硫黄島研修シリーズも今回で一区切りです。海兵隊員との硫黄島への研修は,元上司との25年ぶりの再会,硫黄島の幽霊の話など,多くの思い出があります。
硫黄島研修に,私が参加するきっかけを作ってくれた在日海兵隊司令官は,ハワイにあるインド・太平洋地域を管轄する上級司令部である太平洋海兵隊司令官へ栄転していました。
海兵隊の硫黄島研修の評判は,ハワイの司令部から米国防総省(ペンタゴン)の海兵隊トップである海兵隊総司令官の耳まで届いていました。それがどういうことなのかは予想だにしませんでした。
私は,沖縄海兵隊司令部に陸上自衛隊から派遣された連絡官です。那覇から海兵隊基地の中にあるオフィスに通勤しています。
連絡官オフィスに到着し、メールをチェックし始めると,海兵隊上級曹長がヌッと!顔を出した。
上級曹長:「へい!調子はどうだ」“Hey!How are you doing?”
私:「上級曹長,なにごとだよ?」‟What’s up, Sergeant Major!”
上級曹長:「驚きだぜ!良い知らせだ!C・M・Cが来日する!」
“Surprise!Good news!C・M・C!is coming!”と上機嫌で話す。
上級曹長室は司令官室の隣にあり,用があれば電話で自分のオフィスに来るように連絡してくるのだが,本日は上級曹長自ら連絡官オフィスに出向いてきている。
「CMCって,どういう意味だよ?」“CMC?What does it stand for?と聞くと……..
<米海兵隊総司令官と硫黄島へ!>
「米海兵隊総司令官のことだ!」“CMC stands for Commandant of the Marine Corps!”,
「総司令官が近々来日することが決まった!」“He’s coming to Japan!”
と上級曹長は興奮気味に答える。
上級曹長から話をよく聞くと,総司令官は就任後の世界視察ツアーを、アジア地区から始め、最初の訪問地が沖縄になったらしい。世界中に展開する海兵隊にとって、注目のイベントとなる。
米軍では,トップ司令官及び要人のスケジュール,特に、海外出張に関しては極秘扱いである。前任の総司令官も沖縄を訪問しているが,事前に情報が届いたことはない。
今回は上級曹長自ら連絡に来た。電話で秘密事項を話すことは禁止されているのだ。海兵隊のトップが来訪することの重要性は理解できる。私は,注意深く上級曹長に尋ねた。
「さて,今回は,どういったお手伝いができますかね?」“Well, Sergeant Major, What can I help you this time?”と上級曹長の本心を引き出すように丁寧に聞いてみた。
<総司令官のもとに、アジア地区の将軍が勢ぞろい!>
上級曹長は,青い目でじっと私を見つめ「海兵隊総司令官とともに,硫黄島研修に行くことになった。いつものように二人で硫黄島の戦史研修を案内することになる。よろしく頼む!」と言った。
上級曹長と私は,硫黄島研修で米軍と旧日本軍の作戦を説明するブリーファーを務めてきた。
これが参加者名簿だと渡された名簿を見て,目が点になる。海兵隊総司令官(4つ星),在韓米軍司令官(4つ星),在日海兵隊司令官(3つ星),在日米軍副司令官(2つ星)の他,綺羅(きら),星のごとく将官の名が並んでいる。アジア地域で指揮をとる将軍達が勢揃いしたことになる。
名簿を見ながら,ハワイに栄転された司令官の顔が浮かんだ。彼が,海兵隊のトップを動かしているんだ!アジア・太平洋地域の米陸軍・海軍・空軍・海兵隊の将軍が顔を合わせ,海兵隊総司令官のもとで何を話すのだろう。
米軍の動向を東京に報告する任務を有する私の心にスイッチが入った。
<総司令官,硫黄島海岸で砂をすくう>
今回の硫黄島研修は,太平洋海兵隊司令部によって非常に緻密に計画されていた。
海兵隊には,部隊展開プログラムという海外で行う訓練プログラムがある。米本土からアジアの国々で約6月間の訓練をして,アジアの気候,環境下で訓練を積むプログラムである。
この時期に沖縄に滞在して訓練をしていたのは,マサチューセッツ州に本部のある第25海兵歩兵予備連隊であった。実は、この連隊は,1945年に硫黄島の戦いに参加した連隊だ。
その部隊が,日本に訓練に来ている。通常,部隊展開プログラムの部隊が硫黄島研修をすることはない。硫黄島で戦った25海兵歩兵連隊が,海兵隊総司令官と硫黄島へ行くのだ。偶然ではない!
