硫黄島。クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」を観た方は,「いおうじま」と読まれると思います。現在,「いおうとう」が正式な表記となっています。米海兵隊は,「Iwo Jima」と呼んでいます。
硫黄島は、東京都です!東京都小笠原村に属し,都心から1,200㎞南方の太平洋にあります。海上自衛隊と航空自衛隊基地があり、基地関係者以外の民間人は許可なく立ち入りができません。
l私は,硫黄島へは10回以上いっております。硫黄島訪問は,いつも海兵隊員と一緒でした。
なぜ,陸上自衛官が硫黄島に海兵隊員と一緒に,頻繁に訪問していたのでしょうか。それには、誰も思いつかないような,海兵隊将軍の超~面白い計画があったからです。
米海兵隊硫黄島研修を命ずる
ある朝,いつも通りに沖縄の高速道路を走行し、キャンプ・コートニー海兵隊基地に通勤の途上携帯電話が鳴った。那覇市からうるま市のキャンプ・コートニーまで、約1時間のドライブ。
米海兵隊のカウンターパートである先任アドバイザーからの電話だった。「あと10分ぐらいで着くので,到着次第コールバックする」と手短に状況を伝え電話を切る。
先任アドバイザーとは,司令官に対して,直接アドバイスができるSergeant Major(サージャント・メジャー:最先任上級曹長)のことであり,要職である。
部屋に入ると「コーヒーでもどうだ」と言いながら着席を促す。「ビールだったら、いただくよ!」と軽口を叩くが,反応がない!(海兵隊員には,こういったジョークは通じない!)
「硫黄島は知っているか。我々の神聖な島(holly island)だ。」と先任。「我々の?聖地というよりは,激戦地だと思うけど,お互いにね」先任の目がきらりと光る。
「流石,よくわかっているじゃないか。硫黄島の戦略・戦術は研究したことがあるか。」と聞かれ、「軍人として常識程度はね」と答える。(実は、超~詳しい!)
先任:「実は,3週間後に,硫黄島に一緒に行ってもらいたい。」
私:「どうやって?輸送手段がないだろう。」(自衛隊が駐屯しており、入島するには許可がいる)
先任:「海兵隊のC130で行く」
私:「え?あんなバカでかい輸送機に二人で乗り込むのか」
先任:「海兵隊員約50名と一緒に行く」
私:「何のために?」
先任:「史跡研修だ。硫黄島の戦いの戦史研究にいきたいのだ」
私:「おお。陸軍のスタッフライド,つまり現地研究だな。」
先任:「陸軍は知らん。呼び方は違うが,そんなものだ。」
私:「だったら,OK。一度は行きたいと思っていたところだから願ったりかなったりだ。」
先任:「行くだけじゃない。現地で日本軍のoperation(作戦)を説明してほしい。」
私:「mmmm…………」
司令官は,旅行代理店VIP担当
先任と私で米海兵隊側の作戦と日本軍の作戦を分担し,現地において説明を対比させて,硫黄島の戦いを戦闘について知らない海兵隊員に深~~く理解させるという取り組みであった。
3日後,早朝に携帯電話が鳴った。同じく先任からだ。朝一で執務室に出向く。いつものあまり旨くないコーヒーの勧めもなく,向かいの司令官室に連れていかれた。
開口一番,
”Thank you for taking on duty of PME( Professional Military Education) on Iwo Jima for marines”
(硫黄島研修引き受けてくれてありがとう!)
と満面の笑みで司令官から握手を求められた。
“Absolutely ,General! I’m humbled and greatly honored to be a briefer,Sir”
(もちろんですとも。過分なことで,ブリーファーを任ずることは、非常に光栄に存じます)
海兵隊式に、最上級の社交辞令をのべる。
海兵隊の社交辞令は、次のような言葉を用いる。
“Absolutely”,
「完全に」は慣用句で、「気分は最高である!その通り!まったく同意する」ということを相手に伝えることができる。
“I’m humbled”
「自分は謙虚である。分をわきまえている。スタンドプレイをしていない。」という自戒の言葉,自分は誠実な人間であることを強調する。
“I’m honored”
このような機会をいただき「非常に光栄である」と相手を持ち上げる。
これが,上司に報告するときのひな形となる。
こういったコミュニケーションの文化は,アメリカのいろいろな職業の中にも存在するので,いち早くそのパターンを理解するのも、コミュにケーション術の秘訣でもある。
その日から,私のメールボックスに,司令官のCCが届くようになった。「硫黄島研修のご招待について」という題名で書かれたメールには,次のように書かれていた。
「日米の優秀なブリーフ・スタッフが揃ったので,硫黄島研修を実施したい。ついては,貴官の都合を教えられたい。」第3機動展開部隊司令官兼在日米海兵隊司令官(兼VIP旅行代理店?!)
「貴官」とは,英語ではyouと表記されているが,アジア・インド・太平洋地域に所在する司令部の陸・海・空・海兵隊の部隊の将軍(General;陸・海・空軍,Admiral;海軍),超VIPである。
前代未聞の硫黄島ツアー:Bunker to Bunker Tour
Bunkerとは軍事用語で,「掩体壕」を示し,敵の爆弾(砲弾)から身を守るために,地中に穴を掘って作った安全な場所のことです。硫黄島全島に日本軍が掘った交通壕(3.2km)と棲息壕(12.5km)は,総延長が,なんと約18㎞!
