#3のおさらいはこちらから
https://worldlife.jp/archives/1335
#4『自由を求めそしてフュージョンへ 1960-1980』
1960年前半には、ファンキージャズのオルガン奏者ジミー・スミスらが、パーカッシブなサウンドでソウルフルな音楽を作り続けていて、また、ストレートアヘッド、と言う呼び名でこの頃隆盛を極めた、モダンジャズの帝王マイルス・デイヴィスはここで飽きたらず、ますます実験的にいろいろなことにトライしていきます。
今までコードに重きを置くあまりアドリブにも制限が出たり、毎回曲のあたまに戻ってアドリブを繰り返すのを単調だと感じ始めたマイルスは、そのコードの制約から逃れるために、アドリブをコードではなくスケールで考えようとしたのがモード方法です。So What と言う曲が有名ですので、興味のある方はぜひ聴いてみてください。
そして同じく、個性を爆発させたいと考えるミュージシャンたちは、もっと自由な奏法を求めて、フリージャズという波が生まれます。ベーシストにしてバンドリーダー、チャールズ・ミンガスや、エリック・ドルフィー(サックス)、そしてオーネット・コールマン(サックス)などの台頭です。日本ではフリージャズピアノの山下洋輔さんといえば、ご存知の方も多いと思います。
1970年(日本で初めて大阪万国博覧会が行われた)代になると、この頃からマイルスを始めハービー・ハンコックやチック・コリア、ウエイン・ショーターとジョー・ザビヌル、トニー・ウイリアムスらが、エレクトリックサウンド(シンセサイザー)などを使い始め、ロックンロールのエイトビートや黒人音楽のファンクを取り入れたり、クロスオーバーと言われる最新のカッコいいジャンルが世界中に大きく広がります。これが後にジャズフュージョンとして、テンポも快適で聴き心地が良いので皆さんにもお馴染みかもしれません。日本では、渡辺貞夫さんや日野皓正さんが、テレビのCMでとてもポピュラーにしてくれました。懐かしいですね、資生堂や、サントリーウィスキーです。
私のNYのLiveに来てくださった日野さんです☆
そして1980年代。この機を軸として、ニューヨークでは昔のジャズに戻そうという揺り戻しの動きが、強く見られ始めます。この続きはぜひ次回に。
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。