Hello everyone.
Noriです!
テキストでお伝えしている、海外に住んで分かる「日本人が凄い理由」。
今回の“凄い”は、「食べ物への感謝を常に忘れない!」ということです。
日本人って、必ず食べるときに「いただきます」、終わったら「ごちそうさま」って言いますよね。
これ、学校でもちゃんと教えられます、べつに宗教に関係なくね。
海外では、キリスト教の方で信仰が深い人は食前のお祈りをしますが、他の宗教ではあまり見かけません。
それに比べて日本では、宗教色が強いわけでもないのに、小さな子どもから大人まで、みんな自然にやっている。
ファーストフード店でも手を合わせて「いただきます」って言っている人、いますよね。
私は外で手掴みで食べるようなもののとき、ついそのまま食べちゃって、「あ、言うの忘れたな」と思うことがたまにありますが、やっぱりよくないなと思って、なるべく「いただきます」と言うようにしています。
欧米に長く住んでいると、キリスト教が強い人以外は、ほとんどそういうことをしません。
逆に日本人は、ほとんどの人がします。
しかも不思議なのは、和食のときほど「いただきます」って言いたくなるんですよね。海外でもね(笑)
さすがにバーベキューに招待されて、皿に肉や野菜をババーッと盛られたときは、そのままかぶりついちゃいますけど(笑)。
でも本当は、それもちゃんと「いただきます」って言わなきゃ、と思うんです。
って、言わないと良くないな、って思うことが、日本人ってすごいな、と思うんですよ、自画自賛ですけど(笑)
海外だと普通はそんなことに罪悪感もない。
「肉、野菜、食え!」みたいな感じじゃないですか。
ですから、日本人のすごいところは、やっぱり食べ物に対する感謝。
これがちゃんとできているということなんです。
これは世界でも、こういう感覚を持っている人は少ないですね。
もちろん、飢えている国では「やっと食べられる」という食べ物に対しての感謝はあるでしょうけど、日本って、飢えてないじゃないですか。
飢えるどころか、食べ物を、ほんとはよくないんですけれど、たくさん捨てちゃってる。
今の日本では、食べ物に困った経験のない人がほとんどですよね。
私の親の世代は大変な時期があって、食べ物がない時代もあったみたいですが、今の70代、団塊の世代以下の人たち――日本の大多数は、飢えに苦しんだことがない人たちだと思います。
それにもかかわらずですよ、ちゃんと食べ物に対する感謝の気持ちを表して、食事をするということがどんなに凄いことかと。
どんなに素晴らしい民族であるかということをですね、もう一度考えてみてほしいです。
言われてみればそうだけど、言われないとわからないでしょ、こういうのって。
当たり前にやってますからね。
日本人が当たり前にやっていることで凄いということが、実はたくさんあるんです。
それを今回ね、こういう形で、私が違う視点から皆さんに報告しているんですけど。
食べ物に対する感謝を忘れないと。
そしてすごいのは、少ない食べ物を多くの人数でもらったときに、普通は奪い合うんですが、
日本人って、東北大震災の時も、熊本の時もそうですけど、分け合うんですよ。
これがまたすごいですね。自分だけ独り占めしないんです。みんなで分けて食べると。
だから避難所なんかでちょっと多めに食事持っている人なんて、他の人に分けたりとかね。
私がこう言ったら自分でもそうするな、と思っている人もいるでしょうけど、世界はそうならないんです。
もう援助物資奪い合いますからね。映像を見ていたらわかりますけど。
だからアメリカ軍がびっくりしたと。日本に燃料物資を配り、東北行ったらみんな並んで、何の混乱もなく受け取ったっていうね。みんなでちゃんと分けるわけですよ。
どこが多いとか少ないとかならないようにね。
逆に子どもとかいたら、「どうぞそっちお宅先に食べてください」とかね。
そんなことをやるんですね、日本人って。
やりそうでしょ、皆さんも。私は必ずやります。僕は食べなくていいから。赤ちゃんいる人がいたら、僕の分も食べて。水だけ飲んだときは2週間くらい食べなくても死にませんから。
って思うんですよ。
これが日本人のすごさですよね。
ですから、本当にこの国に生まれてよかったな、というのは、食べ物の感謝を忘れないというところ。
小さいことのようですが、とても大きいことなんですね。
そういうわけで今回の日本人のここがすごいは、「いただきます」「ごちそうさま」をちゃんと言う、つまり食べ物への感謝を忘れないということです。
ちなみに「いただきます」っていうのは、「お命いただきます」と、植物であったり、生き物だったり、そういう意味もあるそうです。
素晴らしい料理をいただきます、という意味もあるでしょうけどね。
それぐらい深い感謝の気持ちでした。
それではまた次回
See you next time.
昭和37年8月5日、福岡市博多区生まれ。26歳で渡米。飛行学校に入るが英語ができないためアメリカ人の教官から「帰れ」と言われながらも、ノルウェー人の教官に救われ、3ヶ月で英語ペラペラになる。あまりに英語が話せるようになったので、1年後にはアメリカ人を教える飛行教官になる。その後、全日空の同時通訳を務め、武蔵野学院大学准教授、名古屋大学理学部外部講師や、海上自衛隊将官トップマネジメントセミナー講師等も務める。自身が主催した「本城式英会話スクール」の受講生は1万人を超える。生い立ちから、現在に至るまでの詳細、また著書、講演履歴等はこちらから

