<エクセルで驚愕!>
Excel selects the cells.
(エクセルがそのセルを選ぶ)
日本語訳を読むと、「ん?」と違和感を感じるのではないでしょうか?
これは、以前あるエクセルの本を読んでいたときに、私が思ったこと。
他にも、ページをパラパラめくっていくと
各操作の説明の後に
Excel fills the range with the initial cell value.
(エクセルが範囲を最初のセルの値で埋める)
Excel adds it to the range.
(エクセルがそれを範囲に追加する)
Excel saves the document.
(エクセルが文書を保存する)
という具合。
ああ、そうか、
最後の例でいうと、直前に”Save”とあるのですが、それは「保存」ではなく、「保存しろ」という命令文。
誰に対する命令文だったのか…何と「Excelさん」への命令だったんですね。
そういうわけで
Excel saves the document.
(エクセルさんが文書を保存する)
もう知っていました?
私は初めて気づきました。
「エクセルが~する」
英語ではこう言い方だったんだ!
PCを長い間使ってきたのに今の今まで気が付きませんでした。
<アプリって結局…奴隷?>
英語のマニュアルはExcelしか手元になかったのですが、
これは多分
Excelさんだけに限った話ではないんです。
英語のアプリは例えば
「おいWord、 ~をしろ(゚Д゚)ノ」と命令すると
Word君が~をする
というパターン
つまりPC操作の基本は
「A(アプリやソフトの名前)よ、~しろ(゚Д゚)ノ」
(すると)Aは~をする。
こういうパターンだったのです。
何だか急にPCの中で物言わぬ「人たち」がぞろぞろそこにいたのか!という感じがしませんか?
「~しろ」と言われて、無言でさっとそれを実行するservants(召使), slaves(奴隷)。
何だか気味が悪くなったと言えば、差別発言になる?
何の差別?もしかして人間がマシーンを差別するしないという話か…
<「ダら~っと自然に~」の日本語?>
ややこしくなりそうですので、
じゃあ日本語ではどうなってたかなと思ってももう古いマニュアルは捨ててしまってない…かろうじてExcelマクロに関するマニュアルが一つ。それを見ると、
…『コンテンツの有効化』をクリックします。
マクロが有効になります。とか
《実行》をクリックします。
マクロが実行され、フォントサイズとが変更されます。とかあるので、日本語のマニュアルのパターンは
~をします。
~がされます。 あるいは
~をします。
~になります。
というようなパターンになりそうです。もちろん手元にあるものだけからですので強引な印象をお与えしたなら、お許しを。日本語と英語のマニュアルの表現の差を比べると
<日「なる」vs英「する」>
<日本語>
~をします ⇒~になります。~されます。
<英語>
~をしなさい。⇒(アプリ/ソフト)が(何かを)~します。
これ面白いですよね。
私には日本語は何だかだんだん使い手が導かれていくというのか、自然にそうなるっていう雰囲気。英語の方は召使に何かバシッと命令すると、そのアプリが人みたいにすっと素直に何とかする、と言う感じがします。
これには私、繰り返しになりますが本当に驚きました。読んでくださっている中にも意外に感じてくださっている方々がいないでしょうか。
思いもかけなかった所に違いが潜んでいた!
しかも、PCというデジタル機器で!ハードやソフトの部分でもどこの国でも大きな違いはないんだろうけど、何だか実に意外な所で、そんなに違っていたか!という思いです。万国共通というような何気ないイメージを持っていたんですが、「ボーっと」使ってただけだったのかも。誰かに怒られそう。
英語のこういう人っぽく「生生しく」捉えるやり方って他の表現でもないかなと思ったのですが、ありました。ありました。
例えば
This bus will take you to the station.
(このバスに乗れば駅に行けるでしょう)
ああそうだ、確か文法の時間や入試英語では「無生物主語」とか「物主語構文」とか言う所でやった所だなって思い出す人もいらっしゃるかな。いないか。
でもこの違いは何なのでしょうか?
もし言葉の枠組みにも使う人たちの無意識の発想とか思考パターンが現れるとしたら、
違う言語には違う発想が隠れていると考えるのが自然です。
日本語に隠れている発想は「何かが自然に….なる、される」、英語の方は「人が~を(意図的に)する」と言う発想の気がしますよね。
・日本語 何かが自然に~なる
・英語 人が~を(意図的に)~する
考えを広げてみると、
日本語の方は何だか、自然にそうなったので、どうしても仕方がなかったんだよ、裏を返せば私に責任はないよとかというとらえ方と相性が良くなるのに対し、英語の方ははっきり人が責任もってわざとやるぞ!と断言する感じと結びつきやすいかもしれません。
<言葉はメガネ>
私メガネをかけてもう50年近い。ほとんど体の一部になっています。
でも気づきにくいけど、誰もが絶対にかけているメガネがあります。それは
日本語
話すこと見えること、周りの様子はみんなこのメガネフィルターを通過します。
だからおもしろいとは思いませんか、どんなメガネなのかを知ること。
「日本語がどんなメガネかなんて分からな~い!」大丈夫、大丈夫。
そういう時に、別の眼鏡である英語をちょっと試してみればいいんです。
英語という別のメガネ、今回のかけ心地はいかがでしたでしょう?
<最後のまとめ>
思わぬ所に隠れていた文化の差、
考え方・感じ方への影響もありそうだ…という今回のお話でした。
それではSee you again! Take care!
Jiro
私立学校に英語教師として勤務中、40代半ばに差し掛かったころ、荒れたクラスを立て直す策として、生徒に公言して英検1級に挑戦することを思い立つ。同様の挑戦を繰り返し、退職までに英検一級(検定連合会長賞)、TOEIC満点、国連英検SA級、フランス語一級、スペイン語一級(文科大臣賞)、ドイツ語一級、放送大学大学院修士号などの成果を得る。
アメリカで生徒への対応法を学ぶ為に研修(地銀の助成金)。最新の心理学に触れた。4都県での全発表、勤務校での教員への研修を英語で行う。現在も特別選抜クラスの授業を全て英語で行っている。「どうやって単語を覚えればいいですか?」という良くある質問に答える為、印欧祖語からの派生に基づく「生徒には見せたくない語源英単語集」を執筆中。完成間近。常日頃洋書の読破で様々な思考にふれているが、そうして得た発想の一つを生かして書いた論文がコロナ対策論文として最近入賞。賞品の牛肉に舌鼓をうっている。元英検面接委員