先任は,誇らしげに硫黄島ツアーの命名を私につげた。“bunker to bunker tour”(壕から壕ツアー)である。さらに,金刺繍した戦闘小物入れ(研修時に使う書類などを入れる吊り下げカバン)をプレゼントしてくれた
日本の関係資料及び英文の資料を読み漁り準備を整えた。先任とは,説明場所とポイントを確認し,日米がどういう作戦で戦ったかをリアルに説明できるようにすり合わせをした。
例えば,米軍側が「その日は朝から冷たい雨が降っていた」と説明すれば,日本軍は,「恵みの雨が降り,飲料水を確保することができた」といったように説明する。なるほど!
硫黄島の戦いは、両国にとっても非常に重要な戦いとなった。米軍が圧勝のような漠然としたイメージがあるかもしれない。ワシントンDCには、摺鉢山(すりばちやま)に星条旗を立てた巨大な立像が立っている。
だが、死者・負傷数の合計は、この戦いが唯一、米軍が上回ったのである。日本軍戦死者・行方不明者20,129名、米軍は、死者6,821名,負傷者21,865名,合計28,686名であった。
後世に残したい言葉
切れ者の司令官は,日米のブリーファーにそれぞれの国の作戦を詳細に語らせるだけではなく,一つのキーワードを期待していた。それは何かと問うたが「貴官が考えてくれればよい」であった。
私は,研修の締めくくりを任された。心にフレーズが浮かんだ。研修の都度,私は次の言葉を口にした。
“ We will never do it again! ”
(二度とこのようなことをしてはならない!)
である。
it(このようなこと)とは,海兵隊員個人へのメッセージである。海兵隊員自身が一番印象に残った「してはならぬこと」を意味する。それぞれの海兵隊員が抱く戦闘への思いである。
「戦争をしてはならない」,「日本と戦ってはならない」などいろいろな考えがある。その”it”に込められた無限の言葉の意味が,英語の深さだと確信している。
私に,硫黄島研修のブリーファーを命じた司令官は,退官後,米国防総省次官補(副大臣クラス)に大抜擢され,オバマ政権の国防政策の中枢をになった。
日米の安全保障政策にも影響を与え,現在も国際コンサルタントとして活躍している。だが、凄腕のVIP旅行代理店担当者がいなくなった今, Bunker to Buner Tour の研修旅行は存在しない!
参加した何百人の海兵隊員の心に,” We will never do it again!” が響いていることを願っている。
執筆家・英語教育・生涯教育実践者
大学から防衛庁・自衛隊に入隊。10年間のサバイバル訓練から人間の生について考え、平和的な生き方を模索し離職を決断する。時を同じくして米国国費留学候補者に選考され、留学を決意。米国陸軍大学機関留学後、平和を構築するのは、戦いを挑むことではなく、平和を希求することから始まると考えなおす。多くの人との交流から、「学習することによって人は成長し、新たなことにチャレンジする機会を与えられること」を実感する。
「人生に失敗はなく、すべてのことには意味があり導かれていく」を信念として、執筆活動を継続している。防衛省関連紙の英会話連載は、1994年1月から掲載を開始し、タモリのトリビアの泉に取り上げられ話題となる。月刊誌には英会話及び米軍情報を掲載し、今年で35年になる。学びによる成長を信念として、生涯学習を実践し、在隊中に放送大学大学院入学し、「防衛省・自衛隊の援護支援態勢についてー米・英・独・仏・韓国陸軍との比較―」で修士号を取得、優秀論文として認められ、それが縁で定年退官後、大規模大学本部キャリアセンターに再就職する。
修士論文で提案した教育の多様化と個人の尊重との考えから、選抜された学生に対してのキャリア教育、アカデミック・アドバイジングを通じて、キャリアセンターに新機軸の支援態勢を作り上げ、国家公務員総合職・地方上級職、公立学校教員合格率を引き上げ高く評価される。特に学生の個性を尊重した親身のアドバイスには、学部からの要求が高く、就職セミナーの講師、英語指導力を活かした公務員志望者TOEIC セミナーなどの講師を務めるなど、大学職員の域にとどまらぬ行動力と企画力で学生支援と教員と職員の協働に新たな方向性をしめした。
生涯教育の実践者として、2020年3月まで東京大学大学院教育研究科大学経営・政策コース博士課程後期に通学し、最年長学生として就学した。博士論文「米軍大学における高等教育制度について」(仮題)を鋭意執筆中である。
ワインをこよなく愛し、コレクターでもある。無農薬・有機栽培・天日干し玄米を中心に、アワ、ヒエ、キビ、黒米、ハト麦、そばを配合した玄米食を中心にした健康管理により、痛風及び高脂質血症を克服し、さらに米軍式のフィットネストレーニング(米陸軍のフィットネストレーナの有資格者)で筋力と体形を維持している。趣味はクラッシック音楽及びバレエ鑑賞。
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