人間関係ってメンドクサイ・・・
誰もが思ったことがあるのではないでしょうか。
そういう私ももちろんあります。
特に日本での人間関係。
ご近所であったり,仕事や友人であったり。
私自身が,「自分」という人格形成途中であった若い年代での海外生活の経験からなのか,時折,日本人の人間関係に対してちょっと疲れてしまうときもあるのです。
そんなときに私が参考にするのは…
「アメリカ人の考え方」。
ご存知のように,アメリカで生活するには「自分」というものをしっかりと持っていることが大切になってきます。
「自分の気持ちはどうか」
「自分の考えはどうか」
など,仕事においてもプライベートにおいても「自分を持つこと」が大切。
そして,それを「お互いが受け入れる」環境も整っているように思います。
例えば,日本で先輩や上司に何かを頼まれたとします。
あなたは「それは自分の仕事ではないし,なぜそれを自分がやらなきゃならないんだ?」と不満に思ったとします。
でも相手は「先輩や上司」。
非常に断りづらいですよね。
だから,多くの日本人の場合,「仕方ない。気まずくなるのも嫌だからやろう」という選択をする。
そう思う人がほとんどなのではないでしょうか。
―でもアメリカだと・・・―
ここで,
「それは何故私がやる必要があるのですか?」
とまず,自分が納得できるような説明を求めるのがアメリカ。
その説明で納得すれば受ければ良いし,納得できなければハッキリと
「それは私がすることではなく,○○の方が適切だと思います。」のように断るのです。
「でも断ったら,先輩や上司の機嫌が悪くなったり嫌われたりするんじゃない?」
そう思う人もいると思います。
しかし,そこは心配いりません。
アメリカでは,「ちゃんと自分の意見を持っているな。」と評価されることの方が多いのです。
―自分の意見同様,人の意見も受け入れるー
「あいつ,付き合い悪いなぁ。」のように,飲み会などを断った時に聞くようなこのセリフ,アメリカでは基本的に聞きません。
だって,「行く,行かない」は個人の自由じゃないですか。
だから,「人の自由」に踏み込むということは基本的にはないのです。
もちろん,すべてのアメリカ人がそうだとは限らないと思いますが,過去から現在に至るまで,私はそのようなアメリカ人に出会ったことがないのです。
アメリカでは,もしお互いの意見がぶつかり合ったとしても,
「自分はこういう考え」
「私はこういう考え」
のように,基本的には「考え方の違い」であり,たいていの人は「大人であればお互いの考えを受け入れよう」とする人が多いです。
しかも,きちんと話し合うことのできる人が多い。
私自身,仕事でもプライベートでも,誰かと意見がぶつかり合ったり口ゲンカになったりした場合,きちんと話し合ってお互いの考えを理解し合うようにしています。
でも日本人の場合,残念ながら「話し合い」ができない場合も多いんですよね。
意見が違うだけなのに,「私の人格を全否定された」と陰で別の人に言ったり,ふてくされて無視したり。
なかなか難しい日本人の人間関係ですが,アメリカの場合は基本,「考え方の違い」なので,根に持ったり引きずったりせず,話し合えばすぐに普通の関係に戻ることができるのです。
―自分よりも世間を気にする日本人―
日本では,「自分」というよりも「みんな同じ」が大切だったり,「世間の目」を気にしたり,「自分以外の周り」を重要視しているような気がするのです。
「本当はこうしたいけど,世間体を考えるとできない。」
「嫌だけど,やらないと気まずくなっちゃう。」
このように,「周りの目」を気にするのです。
少しでも周りと違った考え方,意見を持つと眉を顰められたり,ちょっと髪の毛の色を派手目に変えるとヒソヒソと噂されたり。
多くの日本人は自分自身のことなのに,近所や付き合いの中で,「自分がどう思われるか」を極度に気にする傾向にあると思うのです。
突然ですが,私は数年前に「あること」をやめました。
年末の忙しい時期に,大量の印刷をしたりメッセージを書いたりする「アレ」です。
ちょうど,私が勤めている会社でも「社員同士,送り合うのはもうやめましょう。」となったのをきっかけに,プライベートで送るのもやめたのです。
すると,一気に受け取る枚数も減りました。
そうです。
世間から放されたのです(笑)
日本の風習と言われればそうなのですが,今は様々な方法で新年の挨拶ができる時代。
親しい人とはいくらでもやり取りできるし,時間に追われ,焦りながら作業をすることって本当に必要なのか?と疑問だったので,「やめる」という結論に至ったのですが,これに対して,色々と意見してくる人もいます。
そういう考えも理解できるし,それらを踏まえて止めたのも自分の考え。
自分としては年末に余裕ができたのは大きなメリットでした。
―「世間」と「社会」―
作家であり演出家である鴻上尚史氏が「世間」と「社会」をこう定義づけていました。
「世間」とは,近所や職場,自分と利害関係のある人たちのことであり,日本特有のもの。
「社会」とは,駅や街中ですれ違う,自分とは利害関係のない人たちのこと。
そうなんです。
日本人は,世間を気にしすぎて「近所の人や会社の人にどう思われるか・・・」という考えがとても重要。
だからできるだけ「世間」では良いイメージを保とうとするんですね。
しかし,「社会(他人)」となると無関心。
駅で人が困っていても,見てみぬフリをする人も多い。
それは自分とは関係のない人だから。
でも,これからの日本は,もっと「社会」に目を向ける必要があるのではないでしょうか。
悪く思われることを恐れるがゆえ,自分を押さえてまで気を使う「世間」に対し,関係のない「社会」では他人に無関心。
それではあまりにも寂しすぎる気がします。
「自分の考えや信念もしっかりと持ちつつ,他者の意見も受け入れる」。
そう心がけることで,「世間と社会のギャップが小さくなり,自分も他人も自然に大切にできる」のかもしれません。
そろそろそんな日本にしていく必要があるのかもしれませんね。
英語教材開発・制作者
米国留学から帰国後、幼児・児童英語教師を経て、中学・高校英語、受験英語、時事英語等多岐にわたる指導を行い英語教師経験を積む。また、ホテル勤務での実践英語経験を積んだり、カナダにて現地の子どもたちの英語教育にも携わりながら、CertTEYL(世界での児童英語講師認定コース)の認定を受ける。さらに、青山学院大学でTutoringの研究員としても活動。英語講師養成のeラーニングコースの日本での立ち上げメンバーとなる。「現場での経験を教材に活かしたい!」と、現在は英語教材開発会社にて日々教材開発に勤しむ。高校入試用のリスニングトレーニング教材(塾・学校向け)は累計10万部以上のベストセラーとなる。英語教材開発の傍ら、全国の英語教師への研修なども行う。また、土堂小学校(広島県尾道市)での英語指導や、初の民間校長として一躍時の人となった藤原校長(当時:杉並区立和田中学校)が手掛けた英語コースの指導に2年間携わるなど、英語教育に関する多様な分野で活躍。大の犬好きから、ホリスティックケア・カウンセラーなどペット関連の様々な資格を取得し、ペットライターとしても活動中。