“Hey, guys!”
と声をかけられたときの衝撃と恐怖。
今でこそ笑い話として書けますが、防衛省英語学校の学生の時に、米軍基地研修で、はじめてアメリカ軍人に話しかけられたときのショックは、今でも忘れられません。
Swatchが振り返ると、そこには広報担当の女性軍曹が立っていました。
“Hey, guys!”と言われたときのショックとは、「こ、怖い!」という感じでした。
これが、私の最初の生の英会話での恐怖の場面でした。同期生と顔を見合わせ、黙って次の言葉を待つしかなかったのを覚えています。
反応できなかったのは、英語のテキストにそのような台詞(表現)が書いてなかったからです。
Hey もguysも、聞いたことのある単語でしたから、意味が分からないわけでもない。
ただ、アメリカの映画やテレビでの番組で観た場面が、おぼろげに思い浮かぶだけです。
Heyは、(丁寧な言葉ではないだろう)、guysって(強面の人)って意味じゃないだろうか。
そう考えれば、この女性兵士は、「我々に何か文句を言いに来ているのだろう」と勘違いしたのです。
いきなりパニックと恐怖です。「どうしたらいいだろう」と勝手に悪い想像は、膨らみます。
あなたは、腹を抱えて笑っているかもしれません。強靭な肉体を持ち、部隊では10人の部下がいる自衛官が、米軍の女性軍曹に「ビビっている」。かなり笑えますね。
<Hey, guysって、本当はどういう意味だろう?>
Hey!って、当時の日本人にとって、日本人が言ってはいけない、下品で失礼な言葉だと思われていたのです。それは全く事実とは違いました。当時とは、1970年代です。大昔の話。
最近は、ポップスの世界でも普通に使われている“Guy”は、なんとなく「カッコイイ男性」聞こえますよね。それが時代の変遷というもの。
それではちょっとguyの意味を確認しておきましょう。
基本的にはGuyは、(男性)、(男)という意味です。
人の集まりで、女性が一人いても、基本的にはguysです。
今時のGLBTQのコンセプトには、マッチしていません。
最近では男女兼用で「あなた」、「皆さん」という意味が含まれるようになりました。
私が昔、ショックを受けたときにイメージとは様変わりです。(と日本人が思っただけ)
女性軍曹の“Hey, guys!”は(皆さん、こんにちは)と気楽に声をかけてくれたということになります。
“Hey, How are you doing?”
(こんにちは、どうも)
と対応できれば良かったですね。
アメリカ人の間で、親しい呼びかけで使われていることが、何となくわかってきました。“guys ”を使うことでカジュアルさと親しみやすさを、自らが演出する効果もあります。
そのような感じで、日本ではguysは、受け取り方が変化してきました。面白いのは、最近、オーストラリアでは、職場で「guysをつかわないようにしよう」という意見がでてきているそうです。
これからグローバルにguysの意味が変化していくことも十分考えられますね。
言葉は、時代に影響を受け、時代のニーズに合わせるように意味が変わっていくのです。
<被害妄想はやめよう!>
外国人に話しかけられ、恐怖心を覚えたという話に戻りましょう。
Swatchが若い頃は、外国人と言えば、アメリカ人でした。
出入国在留管理庁の「在留外国人統計」によれば、1974年は、以下の通りだった。
アメリカ人 25,033人
イギリス人 4,015人
ドイツ人 2,893人
カナダ人 1,790人
フランス人 1,417人
オーストラリア人 1,033人
さらに、アメリカ人の居住地をみると、以下のようになっている。
東京都 10,051人(特別区7,646人)
横浜市及び周辺市町村 3,304人
沖縄県 2,148人
東京で出会う外国人はほとんどがアメリカ人で、東京都、横浜市周辺市町村及び沖縄とくれば米軍基地(横田空軍基地、座間、相模原陸軍基地、沖縄海兵隊基地等)と想像がつく。
そう考えると、特別区に居住するアメリカ人7,646人は、ビジネス関係者として除き、他の地区で突出した数字は、米軍関係者の可能性がある。
佐藤栄作元首相がノーベル平和賞を受賞し、沖縄に注目が集まり、沖縄の報道(特に沖縄米軍人の不祥事)は、米軍批判中心になって過熱していく状況で、様々な報道があったと考えられる。
