英語をもっと話したいと思ったきっかけ
私は社会人になってから、英語学習には随分とお金を使いました。なぜなら、学生時代から英語が苦手だったのです。大人になってから、もっと勉強しておけばよかったと、散々後悔しました(笑)。
なので社会に出てから、英語学校には、ずいぶんと散財させていただきました。
まず、もっと英語で会話したい、と思ったきっかけは、今は昔となりますが最初の海外旅行でした。
アメリカニューヨークで、ライブハウスに行けたものの、ステージ上でミュージシャンが何を言ってるのかさっぱりわからず、お客さんがどっと笑ったりするのに、全くついていけなかったことが、とても残念に思えたのです。
また、ホテルでのトラブルや、外出先でのちょっとした問題に、英語ができないばかりにとても難儀をし、これではダメだ、とにかく英語を勉強しなおさなくちゃ!としっかり決心して帰国しました。
日本・イギリス・アメリカで
まずは東京の英会話教室で、英国人の先生のもと、グループレッスン、個人レッスンに、しばらく通っていました。
少しずつ自信がつき始めたころ、イギリスはロンドンで、YWCAに泊まり、グループ授業と個人授業で、1日6時間のレッスンを2週間。
そして機が熟し、いよいよ英語を勉強するきっかけとなった、目的のニューヨークへ。
合宿形式のフル授業の英語学校で、夏季短期留学(6週間)を、3年連続で履修し、その後、英語が第二外国語である国の生徒向けの、米国大学入学の為の英語授業、ESLクラスを、レベル9の最終過程まで履修。
それからニューヨークへの移住を目指したのです。
なぜそこまで勉強したのか。英語が全然できなくてもニューヨークへ遊びに行くことはできます。でも私は、ニューヨークで普通のニューヨーカーのように暮らしたかったのです。
日本の教室から英米の教室へ
日本の英会話教室では、日本人講師のクラスを取った事はありませんが、日本語ペラペラの英国人講師だったので、ついつい日本語で説明されることにも頼っていました。
しかし、その後の英国、米国のクラスでは、当然のことながら、講師は「すべて英語で説明」するため、授業中に非常に集中力が必要でした。ただこれで、ヒアリングに慣れることができました。
当時、我々日本人生徒たちは、他の特にヨーロッパ人などに比べるとヒアリングが苦手なように思いました。
その後、段々と慣れてきて、ヒアリングで何を言っているのかだいぶ聞こえるようにはなってくるものの、1つでも単語の意味がわからないと、文脈が追えない時があり、単語力のなさを常に感じていました。
単語を覚えるために
単語力のなさを解消する為に、毎日何でも良いので、例えば優しいニュースペーパーのアーティクル(記事)から、知らない単語を、一日5つ選んで、毎日、スペリングと意味を暗記していく、ということを続けました。
通常の英語ネイティブが、普段読み書きで使うような単語を、とにかく自分のものにする訓練でした。
ニューヨークのレッスンでは、それをクイズ形式で毎日、朝の授業でテストしてくれた講師がいました。テストがあるだけに、強制的に宿題で単語を暗記できたのはとても良かった。彼は、毎日クラスルームへ、クイズの賞品のチョコレートやアイスクリームを自腹で買ってくるのです。
単語の暗記は、自分で毎日やれば良いのは分かっていても、なかなか続けるのは難しいですが、このクラスの期間中に、随分の量の単語を覚えることができたのは、この講師のおかげと、今でもありがたく思っています。
NYディベートレッスン
そんなNYの夏季講習は、朝9時から午後3時までびっしりで、随分と頭が英語漬けになりました。毎日クラス全員で同じ新聞を購入し、その中からアーティクル(記事)を1つ選び、読んで内容をまとめておくのが毎日のホームワークでした。
これもずいぶんしんどかった覚えがありますが、力になったのではと思います。翌日全員で答え合わせをするのですが、私は勘違いして訳していた文章とか、結構ありました。
また、日本の学校ではあまり無いように思ったのですが、ディベート形式の授業がニューヨークでは多かったです。答えのないようなトピックで、賛成派、反対派に分かれて議論を戦わせたりしました。
例えば、「アフリカの、難民の子供たちから、アメリカ人の寄付をしてくれてる人へのお礼の手紙」という記事。
毎月20ドルとかをその代表団体に寄付をすると、「アメリカのお父さんお母さんありがとう!」みたいな手紙が、年に3回ぐらい届くのです。その英文の手紙を訳して、それについてどう思うか、議論する。
「その団体は偽善団体であり、そういう団体のトップの人々は信じられない位お金を儲けていて、ほんのごく1部をその子供たちに渡しているのだ」と言う意見をあげる人がいたり、
「いや人間として、少しでも自分の経済に余裕があるならば、こういうことで世界の人々を助けるべきだ」とか、「いや結局、こういう人は、自分が世の中で慈善活動をしている、ということ自体、自分が幸せを感じる自己満足のためなのだ」とか、いろんな意見を英語で戦わせます。
私は当時、自分がそこまで1つの物事を深読みできなかったので、なるほど~、とずいぶん勉強になったのを覚えています。
こういうディベートの際、ヨーロッパ人は、彼らはラテン語から派生した英語の世界なので、ブロークだけれどペラペラと英語で話します。それに対して日本人は、きちんとグラマー的にも正確に話さないと恥ずかしい、と思っているから、ほとんど意見を述べない。
だからヨーロッパ人からは、日本人はこういう授業の時には意見を持っていないように思われることも、割とあったかもしれません。
日本人は平均として、グラマーの成績がとても高いので、クラス編成の際、普通の大学生位だと結構上のクラスに入ってしまいます。
そうすると、そのクラスレベルのヨーロッパ人は、グラマーなどは習ってきていないのですが、英語の会話力は、既に随分とあるので、「会話が上手だけどグラマーがよくわからないヨーロッパ人」と、「グラマーは得意だけれど思ったことを話せない日本人」と2つに大きく分かれていました。
英語を学ぶ人
私が会ってきた中で全体的に、ニューヨークで知り合った日本人は、学生も多かったので、割とオープンマインドで、アートにも興味がある人が多かったように思います。
そしてイギリス留学で出会った日本人は、ビジネス思考で、会社で良いポジションに就くためにイギリス英語をしっかり学びたい、というようなタイプの人が多かったように思います。
ロンドンの時は、ランチブレイクに、クラスメイトたちと、よくインディアン街のカレーを食べに行ったものでした。当時ロンドンでは、いろいろなヨーロッパの地方から集まったクラスメイト達とランチタイムに話す英語も、割と楽しんだ覚えがあります。
英語ができれば
私の祖父はエスペラント語の学者でした。子供の頃、「世界中の人たちと、手紙のやりとりができるんだ」と聞き、なんて凄いことだろうと思いました。エスペラント語は、当時世界の共通語だったのです。(会話はなく、読み書きのみ)。
その後時代は流れ、現在は英語が共通語のようになり、英語できれば、ほぼほぼ世界中どこでも通用するような感じになってきました。
世界中どこにでも友達を作れるって、とっても嬉しいことですよね。これからでも、ぜひ英語やってみよう、って思った読者の皆さん、応援します!
現在はインターネットもあるし、ますますグローバルに世界中がつながっていきますね。難しい時代にはなってきているけれど、皆が同じ言語をしゃべれたら、どんなにか意思が伝わりやすいのではないか、と思ったりします。
世界中のみんなが仲良くなれたら、いいよね。ではまた来週。
KAYO
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。