25連隊の海兵隊員は,総司令官に到着の前日に硫黄島に入り,私と上級曹長の案内で硫黄島の戦史を研修した。どの海兵隊員も私たちの説明を熱心に聞き入り過去の栄光に思いをはせていた。
翌朝,海兵隊総司令官と将軍一行は,上陸海岸と呼ばれる砂浜にいた。海兵隊員には最も過酷であった激戦地であることを説明し終わった時,突然,総司令官が一人で海の方へ歩きだした。
数メートル歩いたところで総司令官は砂浜にかがみ,手に持っていたペットボトルの水を海岸にまき、空のペットボトルに砂を詰め始めた。
それを見たカメラマンが全速力で走り寄り,前方から司令官の姿を狙う。
私が,咄嗟にカメラアングルから逃げようとしたとき,シャッターが切れた。総司令官の背後に,私が写りこんだ写真は,光栄にも 沖縄海兵隊司令部の機関紙である「沖縄マリーン新聞」(Okinawa Marine) の表紙を飾った。
<摺鉢山での感動の式典>
総司令官一行は,摺鉢山(すりばちやま)の頂上にある顕彰碑へと車両で向かった。そこには第25歩兵予備連隊の隊員が整列し待機していた。慰霊の後,総司令官は勲章授与式と入隊承認式典を挙行したのである。
総司令官は,海兵25歩兵予備役連隊の隊員が整列する前に立った。
「米海兵隊に,現役兵と予備役兵に差はない!」と最初に檄を飛ばした。
「硫黄島の戦いが,現在の海兵隊を作った。1945年2月,海兵隊はこの島で壮絶な戦いをした。海兵隊以外では,なしえなかった偉業である。今,貴官らがその精強さを引き継いでいることを目の当たりにし,過去の偉業を思い,将来の栄光を確信した。」と誇らしげに語った。
上級曹長と私の案内する3年間に及ぶ硫黄島研修(Bunker to bunker tour)は,これで幕を閉じることになる。硫黄島研修の最後に,毎回硫黄島研修で繰り返した言葉を口にする。
“We will never do it again!” 「そのようなことは,二度と繰り返さない!」
海兵隊総司令官と将軍の一行は,私の言葉には大きく頷いてくれた。
<貴官は海兵隊員である!>
硫黄島から沖縄に戻る準備をしていた時,上級曹長が海兵隊総司令官の伝言をもってきた。沖縄へ帰るときに,総司令官の専用機に搭乗を許可するというものだった。光栄である。
私は,帰路も大型輸送機のC-130で海兵隊員と一緒に帰るという理由で,司令官専用機の同乗を固辞した。しばらくすると二人の海兵隊員がやってきて私の荷物を専用機に乗せた。感激した。
沖縄についた翌朝,海兵隊総司令官主催の朝食会が開かれた。光栄にも私も招待をされ出席した。
総司令官との再会である。日に焼けた顔の総司令官が笑顔で迎えてくれた。
朝食も終わり,総司令官にお礼を述べに近づくと,私の周りに海兵隊員が集まり私を取り囲んだ。私は,総司令官に司令官専用機への搭乗と朝食会への招待の礼を述べた。
総司令官は,静かに威厳のある声で「貴官は,海兵隊員だ!」“You are a marine!”と呟き,右手を差し出した。私はとっさに右手を差し出し,総司令官と強く握手を交わした。私の手のひらには,チャレンジコイン*があった。
私を取り囲んだ海兵隊員たちが,「ウラアー!」“Urahhh!”祝福の声を上げた。私が,100%マリーンだと認められた瞬間であった。
“You are a marine!”とは,新隊員教育隊を卒業する時に,初めて海兵隊員と呼ばれる儀式のフレーズである。この一言で,生涯「海兵隊員(マリーン)」として生きることになるのだ。
私は,海兵隊司令部に赴任した際,言いようのない疎外感があった。海兵隊員に仲間だと認識してもらうには,自衛官49%,海兵隊員51%になればよいと思い努力した。
海兵隊総司令官の言葉で,私は100%海兵隊員と認められた。その信頼に応えるために,私も,海兵隊員として,今を生き,将来を生きることになると思う。
ヘギ―海兵隊総司令官の言葉は,今でも私の頭の中に心地よく響いている。
*チャレンジコイン:司令官が功績のあった隊員に記念として手渡すコインのこと
執筆家・英語教育・生涯教育実践者
大学から防衛庁・自衛隊に入隊。10年間のサバイバル訓練から人間の生について考え、平和的な生き方を模索し離職を決断する。時を同じくして米国国費留学候補者に選考され、留学を決意。米国陸軍大学機関留学後、平和を構築するのは、戦いを挑むことではなく、平和を希求することから始まると考えなおす。多くの人との交流から、「学習することによって人は成長し、新たなことにチャレンジする機会を与えられること」を実感する。
「人生に失敗はなく、すべてのことには意味があり導かれていく」を信念として、執筆活動を継続している。防衛省関連紙の英会話連載は、1994年1月から掲載を開始し、タモリのトリビアの泉に取り上げられ話題となる。月刊誌には英会話及び米軍情報を掲載し、今年で35年になる。学びによる成長を信念として、生涯学習を実践し、在隊中に放送大学大学院入学し、「防衛省・自衛隊の援護支援態勢についてー米・英・独・仏・韓国陸軍との比較―」で修士号を取得、優秀論文として認められ、それが縁で定年退官後、大規模大学本部キャリアセンターに再就職する。
修士論文で提案した教育の多様化と個人の尊重との考えから、選抜された学生に対してのキャリア教育、アカデミック・アドバイジングを通じて、キャリアセンターに新機軸の支援態勢を作り上げ、国家公務員総合職・地方上級職、公立学校教員合格率を引き上げ高く評価される。特に学生の個性を尊重した親身のアドバイスには、学部からの要求が高く、就職セミナーの講師、英語指導力を活かした公務員志望者TOEIC セミナーなどの講師を務めるなど、大学職員の域にとどまらぬ行動力と企画力で学生支援と教員と職員の協働に新たな方向性をしめした。
生涯教育の実践者として、2020年3月まで東京大学大学院教育研究科大学経営・政策コース博士課程後期に通学し、最年長学生として就学した。博士論文「米軍大学における高等教育制度について」(仮題)を鋭意執筆中である。
ワインをこよなく愛し、コレクターでもある。無農薬・有機栽培・天日干し玄米を中心に、アワ、ヒエ、キビ、黒米、ハト麦、そばを配合した玄米食を中心にした健康管理により、痛風及び高脂質血症を克服し、さらに米軍式のフィットネストレーニング(米陸軍のフィットネストレーナの有資格者)で筋力と体形を維持している。趣味はクラッシック音楽及びバレエ鑑賞。
Facebook
https://www.facebook.com/takeru.suwa.7/
※友達申請いただく際「World Lifeで見ました」と一言コメント頂けますでしょうか。よろしくお願いします。