長年、外国語に関わっていると、ふと人間の癖のような何かに気づくことがあります。
その一つは、「ネイティブの話す言葉=正しい」と思ってしまうところ。
もちろん、基本的には正しいのです。
でも、それは「言語」として正しいというよりも、「口語や俗語」として正しい、という方が正解かもしれません。
私は仕事柄、様々な「英語のプロ」に接する機会が多くあります。
日本人でいうとテレビでよく見る誰もが知っている人気講師であったり、NHKで講座を持つ有名な大学教授であったり。
また、ネイティブでも英語教育番組に出ている人たちであったり、ラジオ講座などのテキストに執筆している人であったり。
彼らはもちろん「英語のプロ」。
ですので、できるだけ文法的にも正しい英語を使い、それをきちんと説明できる言語のプロフェッショナルです。
もちろん、「言語のプロフェッショナルではないけれど、英語のネイティブ」という人たちも私の周りには多くいます。
「生まれてからずっと英語で生活してきた」という人たちです。
「どちらにしても、英語のネイティブであれば正しい英語を話すに決まってるよ!」
と思いがちですよね。
はい、そうです。正しいのです。
でも正しくない場合もあるのです。
それは「口語や俗語」としてではなく、「文法」として。
私の友人をはじめ、イギリスやアメリカの人たちとSNSなどで交流しているとよく、
“would of”という語彙を見かけることがあります。
それだけではなく、 “should of”, “could of”…など、文法書ではあまりみかけない表現がよく使われているのです。
例えば、“I would of come earlier, but I got stuck in traffic.”
文字で見ているだけだと、「ん、would of?どういうこと?」となるのですが
これは「声を出して読む」と理解できるのです。
そう、これは “would have”のこと。
“would have”を短縮した形で、
“I would’ve come earlier, but I got stuck in traffic.” と声に出して読むと
(もっと早く来ようとしたんだけど、渋滞にはまっちゃって…。)となるわけです。
こうなってしまった原因は、耳コピだから。
つまり、耳から聞いた「音」で文字にしているからなのです。
“would’ve”と “would of”の発音は非常に近い。
“should’ve” と “should of”、 “could’ve” と “could of”も、発音としては非常に近いです。
ですので、ついついこのような表記になってしまうのですね。
もちろん、本来であれば “would have” “should have” “could have”ということをわかっていながら、わざと “of”と書く人もいますが、中には本当に “of”だと思っている人もいるのだとか。
だから、 “would of”は、英語の文法としては「正しくない」のです。
でも「口語」としては、「使われている言葉」なので、通じる言葉なのです。
そう考えると、日本語だって同じです。
日本人だって、正しい日本語を使っているわけではありません。
「うろ覚え」を「うる覚え」と言ってしまったり、
「あ~、仕事が煮詰まってしまったのでちょっと休憩しよう。」と言ってしまったり。
本来、「煮詰まる」とは「結論を出せる状態に達する」という意味なので
「精神的に追い込まれてしまった」という意味で使うのは間違いなのです。
私も自然と使ってしまう言葉に「失笑」があります。
誰かが面白くないギャグを言った時などに使うことがあるのですが、これもNGなんですよね。
「失笑」とは、「的外れなことを言った時に、思わず笑いだしてしまうこと」。
なので、面白くないことを言った人に対して「失笑~」って言ってしまうと、自分が失笑されてしまうことになってしまうかもしれません。(笑)
でもこれらは使い方そのものを間違っているパターン。
“would of”と同じように、口から発した「音」をそのまま文字化された間違いもあります。
それは「すいません」という言葉。
ご存じのように、正しくは「すみません」。
その話し言葉が「すいません」なのです。
つまり口語ですので、文字にする場合は「すみません。」が正しいとされています。
「音」をそのまま文字化しているのですね。
英語ネイティブであっても、日本語ネイティブであっても、「その言葉が第一言語だから絶対に正しい」、ということはないんですよね。
このように「これは何だ?」という表現に出会い、それを調べて「知る」ということは本当に楽しいものです。
「あ~、そういう風に使っているんだ。」
「正しくはないけど、現地では使われているんだ。」
また一つ知識がレベルアップしたようで、嬉しくなります。
でも、言語というものは「生き物」。
ですから、時代とともに変化をしていくんですよね。
私は最近、あるものを手に入れました。
それは、100年前の英語の教科書。
今でも学校で使われている教科書の100年前のものです。
日本語も英語も「今では使われていないなぁ。」とびっくりする語が結構あります。
「これって、昔は普通に使っていたんだよなぁ。」
「今じゃ全然言わないよなぁ。」
という日本語もたくさん。
それだけ100年の間に言葉って変わってきている、ということですよね。
文法書や教科書は、一度印刷されたら変わることはありませんが
私たちが毎日話す言葉は、常に変わっていくものです。
そう考えると、あと100年もすると、
今私たちが話している言葉も「古語」のような扱いになるのかもしれません。
未来の人たちに、「へぇ、100年前はこれは間違いだったんだ、おもしろ~い!」
なんて言われてたりして(笑)
その頃にはすっかり、“would of”も「すいません」も
「文字としても正しい表現」となっているかもしれませんね。
知りたいけど、これだけは無理だなぁ…。
英語教材開発・制作者
米国留学から帰国後、幼児・児童英語教師を経て、中学・高校英語、受験英語、時事英語等多岐にわたる指導を行い英語教師経験を積む。また、ホテル勤務での実践英語経験を積んだり、カナダにて現地の子どもたちの英語教育にも携わりながら、CertTEYL(世界での児童英語講師認定コース)の認定を受ける。さらに、青山学院大学でTutoringの研究員としても活動。英語講師養成のeラーニングコースの日本での立ち上げメンバーとなる。「現場での経験を教材に活かしたい!」と、現在は英語教材開発会社にて日々教材開発に勤しむ。高校入試用のリスニングトレーニング教材(塾・学校向け)は累計10万部以上のベストセラーとなる。英語教材開発の傍ら、全国の英語教師への研修なども行う。また、土堂小学校(広島県尾道市)での英語指導や、初の民間校長として一躍時の人となった藤原校長(当時:杉並区立和田中学校)が手掛けた英語コースの指導に2年間携わるなど、英語教育に関する多様な分野で活躍。大の犬好きから、ホリスティックケア・カウンセラーなどペット関連の様々な資格を取得し、ペットライターとしても活動中。