近所のスーパーの駐車場でのこと。私が駐車するのを立って見ている女性は、多分すぐ隣の車の運転手。車から降りるのに手間取る私に、不快さがありあり。
私がやっと降りるが早いか入れ違いに乗り込み、バーンとドアを閉め凄い勢いで出ていきました。
推測ですが、他の運転手への気遣いが、私のもたもたでイライラに変わったのでしょうか。
私は「お待たせ」とか何の言葉も言えず仕舞い。先に言えばよかったのかもしれませんが、相手のマスク越しの不機嫌そうな顔にひるんでしまったんです。
別の日の同じ駐車場。私は自分の車をちょっと斜めに停めてしまいました。続いて隣に入ってきた車が駐車しにくそう。そこで降りて来た方に「狭くて悪いね」と言ったんです。そしたら返事とか反応が一切なし。ただ無言で店の方へすたすた。
しかめっ面もなし。ただの無視。これには驚きました。少し怖くなった程です。
些細な行き違いなら日常茶飯事。でも立て続けだったこれら二つの出来事、コミュニケーション以前の問題のような気がします。
この場合のコミュニケーションとは、日常的な意思疎通。それが軽視・無視されているようです。
さらにそう思わせる例が、近所のパン屋。味はgoodですが、接客がまるで不愛想。世間話などしだすと露骨に嫌な顔をされるんですね。
私が想像した理由はコロナ。客はしゃべらず、飛沫をまき散らさず、代金払ったら、とにかくすぐ店を出て欲しいみたい。
想像が正しいかどうか確かめました。
一切喋らず、ジェスチャーだけで買い物をしたら、店主がニコニコ。普段のしかめっ面が嘘のよう。
「そんなにしなくていいですよ」と言うんですよ。でも(有難う喋らないでくれて)と言わんばかりの雰囲気。
客が喋らない程、店主が喜ぶって、コロナ禍の余波だとは言え、何だか異常では。
でもコロナだろうと何だろうと、日常の言葉のやり取りまで、止めなくてもいいですよね。
日常の挨拶は、社会の潤滑油。どんな時でも、社会がギスギスしないよう、些細な言葉がけは、大事にした方が良さそうです。
まとめると、コロナで人の交流が少し犠牲になったのは、仕方がなかったかも。でも余波を引きずり挨拶を軽視してくなら大間違い。小さな挨拶は誰もが行える、簡単だけど大事なコト。
日本語英語を問わず、対人コミュニケーションが、ますますのびのび図れると良いですね。
See you soon,
Jiro
追記:
世界最長の3世代を跨ぐ大規模な幸福度調査によると、人の体や心に最大のプラス影響を持つのは良好な人間関係だとか。これはまた日を改めて。
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私立学校に英語教師として勤務中、40代半ばに差し掛かったころ、荒れたクラスを立て直す策として、生徒に公言して英検1級に挑戦することを思い立つ。同様の挑戦を繰り返し、退職までに英検一級(検定連合会長賞)、TOEIC満点、国連英検SA級、フランス語一級、スペイン語一級(文科大臣賞)、ドイツ語一級、放送大学大学院修士号などの成果を得る。
アメリカで生徒への対応法を学ぶ為に研修(地銀の助成金)。最新の心理学に触れた。4都県での全発表、勤務校での教員への研修を英語で行う。現在も特別選抜クラスの授業を全て英語で行っている。「どうやって単語を覚えればいいですか?」という良くある質問に答える為、印欧祖語からの派生に基づく「生徒には見せたくない語源英単語集」を執筆中。完成間近。常日頃洋書の読破で様々な思考にふれているが、そうして得た発想の一つを生かして書いた論文がコロナ対策論文として最近入賞。賞品の牛肉に舌鼓をうっている。元英検面接委員