そういったことを考えてみると、そのころのアメリカ軍人の作られた「怖い、危険な」イメージがSwatchの中で“Hey, guy!”に大きく反映されているようにも思える。
少なくとも19歳の大学生のSwatchには、「アメリカ軍人=怖い人」というイメージが刷り込まれていたのではないだろうか。
その恐怖が被害妄想となって、米軍基地研修でよみがえったというのは、自分の中では納得がいく。
そんな経験から得たことは、人は話してみなければわからないという当たり前のことだった。
アメリカ軍人は、少なくとも日本で駐留する米国軍人は、入国後の生活のために、オリエンテーション教育を必ず受講しなければならない。
現在も教育プログラムは継続されている。海兵隊連絡官の時に参加したとき、
“You are the Ambassador of the Unites States of America”(アメリカの大使)
が教育の副タイトルであった。
あくまでも、アメリカ人の代表として行動するという方針が教育されていたのである。
女性広報官の“Hey, guys!”は、そう意味で、非常にフレンドリーな呼びかけだった。
<相手を尊重し、素直な心でコミュニケーションを図ろう!>
自分の経験や、思い込みで、被害妄想に陥ることは、愚かなことだと思う。少なくとも出会いの瞬間は、相手を尊重し、意思の疎通を図ろうとすべきだと、今は考えている。
コミュニケーションは相手のことを知ること、自分のことを知ってもらうことから始まります。
傾聴力と発信力です。
相手のことを知ることは、相手の言うことに耳を傾けること。
自分のことを知ってもらうことは、わかりやすく自分のことを相手に伝えること。
こういった時間を積み重ね、楽しい思い出をたくさん作っていく。その思い出が人生を美しく彩り、充実したものにしてくれると思います。
執筆家・英語教育・生涯教育実践者
大学から防衛庁・自衛隊に入隊。10年間のサバイバル訓練から人間の生について考え、平和的な生き方を模索し離職を決断する。時を同じくして米国国費留学候補者に選考され、留学を決意。米国陸軍大学機関留学後、平和を構築するのは、戦いを挑むことではなく、平和を希求することから始まると考えなおす。多くの人との交流から、「学習することによって人は成長し、新たなことにチャレンジする機会を与えられること」を実感する。
「人生に失敗はなく、すべてのことには意味があり導かれていく」を信念として、執筆活動を継続している。防衛省関連紙の英会話連載は、1994年1月から掲載を開始し、タモリのトリビアの泉に取り上げられ話題となる。月刊誌には英会話及び米軍情報を掲載し、今年で35年になる。学びによる成長を信念として、生涯学習を実践し、在隊中に放送大学大学院入学し、「防衛省・自衛隊の援護支援態勢についてー米・英・独・仏・韓国陸軍との比較―」で修士号を取得、優秀論文として認められ、それが縁で定年退官後、大規模大学本部キャリアセンターに再就職する。
修士論文で提案した教育の多様化と個人の尊重との考えから、選抜された学生に対してのキャリア教育、アカデミック・アドバイジングを通じて、キャリアセンターに新機軸の支援態勢を作り上げ、国家公務員総合職・地方上級職、公立学校教員合格率を引き上げ高く評価される。特に学生の個性を尊重した親身のアドバイスには、学部からの要求が高く、就職セミナーの講師、英語指導力を活かした公務員志望者TOEIC セミナーなどの講師を務めるなど、大学職員の域にとどまらぬ行動力と企画力で学生支援と教員と職員の協働に新たな方向性をしめした。
生涯教育の実践者として、2020年3月まで東京大学大学院教育研究科大学経営・政策コース博士課程後期に通学し、最年長学生として就学した。博士論文「米軍大学における高等教育制度について」(仮題)を鋭意執筆中である。
ワインをこよなく愛し、コレクターでもある。無農薬・有機栽培・天日干し玄米を中心に、アワ、ヒエ、キビ、黒米、ハト麦、そばを配合した玄米食を中心にした健康管理により、痛風及び高脂質血症を克服し、さらに米軍式のフィットネストレーニング(米陸軍のフィットネストレーナの有資格者)で筋力と体形を維持している。趣味はクラッシック音楽及びバレエ鑑賞。
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