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日本と真逆?アメリカの美術館

World Lifeの英語術
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こんにちは
ニューヨークのKayoです。

美術館を訪れると、国によって、その空間のあり方に、驚くほどの違いを感じることがあります。

日本で、国立西洋美術館(東京)や、山種美術館(東京)に行ってみたのですが、美術館はとにかく静かで、同行者と小声で話すのさえ、気が引けるほどの緊張感がありました。

展示室には静寂が漂い、薄暗く、写真撮影は禁止されていることがほとんど。訪れる人々は一様に沈黙し、作品と向き合う姿勢を崩さずに、進路の掲示通りに歩みを進めます。

一方、アメリカ、特にニューヨークの近代美術館(MoMA)などでは、まったく違う風景が広がっています。

子どもたちが走り回り、スクールトリップの生徒たちがにぎやかに話し合い、どの展示室でも自由に写真を撮ることができる。床に座り込んでスケッチをする人や、作品を前に感想を語り合う来館者も多く、館内はワイワイと、まるでライブリーなサロンのよう。

この違いは、単なるマナーの差では無いのかも。そこには、アートとの向き合い方や、美術館という空間への価値観の違いが、はっきりと現れているようです。

日本では、美術館は「静かに作品と対峙する場所」であり、沈黙は敬意の表れとされます。アートは崇高なものであり、鑑賞者は「正しく見ること」が求められます。

館内の設計も、順路に沿って静かに進むよう導かれており、ベンチも少なく、滞在よりも「通過」が想定されています。

対してアメリカでは、美術館は「学びと対話の場」であり、アートは誰もが自由に感じ取り、語り合ってよいというスタンスが浸透しているようです。

多くの美術館が、子ども向けのプログラムや教育ツアーを積極的に取り入れ、館内にはスケッチや模写を行えるベンチやスペースが設けられています。幼児や乳母車を押した家族もいます。

写真撮影が許可されているのも、作品を「記録し、共有し、再解釈する」ことが現代のアート体験と考えられているからでしょう。

こうした違いは、美術館という空間を「神聖な場所」としてとらえるか、「市民の学びと交流の場」としてとらえるかの違いにもつながるのかも。

どちらが優れているということではなく、それぞれの文化が育んできた「アートとの距離感」の違いが、こうした空間づくりに表れているのでしょう。

日本では、順路通りに回りますが、アメリカ人は誰も順路は気にせず、自分がみたい順番で自由に廻るので、日本の感覚で言うところの逆走する人も多いです(笑)

日本人は、展示されている全ての作品を見ないともったいない、と思う傾向があるかもしれませんが、アメリカ人は、そもそも全部見よう、とも思っていない人が多いように思われます。

静けさと礼節を大切にする、日本の美術館も素晴らしい体験を与えてくれますし、開かれた対話と自由な表現を尊重するアメリカの美術館もまた、アートの力をより広く深く感じさせてくれる場です。

いろいろな国で、それぞれの美術館の空気を味わうことは、アートそのものだけでなく、「アートとどう接するか」という文化の違いに触れる貴重な体験となりますよね。

それではまた来週♫
Kayo

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