(注)今回の記事は、一部の方にとっては少しショッキングな内容かもしれません。そのため食育に関心のある方のみ見ていただければと思います。
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それは、突然始まった。
東ティモールの小さな村に入り、村の探検も落ち着いて、休憩をしていた時だった。
村の広場の真ん中に丸々と太った1頭の豚がロープにつながれて連れて来られた。
(なんだろう?)と思って見ていると、男性数名が豚を抑え始めた。
鳴き声をあげてジタバタする豚。
そして、次の瞬間…。
「ヒィーン!」という、今までに聞いたことのない耳を突き刺すようなけたたましい鳴き声が、無音の村に響き渡る。あんな声は聞いたことがない。
(殺したんだ…。私たちのために…。)
村の人たちにとって、牛や豚はその家の大事な財産。結納金の代わりに牛や豚が贈られるという。そんな大事な家の財産を食すのは冠婚葬祭ぐらいなもの。
それを、私たちへの歓迎のために豚をしめてくれたのです。ありがたいと思う反面、実際に豚が殺される所を見たのはもちろん初めてで、ショッキングで、とても複雑な気分だった。
しかし、村の人たちにとっては、特別な一大イベントといった様子でみんな生き生きとしている。だからこそ、広場の真ん中でみんなが見守る中、と殺がショーのように行われたのだろう。
日本ではなじみの薄い「と殺」という言葉も、食育への関心の高まりから知られるようになってきましたね。
豚の処理は子供の仕事
村の一大イベントショーは、その後も続く。
驚いたことに、その後は全て子供たちの仕事。日本で言うと高校生くらいの男の子たちが中心となり、豚の下処理作業を始めたのです。
(子供にこんな事をさせるんだ。)まだこの時の私には「と殺=むごい物」という考え方があって、(子供にむごい事させていいの?)と否定的な気持ちがどこかあった。
そして、私自身も(自分たちのためにしてくれている事だから、ちゃんと見ないといけない)という思いはありながらも、さっきまで生きていた豚が殺され、処理されるのを、どうしても近くで直視することができなかった。
申し訳ないと思いながら、広場全体が見渡せるくらいに離れた所から、タオルで顔を覆いながら見るのがやっとの状態。
そんな私とは対照的に、村の子供たちはテキパキと素早い動きをしていた。高校生くらいの少年たちが、たき火の上で豚の皮をあぶり始めると、すぐに中学生くらいの子たちは、近くのバナナの木に走って行く。
そして、自分の背丈ほどもある大きなバナナの葉を切り落とし、焼かれている豚の横に並べた。豚をのせるシートの代わりだ。
その間に小学生くらいの子供たちは、水汲み場に行きバケツに水を汲んで持ってきていた。豚の血を洗い流すためのものだろう。
見事な連携プレー!みんなが自分の役割をしっかりと分かっていて、誰に支持されるわけでなく自ら動いていた。
これぞ食育!
毛が焼かれた後、バナナの葉にのせられた豚の処理が始まる。
自分の役割を終えた子供たちが豚の周りに集まる。と、私が驚いたのは3歳くらいのまだ小さい幼児たちも、そして、女の子でさえも豚のすぐ横に座り、みんな豚が処理されるのを間近で見ているのだ。
その表情は真剣そのもの。豚のお腹を開くお兄ちゃん達の様子を、すぐ隣で覗き込むように観察している。「こわい~」とか「気持ちわるい~」というような子供はいない。
お兄ちゃん達の動きを見て、みんな学んでいるのだ。自分が大きくなった時にできるように。
これこそ、まさに食育!
(と殺はむごい事だ。怖い)と思っていた自分が恥ずかしい。
小さい子供たちにとっては、憧れの作業なのだろう。「かっこいいなぁ」とスターをみるような目で
お兄ちゃんを見る子供たち。そんな中、豚の下処理は続いた。
豚の大きなお腹を縦に開く。皮が固いのか切るのはなかなか大変そう。お腹が開かれると血を出し、ドロッとした内臓が取り出された。
そして、それをみんなに見せるように、少年は内臓を高く持ち上げる。その表情は誇らしげで、やり遂げたという達成感のある笑顔だった。
水でお腹の中をきれいに洗ったところで、豚は担がれて室内へと運ばれていき、一大ショーは終わった。
命をいただく
その後、その豚のお肉は細かく分けられ、内臓まで捨てられることなく全部料理されていた。豚の命は、私たちと村の人たち全員の2日分のご馳走へと変わったのだ。
食事の前に言う「いただきます」は「命をいただきます」という事。頭では分かっていたつもりだったし、感謝もしていたつもりだった。
でも、本当に豚の命が目の前で奪われ、食べ物になったのを見た事で、「これが命をいただくという事なんだ」とまざまざと見せつけられた。
日本ではと殺は「残酷」とか「かわいそう」と思われ隠すものになっている。私たちのほとんどはスーパーのパックに入ったお肉しか知らないし、それしか見たことがない。
でも、そのパックのお肉も、見えていないだけで必ず同じように、誰かが私たちのためにしめてくれたもの。それを知らずに食べている方がよっぽど残酷なことじゃないかと思う。
そして、村の人たちを見て思ったのは、と殺は「動物の命を奪う行為=残酷」ではなく、自分たちが生きるために「命を分けてもらう」そんな感覚なんだと思った。
広場の中央で少年が誇らしげに豚を処理したように、命を分けてもらう豚への最高のステージ(花道)をみんなで最後に与えているようだった。そこには、大事に育ててきた豚さんへの愛情と感謝の気持ちがつまっていたように思う。
私たちは、牛や豚、鶏や魚、その他様々な物から命を分けてもらって、生きることができている。自分の目に触れる事はなくても、命を分けてくれた物への感謝の気持ちは忘れずに持っていたい。
「豚さん、命をありがとう。いただきます。」
村の人たちと共に私は、ありがたく ありがたく、豚さんの命をいただいた。
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※私が行った東ティモールのスタディツアーを行っている特別非営利活動法人パルシック
現在、4月に東ティモールを襲った豪雨被害による被災者の緊急支援を実施中です。
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https://www.parcic.org/
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中学生時代から英語を話せるようになる事に憧れ、外国語短大へ進学。その後イギリスへ留学するも英語が話せず落ちこぼれの生徒に。英会話のトレーニング(カランメソッド)を受け英会話が上達。帰国後、夢だったツアーコンダクターになる。渡航国約35カ国 年間200日以上を海外で過ごす。その後オーストラリアにワーキングホリデーで渡り、オーストラリアにあるハミルトン島のリゾート会社に就職。その後日本に帰国し、京都のホテルやゲストハウスなどでの経験を経て、地元宮崎にUターン。現在は地元宮崎で、英会話教室及び、単位制、通信制の高校で英会話を教えている。
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