新しくオープンした【World Life】とは?
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日高、jump upする

World Lifeな生活
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「この先どうしよう

30歳手前になった私は、ツアコンの仕事を続けるか迷っていた。

その当時、少し前に大きなクレームをもらい精神的にも辛くなり、お客様と接するのが怖くなってしまっていたのだ。

行きたかった国ももう全部行ったし、モチベーションも上がらない。

「転職する?」とも考えた。が、ツアコンになるのが私の夢だったので、他にやりたい仕事が見つからない

30手前と言えば、女性には微妙なお年頃。

「年齢も年齢だし、結婚でもすればいいのか?」

ちょうど季節は冬になる頃。添乗の仕事も少なくなる冬の時期は、例年、長期休暇をとって旅行するか、帰省をする。

が、その時はそんな気分ではなかった。

「このままでは良くないけど、どうしたらいい?」

私がイタリアへの留学を決めたのは、そんな時だった。

ただ単にイタリアが好きだからとか、現実逃避とかではない。全身で喜怒哀楽を表現するイタリア人。仕事も楽しんでいる彼らを見ていると「人生、面白そうだなぁ」と感じていた。

自分とは違う生き方。でもそういう生き方に惹かれる自分もいる。

「イタリアで暮らせば、何か見えてくるかもしれない。」そう思ったのだ。

<えっ、その歳で?>

ツアコンの仕事を3ヶ月休み、イタリアのペルージャに語学留学をした。

イタリアには添乗で何度も訪れていたものの、イタリア語は挨拶と簡単な会話程度。

学校でのクラス分けテストさえも受けられない程、超初心者レベルからのスタート。

最初の授業の日。

クラスメイトは、だいたい私と同じぐらいのアラサー世代。ドイツ人カップルとアメリカ人男性、それに中国から派遣されてきたというお堅い感じのビジネスマン。

そんな中に、「え? あなた達も生徒?」というご夫婦がいた。

どちらも白髪交じりの髪で、はつらつとしているもののどう見てもシニア世代。自分の親と同じぐらい?いや、もっと上ではないかと見えた。

しかも、「観光ついでに少し勉強に来ているのかな。」と思いきや、なんと、イタリアに移住するのだと言う。古い農家の家を買い、そこを改築し、そこでアグリツーリズム(農業体験型休暇)を始めるというのだ!

その時点での語学力は、私と同レベル。つまり、超初心者レベル!家の改築で、大工さん達との意思疎通に苦労しているという。そりゃそうだろう。英語は通じない。

「その歳でゼロからイタリア語をマスターして、見知らぬ土地で新しいビジネスを始めるの?!

私をはじめ、クラスメイト、先生も全員が驚きの表情の中、自信満々の二人。彼らのバイタリティと意欲に圧倒されつつも、私は彼らにとても興味が沸いた。

<私のお悩み相談所>

クラスみんなのお父さん、お母さんのような存在の二人。学校外でも一緒に食事に行ったり、サーカスを見に行ったり、彼らが買った郊外の丘の上に立つ農家の家を見に行ったりもした。

一緒に時を過ごし、色々な話をした。穏やかで安定感があり、人生の先輩でもある二人は、いつしか私の「お悩み相談所」的な存在に。

二人の経歴もまたユニーク。

ユダヤ系アメリカ人で映画製作の仕事をしていたハリス。いつも穏やかな彼だが、若い時には師事したい映画監督の家まで押しかけ、弟子になろうとした。が、門前払い。

そこから3日間ずっと、家の外に立ち続け、雨が降りだしても立ち続けていたそう。そこで、ようやく監督も彼を家の中に入れ、弟子にしてもらえたのだという。強い意志の持ち主。

そして、いつもエネルギッシュなイスラエル人の奥さん、クリスティーナ。

イスラエルで、キャビンアテンダントをしていたという彼女。

当時、イスラエルでキャビンアテンダントというと、それは誰もが憧れる花形の職業だったらしい。高いお給料をもらっていたにもかかわらず、27歳の時に退職。

単身で知り合いも誰もいないアメリカに渡り、保険の営業を始める。そこから徐々に大きくしていき最後には保険会社を経営するまでに。

2人はアメリカで出会い、結婚。その後イギリスへ移住。子供たちも独立しもう孫もいるのだそう。孫たちに囲まれてゆっくり老後を、とはいかず、再び彼らはイタリアへの移住を決め、新たな生活を始めようとしている。

<人生を変えた言葉>

私は、クリスティーナがキャビンアテンダントを辞め、何のツテもないアメリカへ渡った事が衝撃だった。そして、彼女が渡米したのは27歳の時。その時の私は28歳になったばかり。自分の状況と似ている気がした。

「安定した職を捨てて、海外でゼロから働く? 私に今からできる?」

私は自分の不安を正直にぶつけてみた。

私:仕事を辞めるか迷ってて。でも、仕事を辞めてしまって、ゼロからまた始めるのが怖い。今、ツアコンをしていてお給料もある程度もらってるし、満足な暮らしができてる。

ゼロからという事は、給料も安くなるし。私は今の生活レベルを落としたくない。

すると

クリスティーナ:確かに私も、アメリカに行った最初の頃は、しばらくサンドイッチだけの生活だったわ。でも私は全然平気だった。

だって、それが自分がさらに飛躍するために必要な事だって分かってたから。

28歳なんて、赤ちゃんみたいなものよ。まだまだこれから!

