【World Life】とは?
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海外が見る太平洋戦争

World Lifeな生活
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この時期になると思い出すことがある。

オーストラリアでテレビを見ていた時の事。“Hiroshima”というタイトルの番組が始まった。

ちょうど今頃。日本でも戦争番組が増える時期。オーストラリアでも同じように太平洋戦争の特別番組があったのだ。

私は日本人として見なくてはいけない気がした。
そして、オーストラリアではどんな風に広島の事が描かれているのかが気になった。

一番心に残っているのは、広島に原爆の投下ボタンを押した、つまりまさに原爆を落とした元米軍兵士にインタビューをした場面。

投下ボタンを押した本人がまだ生きていた事、そして、インタビューに応じた事にまず驚いた。が、それにも増して私が驚いたのは、彼の発言。

その言葉に私は自分の耳を疑った。

<彼はヒーロー?>

オーストラリア人記者:「あの時、日本はもう負ける事は分かっていたんじゃないですか?広島に原爆を落とす必要があったのでしょうか。今、振り返ってどう思いますか?」

私は、てっきり「あれは、軍の命令でした事で本当はしたくなかった。後悔をしている。申し訳ない。」というような言葉が出てくるものだとばかり思っていた。

ところが、その元米軍兵士の言葉は私の予想とは全く違うものだった。

彼は、誇らしげに

「自分のやった事は今でも正しかったと思っている。自分を誇りに思っている。」

と言ったのだ。

記者:「でも、それで十何万人もの人々が亡くなっているんですよ。あの惨状をみても正しかったと言えますか?」

元米軍兵士:「原爆を落とさなければ、日本はまだ戦争を続けていた。あれで終わらせる事ができたんだ。今、あの時に戻ったとしても、僕はまた同じ事をやるね。」

小さな町に住むその元米軍兵士は、今でも町では英雄扱い。戦争の記念式典では軍服の胸にずらりといくつもの勲章をつけて参加していた。

原爆を落とした彼は、アメリカではヒーローなのだ。
彼は、十何万人もの人を殺して、今も後遺症に苦しむ人たちもいるのに反省も後悔もみじんもしていない。誇りにさえ思っている。だからこそ、テレビにも堂々と出演できたのだ。

信じられなかった。それを見た時、しばらく、胸の動悸が止まらず、涙が溢れてきた。

日本では決して報道されない、いえ、報道できない内容。

もちろん、日本の取材に応じる事もないだろうが、彼の言葉を聞いたらどうなるだろう。

私でもショックを受けたのだから、広島や長崎、戦争を経験した人たちが知ったら怒りと悲しみで打ちのめされるんじゃないかと思う。

インタビューに答えたのも相手がオーストラリア人だったからだろう。だから、本音が聞けたのかもしれない。

<日本も加害者>

オーストラリア北東部、タウンズビルという小さな町に滞在した時、その日はたまたま8月15日だった。オーストラリアにいて、私はその日が終戦記念日とは全く気づいてもいなかった。

ただ、町を歩いていると、どう見ても現役の軍人ではないおじいさんが数人、古くさい軍服を着て歩いている姿を見かけた。

(何か変な感じだな~)

だいたい、この辺りではオージーはTシャツに短パン、ビーサンと決まっている。軍服姿の老人なんて見た事がない。すごい違和感だ。

と、大きな広場に特設ステージがつくってあり“Victory in the Pacific Day”の文字が。式典があったのだろう。まだちらほらと軍服姿のおじいさん達が話をしているのが見える。

Victory in the Pacific Day?…太平洋で勝利の日…?あ!)

そこでようやく気付いたのだ。
ここ、オーストラリアでは8月15日は太平洋戦争の勝利の日、戦勝記念日なのだという事を。

日本では終戦の日は、戦争で亡くなった人たちを思い静かに過ごすのが一般的。

でも、こちらでは戦勝記念日として、退役軍人が今でも国を守ったヒーローとして軍服を着、式典に参加しているのだ。あの原爆を落としたアメリカ人兵士のように。国が違うと同じ事柄でも全く違う扱い。

タウンズビルは日本からの空襲を4度受けた場所であったとその時知った。日本人としては複雑な気持ち。勝ったのはオーストラリアだが、日本も攻撃していたのだ。

私は、オーストラリアに行くまで、日本がオーストラリアを攻撃していた、という事実を全く知らなかった。捕虜を取っていたことも。

オーストラリア北部の町、ダーウィンを訪れた日本人の友人が、現地の人に「戦争の時酷い爆撃を日本人から受けたんだ。なぜ知らないんだ!」と責められたという話を聞いて、初めて日本軍がオーストラリアを攻撃していたと知った。

そして、東ティモールに行った時も、日本軍が攻め入っていた事を現地で話を聞いて初めて知ったのだ。

日本では、日本は原爆を落とされ、戦争に負けたという被害者的な番組が多い。学校でも戦争時代の頃の事はほとんど教えられない。

だから、私の中には日本は戦争の被害者こそすれ、加害者である意識はあまりなかった。加害者であるのも、中国や韓国などの近隣諸国に限った事だと思っていたのだ。

オーストラリアや東ティモールで、自分が知らなかった事を恥ずかしく思った。それと同時に、知らずにいた事を申し訳ないと思った。

攻め込まれた国は忘れていないし、その史跡が残っているのに、攻め込んだ方はそれを知らずにいる。学校で教えられてもいない。

ドイツでは学校の歴史教育で、ナチスドイツについて学び、過去の過ちを繰り返さないように教育しているといいいます。

日本でも戦争の被害だけでなく、加害者側だった事もきちんと教えるべきだと思います。私は知っておきたかった。事実を知ってこそ平和への取り組みもできると思うのです。

先日、茶道裏千家の前家元、千玄室 大宗匠の講演会がありました。

99歳の千氏は、太平洋戦争中、学徒出陣で海軍に入り、特攻隊員に選抜されました。仲間たちが次々と特攻で出撃していく中、千氏だけは待機命令がかかり、出撃希望するも、叶わず終戦を迎えたそうです。

自分だけが生き残った事に悩み苦しんだそうですが、茶道の文化を通して、人間同士の輪のつながりを取り戻そうと決意。

「一盌(いちわん)からピースフルネスを」を理念に、これまで64ヶ国を訪れ、お茶で世界を平和にする活動を続けてこられています。

「お茶の前では全ての人が平等。武士も刀を置いて、頭を下げて茶室に入りました。お茶を飲むのに、国も、肌の色も、言葉の違いも関係ないんです。人間はみんな一緒。」と仰った千氏に私は深く共感しました。

人間はみんな一緒。みんな同じ人間。

世界を旅して私も同じ事を感じています。私はこれからも世界を旅して、色んな国の人たちと話がしたい。人間同士の会話をする事で平和にも繋がっている気がするのです。

世界の人たちと同じ人間として話すためにも、私は自分の国の歴史を正しく知りたいと思うのです。

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