最近『Why Forgive?』という邦訳がない本を読み始めました。以前復讐についての記事を書いた私はWhy forgive―なぜ赦すべきかーというタイトルにひかれたんです。
そこにある若い男(仮にA)の話が。Aは教会や学校で幼い子供の世話をする仕事をしています
Aの仕事ぶりは熱心で献身的。自分のことよりまず子供達を大事に考え扱うようです。
著者はある時Aから、何年も昔の事故の話をされます。駐車時に誤って我が(Aの)子を轢いたと。
もしあなたがAと同じことをしてしまったなら….どうでしょうか?想像できますか?
著者は悲劇後、幼い子供達の世話をしてきたAの人生を思います。Aは我が子を轢き殺した自分を責めつつも、他の子の為に働くことで、人生を生き直そうとしているのではないかと推測します。
私の方はAに関して、ドイツの詩人リルケの言葉を思い出しました。リルケがある若者に向けた序言の中で40代の私がとても感銘を受けた所。
『若い頃は(リルケの言葉です)人生の目的は何か等、色々な疑問がわくだろう。その疑問には当然答えが欲しいだろう。でも答えをすぐに欲しがらず、疑問を持ったまま、しばらく生きたまえ。そうすれば、いつの日か、あなたは答えの中を生きている自分を見出すだろう..』
というもの。
<疑問を生きる、答えを生きる>
「感銘を受けた」と書いたが、実は理解が浅かったのかも。今回Why forgiveに出て来たAの話を読み、リルケの言葉の「答えを生きる」という意味が少し分かった気がしたんです。
「答えを生きる」ってどういうこと?少し踏み込んでAにとっての「答えを生きる」を説明します。
「なぜ我が子を殺してしまったのか?」…Aはきっと何度も何度もこう自分に問うたでしょう。なぜ、なぜと自問せずにはいられなかったに違いありません。
でもですよ。「なぜ我が子を殺してしまったのか?」などという問いには答えはありません。
そこでAは幼い子達の世話をして生きることで、自身の生き方そのものを「なぜ我が子を殺してしまったのか?」という「?」への答えにしようとした..、と私は説明したいと思います。
自分では気づかないかも。でもそういうAの生き方を「答えを生きる」と言っていいかと思うのです。
誰でも、あなたも私も、知らぬ間に何かの答えを生きているのかもしれませんよね。
「疑問・答えを生きる」は英語では
live a question, live an answer
と言えるみたい。ちょっと珍しい言い方ですが味わいのある素敵な言い方ですよね。
See you soon!
Jiro
追記:
『Why Forgive』Johann Christoph Arnold
https://amzn.to/3RuMyWl
知ってる内容を英語ルートで理解する。洋画で字幕を読んで英語を聞くように。
↓ ↓ ↓
英語版はこちらから☆
私立学校に英語教師として勤務中、40代半ばに差し掛かったころ、荒れたクラスを立て直す策として、生徒に公言して英検1級に挑戦することを思い立つ。同様の挑戦を繰り返し、退職までに英検一級(検定連合会長賞)、TOEIC満点、国連英検SA級、フランス語一級、スペイン語一級(文科大臣賞)、ドイツ語一級、放送大学大学院修士号などの成果を得る。
アメリカで生徒への対応法を学ぶ為に研修(地銀の助成金)。最新の心理学に触れた。4都県での全発表、勤務校での教員への研修を英語で行う。現在も特別選抜クラスの授業を全て英語で行っている。「どうやって単語を覚えればいいですか?」という良くある質問に答える為、印欧祖語からの派生に基づく「生徒には見せたくない語源英単語集」を執筆中。完成間近。常日頃洋書の読破で様々な思考にふれているが、そうして得た発想の一つを生かして書いた論文がコロナ対策論文として最近入賞。賞品の牛肉に舌鼓をうっている。元英検面接委員