術であり続けて欲しい。私は、「ジャズは、ライブ演奏が命!」と思っているミュージシャンです。ジャズは、毎回、場所によっても、メンバーによっても、全く演奏が違います。クオリティーの高さが最高レベルなのは当たり前ですが、その色合いが、イメージが、その場その場によって、全く違うのがジャズのライブです。
ブロードウェイの公演等のように、きちっと計画された、台本とリハーサルによって、1つの作品を仕上げ、それを各地方公演も、全て同じく演奏して回る、というジャンルの音楽もありますが、ジャズは丁々発止、いわゆるメンバーとのアドリブでのカンバセーションが、どんどん雰囲気を盛り上げていきます。
毎日、いろんなコンディションの人間がいて、それで良いのです。各自が自由に、自分の思うがままに、メンバーとともに、ともすると手に汗握るアドリブを繰り広げていく、それがジャズなんです。
最後に、戦争を知らない世代、バブルを知らない世代、などなど時代は進んで、現在は電話ボックスを知らない世代。このコロナ禍によるパンデミックで、我々パフォーマーにとってはここ1年ほど思うようにライブ活動ができず苦しい時を過ごしましたが、ライブ音楽を知らない世代、まで現れてしまうかも知れません。
ネット上の音楽になんの抵抗もない世代が、この先、ジャズの幅を広げてくれる可能性もあるかな、と。例えば、ネット上での各個人のリモートでのセッションは、世界中のミュージシャンをどんどんつないでいくはず。バーチャルのコンサートも、生の演奏を世界中でリアルタイムで聴けるはず。ホログラムで、ミュージシャンたちの容姿も一緒に、自分ちのリビングルームに来るかもね。
さあてミレニアム!限りない未来に向かって、世界は動き出している。
Kayo
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。