【World Life】とは?
スポンサーリンク

何だか刺々しい日本人?

World Lifeな生活
この記事は約3分で読めます。

近所のスーパーの駐車場でのこと。私が駐車するのを立って見ている女性は、多分すぐ隣の車の運転手。車から降りるのに手間取る私に、不快さがありあり。
私がやっと降りるが早いか入れ違いに乗り込み、バーンとドアを閉め凄い勢いで出ていきました。

推測ですが、他の運転手への気遣いが、私のもたもたでイライラに変わったのでしょうか。

私は「お待たせ」とか何の言葉も言えず仕舞い。先に言えばよかったのかもしれませんが、相手のマスク越しの不機嫌そうな顔にひるんでしまったんです。


別の日の同じ駐車場。私は自分の車をちょっと斜めに停めてしまいました。続いて隣に入ってきた車が駐車しにくそう。そこで降りて来た方に「狭くて悪いね」と言ったんです。そしたら返事とか反応が一切なし。ただ無言で店の方へすたすた。

しかめっ面もなし。ただの無視。これには驚きました。少し怖くなった程です。


些細な行き違いなら日常茶飯事。でも立て続けだったこれら二つの出来事、コミュニケーション以前の問題のような気がします。

この場合のコミュニケーションとは、日常的な意思疎通。それが軽視・無視されているようです。

さらにそう思わせる例が、近所のパン屋。味はgoodですが、接客がまるで不愛想。世間話などしだすと露骨に嫌な顔をされるんですね。

私が想像した理由はコロナ。客はしゃべらず、飛沫をまき散らさず、代金払ったら、とにかくすぐ店を出て欲しいみたい。

想像が正しいかどうか確かめました。
一切喋らず、ジェスチャーだけで買い物をしたら、店主がニコニコ。普段のしかめっ面が嘘のよう。

「そんなにしなくていいですよ」と言うんですよ。でも(有難う喋らないでくれて)と言わんばかりの雰囲気。

客が喋らない程、店主が喜ぶって、コロナ禍の余波だとは言え、何だか異常では。


最初の駐車場でのすれ違いも、結局は同じコロナの余燼かも。

でもコロナだろうと何だろうと、日常の言葉のやり取りまで、止めなくてもいいですよね。

日常の挨拶は、社会の潤滑油。どんな時でも、社会がギスギスしないよう、些細な言葉がけは、大事にした方が良さそうです。


まとめると、コロナで人の交流が少し犠牲になったのは、仕方がなかったかも。でも余波を引きずり挨拶を軽視してくなら大間違い。小さな挨拶は誰もが行える、簡単だけど大事なコト。

日本語英語を問わず、対人コミュニケーションが、ますますのびのび図れると良いですね。

See you soon,
Jiro

追記:
世界最長の3世代を跨ぐ大規模な幸福度調査によると、人の体や心に最大のプラス影響を持つのは良好な人間関係だとか。これはまた日を改めて。

 

<英語版>
知ってる内容を英語ルートで理解する。洋画で字幕を読んで英語を聞くように。
↓ ↓ ↓
英語版はこちらから☆

タイトルとURLをコピーしました