今回は、前回の硫黄島でのお話に続き、少し怖いお話を、もうひとつお届けします。
ある日、
沖縄の米海兵隊司令官の邸宅(官舎)でおかしなことが起こり始めた。
昼夜に関わらず,軍靴の足音や、銃を扱うガチャガチャという音が聞こえるというのです・・・。
<司令官邸宅に幽霊が出る?>
司令官夫妻から,陸上自衛隊連絡官に呼び出しがあり、司令官室に連絡官がでむくと,司令官は少し戸惑った顔をしながら、次のように話した。
司令官:プライベートなことで恐縮だが,私の家(官舎)で少しばかり問題があって,妻が相談に乗ってほしいということなのだが,頼めるだろうか。
連絡官は,二つ返事でOKをだし,その足でモレノ通訳官とともに司令官の官舎を訪れた。
霊感が強く、硫黄島でミョ〜な経験をしたモレノ通訳官は、当時司令官の信頼も厚く,司令官夫人から、沖縄生活についていろいろと相談されるようにもなっていた。
連絡官が邸宅の玄関に入ると、最近、司令官に就任した夫とともに、邸宅のことをすべて取り仕切っている夫人が笑顔で迎え入れてくれた。
連絡官に続いてモレノ通訳官が玄関に入る際、挙手の敬礼をして入ると,周りの者が、モレノ通訳官の敬礼に驚いた。
連絡官が「ここはプライベートな場所だから,敬礼はいらないよ」と促すと,
その様子を見ていた司令官夫人が言った
夫人:モレノちゃん。あなた何か見えたの?
モレノ通訳官:玄関の横に兵士がいて,私たちに敬礼したので、返礼(敬礼を返すこと)しました!
その言葉に、周りの者は青ざめた・・・玄関に兵士はいない・・・・。
他の者には何も見えなかったからである。
通訳官:奥様。見えますか?
司令官夫人:見えるわよ。毎日同じ兵士みたい。私と夫(司令官)が家にいるときは玄関にいるし,私が庭いじりをしているときは,少し離れて見守ってくれているわ。
通訳官:でも、あまり海兵隊では見たことがない姿ですね。
モレノ通訳官の話によると、薄い茶色の帽子をかぶり、その帽子の後ろは、日焼け除けの布が垂れ下がっており、帽子と同じ色の軍服を着ている。軍靴(ブーツ)の上は、茶色の包帯がまかれているという。
それを聞いた陸上連絡官は叫んだ!
「旧日本軍の兵士だ!」
<米海兵隊司令官の邸宅>
ここで、今回のお話の舞台となった、海軍司令官の邸宅とはどんなところなのか、ご紹介します。
米軍キャンプ・フォースターのNO8ゲートから車で5分近く、小高い丘の斜面に建てられた、司令官の邸宅からは,素晴らしい景観を望むことができます。沖縄で有名な絶景スポットでもある「天国への階段」を登り切ったフェンスの中にあります。
邸宅のある地域は,沖縄海兵隊の高官の住宅地域。広大な敷地の中に,将校クラブ(Ofiicer’s Club)やフィットネスセンターもあり,軍のゴルフ場も隣接しています。
邸宅は、イタリアの大富豪の別荘を思わせるような作りで、裏庭からは、浦添市の街並みが一望でき、さらに湾へと絶景が広がっています。まさにイタリアのリゾート地のようです。
夜は、眼下に広がる町の照明が美しく映え、空を見上げると,信じられないくらいの星が瞬いています。邸宅の周りは,手入れされた森に囲まれ,プライバシーもしっかりと守られています。
玄関を入ると、広々としたリビングがあり、100名以上のパーティがひらける空間が開けています。司令官就任式のレセプションでは、沖縄の要人、政治家、実業家などで大層な賑わいでした。
そんな邸宅でのお話です。
<司令官邸宅に住むゴーストとは?>
沖縄のユタ(霊媒師・巫女)にも詳しいモレノ通訳官は、沖縄の友人のつてを頼りに相談に行った。そこから、司令官の邸宅に、沖縄でも有名なユタが招かれた。
モレノ通訳官とともに、司令官邸宅を訪れたユタは,開口一番,衝撃の事実を言い放った。
ユタ:二人いるね。一人は青い着物を着た男の子。もう一人は,日本陸軍の兵隊さんだね。青い着物の男の子は,キジムナーさ。家に住み着く妖精だから,やんくるないさ(沖縄方言:ほうっておけばいい)。奥様は,姿が見えるから,嬉しくていたずらをするのさ。
司令官夫人が、ハッと何かに気が付いて,寝室に入って、目覚まし時計を持ってきた。
夫人:この時計、時々勝手に動いて,壁にぶつかるの。その男の子の仕業なら、じゃあ,もっと丈夫な時計にしないといけないわね。
司令官夫人のジョークに場が和んだ。実際には,夫人は本気で言っているのかもしれない。
ユタが続ける。
ユタ:もう一人は,旧日本軍の兵隊さん。戦前からでここで守衛をしていたみたいだね。司令官の邸宅を日本陸軍の上官の官舎だと思って守っている。誰か軍の関係者がその兵隊さんに、戦争が終わり、任務も終わったことを告げなければ,ここを離れないね。
