【World Life】とは?
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ジャズ・ヒストリー #3

World Lifeな生活
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#1、2のおさらい

アメリカの南北戦争終了後、南部ニューオリンズでジャズが生まれ、1917年には第一次世界大戦の影響を受け、ニューオリンズでの演奏場所を剥奪されたジャズミュージシャンたちは、シカゴやニューヨークにやって来ます。そこでは戦後の好景気や禁酒法にうまく巻き込まれ、ピアノジャズが発展していき、ジャズを演奏する場に多く恵まれその波はどんどん広がり、1930年代には大きな編成のスイング・ビッグバンドが、隆盛を極めました。

#3『ビバップからハードバップへ、ジャズ黄金期 1940-1960』

さてそして1940年代、今度は、ドイツの独裁政治に押し切られる形で第二次世界大戦が始まります。アメリカの参戦は1941年、多くの若手ミュージシャンたちも、ドイツのヒトラーに物申すとばかり戦地に赴き、このためビッグバンドの成立が難しくなり、ジャズの形態は少人数の編成へと変わっていきます。



ピアノの巨匠セロニアス・モンクやディジー・ガレスピー(トランペット)、チャーリー・パーカー(サックス)、アート・ブレイキー(ドラムス)等は戦争には行かず、アンダーグラウンドで彼ら独自のスタイルを研究し、アートフォームとなり得るモダンジャズ、ビバップ(まず曲のテンポが早く、原曲のコード進行に代理和音を使ってリハーモナイズしたり、テンションを複雑に絡めたハーモニーの上に、半音階などを用いて細かく速いアドリブを行うもの)へと1連の流れを作りました。

そしてそのムーブメントを突き進むように、終戦後、祖国アメリカに戻ってきたミュージシャンたちも、このニューヨーク・ハーレムのジャズクラブでの熱いジャムセッションに続々と参加し、超絶技巧を編み出して行きます。バド・パウエル(ピアノ)、ソニー・ロリンズ(サックス)、マックス・ローチ(ドラムス)、ロイ・ヘインズ(ドラムス)、レイ・ブラウン(ベース)らも加わり、それはアメリカのあちこちへ、飛び火して行きました。

それまでは、ダンスや歌手のバックミュージックとして広まっていたエンターテイメントとしてのジャズから、今度はクリエイターによるアーティスティックなサウンドへと、アートフォームとして、変身を遂げて行きます。

そして後に「ジャズの帝王」と呼ばれるマイルス・デイビスがクールジャズ(ビバップと比べると、編成も少し大きめのバンドにしたり、極早のテンポを少し緩めたり、温度も熱めから少し下げて聞きやすくし、より音楽的な面を充実させた) が、心地良いウエストコーストの白人によるジャズ、チェット・ベイカー(トランペット)、スタン・ゲッツ(サックス)、ジョージ・シアリング(ピアノ)等への流れを見出したように見えました。

しかしながら1950年以降の東海岸では、このマイルス・デイビスによってそれがハードバップ(ビバップから派生したものであり、黒人特有のゴスペル色やブルース色の強いもの)として、ニューヨークでしっかりとモダンジャズの全盛期を作っていきます。

このモダンジャズをゆるぎなくしたのは、マイルスの弟子でもあったジョン・コルトレーン(サックス)や、ソニー・ロリンズ(サックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ビル・エヴァンス(ピアノ)、ウイントン・ケリー(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、クリフォード・ブラウン(トランペット)、デクスター・ゴードン(サックス)、ウェス・モンゴメリ(ギター)、チャールズ・ミンガス(ベース)、アート・ブレイキー(ドラムス)、ホレス・シルバー(ドラムス)ら。素晴らしいミュージシャンたちが溢れていたこの時代、20世紀を代表するアメリカンアートとも言うべきモダンジャズの有名なアルバムを、次々に完成させていくのです。

さてそしてこの後1960年代は、ぜひ次回をお楽しみに。ジャズはこの後もいろいろ派生して形を変えながら、フロンティアとしての黒人音楽のスピリットを今でもずっと、現代社会に伝え続けます。

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