#レノックス・ラウンジの時代背景
ジャズクラブ Lenox Lounge(レノックスラウンジ)は1939年創業。70年以上の歴史を持ち、地下鉄1、2、3ラインのハーレム、125丁目駅のすぐそば、レノックス・アべニュー(現在はマルコムXアべニューという名も持つ)沿いにありました。創業当時、この地区は、黒人によるハーレム・ルネッサンスが大盛況。この大国アメリカ合衆国での、初めての黒人によるカルチャー・ルネッサンスです。ここでの連日連夜の大賑わいが目に浮かびます。
ジャズ界の大スター、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、ビリー・ホリディ、ディジー・ガレスピーなど、名だたるミュージシャンが、当時は名を連ねていたそうです。きっとジャズファンにとっては、まるで夢のようなライブが連日、繰り広げられていたに違いありません。
もちろん彼らが亡くなった後も、現代の一流ミュージシャンたちによってそれは引き継がれていました。私は、サックスのHouston Person グループのライブのときには、彼にご招待頂いて、しょっちゅう顔を出していたものでした。彼の演奏は、とにかくグルーヴがすごい。最初の数秒を聞いただけで、彼の演奏は分かります。人間国宝にしたいぐらい。アメリカのジャズヒストリーの中を、闊歩されてきた方です。今は80代後半位かな。ニューヨークでないと、こういう方達の演奏にはなかなかお目にかかれないのです。
#とても素敵だったアール・デコ調のインテリア
数多くの撮影などにも使われた有名なアール・デコ調のインテリアは、皆さんも、ミュージックビデオや映画でご覧になったことがあるかもしれません。実際に、マイケル・ジャクソンや、マドンナ「シークレット」もここで撮影を行ったそうです。
映画では「マルコム X」。当時1960年代、数年後暗殺される運命であった黒人解放活動家のマルコム本人も、常連の1人であったらしい。(話がそれますが、活字をマルコまで打った後、日本語だとメと出てきたので、ちょっと笑った。) その他エディー・マーフィーの映画「大逆転(原題・Trading Places)」や、サミュエル・エル・ジャクソン主演「シャフト」、再度デンゼル・ワシントン主演、「アメリカン・ギャングスター」などなど。ハーレム・ルネサンスが栄えていた様子を表すには、最適のロケーションだったのだと思います。
バーガンディー(ワインレッド)のレザーカウチと、ステンシルのゼブラ模様の壁紙、幾何学模様のタイルのフロア、ブロンズのミラー、それにアールデコの間接照明などが、ハーレムでも有名なクラブの雰囲気を、醸し出していました。
#人気のメニュー
バーテンダーの得意なカクテルは、トム・コリンズ。ジンにレモンをキューッと絞って、シロップをちょっと足してクラブソーダで割った、人気のメニュー。それとか、チェリー・ブランデーを嗜みながらジャズなんていうのも、素敵ですよね。
ビル・クリントン元大統領やアリシア・キーズもここでご飯を食べてたそうです。クリントンが当時使っていたオフィスは、ハーレムのこのすぐ側に、ありました。
私は、ここではいつもクラブケーキを食べたものでした。アメリカのシーフードレストランでは定番メニューで、クラブミートをハンバーグみたいにまとめて、丸く平たくして、こんがりと焼いたものです。熱々のカニ肉の上にとろとろのタルタルソースは絶妙です。そしてドリンクは、私はこういうジャズクラブではバーボンソーダ。グレイトなジャズミュージシャンたちと至福のひとときを、エンジョイしたものでした。
このレノックスラウンジは、ロバート・デ・ニーロで有名な日本食レストラン、ノブのオーナーの1人が買い取るなどとの噂もあったのですが、2012年12月末にとうとうクローズ。今はすっかり、1階に銀行の入ったモダンなビルになってしまったらしい。時代は、移り変わっていくのですね。
懐かしく思い出されます。
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。