<本日をもって任務を解く!>
それを聞いた,陸上連絡官の動きは素早かった。沖縄自衛隊の司令部はじめ、防衛省にも連絡をとり,その日のうちに,旧日本軍関係の協力団体等の情報をゲットしていた。
協力団体の呼びかけに、存命の旧陸軍関係者が名乗りを上げ、司令官の邸宅で「ある式典」を行うことになった。
名乗りを上げたのは、沖縄在住の旧日本陸軍の隊長であった。
式典には、司令官,司令官夫人,陸上連絡官,モレノ通訳官が参加。
旧陸軍の隊長は、まず司令官と夫人に、「ご迷惑をおかけしています」といって丁寧に頭を下げた。
その際も、司令官夫人とモレノ通訳官には,玄関わきで,軍靴にゲートル*、銃を携えて直立する兵士の姿が見えていた。
場の緊張感が旧軍兵士にも伝わり,緊張した感じだという。
*ゲートル・・・旧日本軍が採用した脛(すね)を保護するために巻く包帯のようなもの
関係者一同が整列した前で,旧陸軍隊長が声を振り絞って告げた。
「本日付けをもって、貴官の任務を解く!!」「解散!!」
兵士は,俊敏な敬礼をした。
ようである、モレノ通訳官曰く。なにぶん他の者には見えないので。
戦後何十年も守衛を続けた兵士の霊は、隊長の命令を聞き、きっと靖国神社へ帰っていったであろう。
兵士の姿が見えていた、モレノ通訳官の目からは涙がこぼれ落ちていた。
陸上連絡官は、その横で一人つぶやいた。
「沖縄は,青い海,青い空,太陽のリゾート地であるが,その一方で戦時中は激戦地であった。そんな戦争の歴史を忘れてはならない。沖縄県民を二度と戦火にさらさないように,我々自衛隊はここにいる」と。
すると,夫妻の寝室の方で,ガチャ!という音がした。
司令官夫人は笑みを浮かべながら,「いたずらが好きな子ね。あなたは,そこにいていいのよ。」とキジムナーにほほ笑んでいた。
邸宅を守る日本軍兵士の霊、家に住み着くキジムナー、霊をとりもつユタ(霊媒師)。沖縄には、自然崇拝や、スピリチャルな面でも独特な文化や習慣があります。
沖縄へ旅行されたときには、この話を思い出してみてください。あなたにも何か見えるものがあるかもしれません。
執筆家・英語教育・生涯教育実践者
大学から防衛庁・自衛隊に入隊。10年間のサバイバル訓練から人間の生について考え、平和的な生き方を模索し離職を決断する。時を同じくして米国国費留学候補者に選考され、留学を決意。米国陸軍大学機関留学後、平和を構築するのは、戦いを挑むことではなく、平和を希求することから始まると考えなおす。多くの人との交流から、「学習することによって人は成長し、新たなことにチャレンジする機会を与えられること」を実感する。
「人生に失敗はなく、すべてのことには意味があり導かれていく」を信念として、執筆活動を継続している。防衛省関連紙の英会話連載は、1994年1月から掲載を開始し、タモリのトリビアの泉に取り上げられ話題となる。月刊誌には英会話及び米軍情報を掲載し、今年で35年になる。学びによる成長を信念として、生涯学習を実践し、在隊中に放送大学大学院入学し、「防衛省・自衛隊の援護支援態勢についてー米・英・独・仏・韓国陸軍との比較―」で修士号を取得、優秀論文として認められ、それが縁で定年退官後、大規模大学本部キャリアセンターに再就職する。
修士論文で提案した教育の多様化と個人の尊重との考えから、選抜された学生に対してのキャリア教育、アカデミック・アドバイジングを通じて、キャリアセンターに新機軸の支援態勢を作り上げ、国家公務員総合職・地方上級職、公立学校教員合格率を引き上げ高く評価される。特に学生の個性を尊重した親身のアドバイスには、学部からの要求が高く、就職セミナーの講師、英語指導力を活かした公務員志望者TOEIC セミナーなどの講師を務めるなど、大学職員の域にとどまらぬ行動力と企画力で学生支援と教員と職員の協働に新たな方向性をしめした。
生涯教育の実践者として、2020年3月まで東京大学大学院教育研究科大学経営・政策コース博士課程後期に通学し、最年長学生として就学した。博士論文「米軍大学における高等教育制度について」(仮題)を鋭意執筆中である。
ワインをこよなく愛し、コレクターでもある。無農薬・有機栽培・天日干し玄米を中心に、アワ、ヒエ、キビ、黒米、ハト麦、そばを配合した玄米食を中心にした健康管理により、痛風及び高脂質血症を克服し、さらに米軍式のフィットネストレーニング(米陸軍のフィットネストレーナの有資格者)で筋力と体形を維持している。趣味はクラッシック音楽及びバレエ鑑賞。
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