アメリカはね、頑張る人は成功できる国なの!あなたもアメリカに行きなさい!頑張ればきっと成功するから!

そういう彼女に、私はまだ「サンドイッチだけの生活」になる勇気はなかった。そんな私を見て、ハリスが一言。

ハリス:跳び箱をみてごらん。跳び箱を飛ぶときどうする?

私:。あ、後ろにさがる!

ハリス:そう。後ろにさがる。そして、高い跳び箱を飛ぼうとすればする程、後ろにさがって長い助走が必要だろ?

後ろにさがっているように見えても、それは更に高く飛ぶためのものなんだよ。

だから、一時的に生活が苦しくなったとしてもそれは大丈夫なんだ。今より高くジャンプアップするためには、一旦後ろにさがらないといけないんだ。

彼の言葉は私の不安を払拭するのに十分だった。

「日本にやりたい仕事がなければ、海外に行けばいい。」これまでなかった「海外で働く」という選択肢が私の中に芽生え始めた。

そして、2人の話を聞きながら私は、心底「私、英語を勉強してて本当に良かった。彼らの話が理解できて良かった。」と思った。自分の人生を大きく変える程のいい話。日本にいたら私の周りでは絶対に聞けなかった。

二人にイタリアで出会った事も不思議だけれど、彼らと話すことができなければ一緒。英語で話し合えたからこそ、聞けた話。

これまで、英語は大学に行くため、自分の憧れの職業に就くためと思って勉強してきた。

けれど、今の私にとって、それらはちっぽけな物で、彼らの話を理解できた事、その事が自分に与える影響の方がずっとずっと大きく宝物のようだった。

<意外といける!>

その後、私には「海外で働く」という新たな目標ができる。

すると、それまで全く興味のなかったワーキングホリデーに興味が沸いてきた。いきなり海外で就職するのはかなり難しいし、ビザの問題もある。

ワーキングホリデーなら、1年間のビザがもらえ働く事もできる。

「なんていいシステム!ワーホリで働いてからビジネスビザもらう方が簡単かも!」そう思った。

しかし、ワーホリには年齢制限という物がある。国によってまちまちだが、その当時、私の年齢で行けたのは30歳制限のオーストラリアとカナダ、ニュージーランドのみ。

どの国も行った事があったし、好きだった。その中で、南国育ちの私は「冬でも暖かい所がいい」という理由でオーストラリアに決定。

イタリア留学で使い果たした貯金を、また一から貯めなおし。そして、30歳ギリギリのいわゆる「ギリホリ」のワーキングホリデーでオーストラリアへ。

ケアンズのホテルレストランで働いたのをきっかけに、ホテル業界に興味を持ち、最終的にハミルトン島のホテルに就職をする。

二人に会っていなければ、そしてあの話を聞いていなければ、オーストラリアにワーホリに行く事も、現地で就職する事もなかっただろう。

2人の言葉はその後もずっと私の中にある。そして、新たな道を選ぼうとする時、ゼロからまた始めようとする時、不安や心配で動けなくなる時、彼らの言葉を思い出す。

「サンドイッチだけの生活になっても大丈夫。それは、自分が更にジャンプアップするために必要な事」

そう自分に言い聞かせて選んできた。そして、それを繰り返すうちに「あ、意外といける!どこでも生きていけそう♪」という変な自信がついてきて、決断も軽くなっていく。

実際、「サンドイッチだけの生活」に本当になる事はなかったし、多少生活は変わってもそれもまた楽しかった。

自分が60歳を過ぎてから彼らのように、海外に移住して新たなビジネスを始められるかはまだ分からない。でも、彼らを思うと私にもまだまだできそうな事がいっぱいある気がする。

一昔前よりもずっと転職への考え方や仕事の仕方も変わってきて、選択肢も増えてきた現在。

それでも、職を全く変えたり、知らない土地へ移住したりする事にはやっぱりエネルギーがいるし、不安や心配も出てくる。

そんな時は、彼らの言葉を思い出してほしい。

「サンドイッチだけの生活になっても大丈夫。それは、自分が更にジャンプアップするために必要な事!」

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