こんにちは
NYのKayoです。
日本で記録的なヒットとなった映画『国宝』が、ついにアメリカでも公開!日本では誰もが知る話題作でしたが、でもここニューヨークで暮らしていると、今のところ現地の人々の間で大きな話題になっている様子は、あまり感じられません。
せっかくの素晴らしい作品なのに、なぜこれほど反応が違うのか、少し不思議な気持ちになります。
そこで、なぜ反応が違うのか、日本とアメリカの「心の捉え方」の違いを、一人の日本人として考えてみました。
「一生懸命」の形が違う
まず感じたのは、物語の核にある「苦しいほどの情熱」への受け止め方の違い。
日本では、芸のために自分の人生をすべて捧げるような姿に、私たちは「尊さ」や「美しさ」を感じることが多いですよね。
でも、アメリカ人たちの感覚を見ていると、自分をボロボロにしてまで何かに打ち込む姿は、美談というよりも「自分を大切にしていない」という、アメリカ人にとって1番大事な「自分」をちゃんと成り立たせることができていない、メンタル的にアブナイ、心配なドラマ、に見えてしまうようなのです。
これは、大きな文化的背景の違いですね。私たちにとっては胸を打つシーンでも、明らかに文化の違うアメリカの人々には、「重すぎる(良くない)」、と感じられてしまうらしい。
イメージはアート・ムービー
アカデミー賞のような、アメリカでの華やかなニュースが聞こえてこなかったのも、ファンとしては少し寂しいところです。
調べてみると、現地の専門家たちの間では技術面で高く評価されているようですが、それはあくまで芸術作品としての評価。
アメリカの一般の方々にとっては、ぜひ見に行こう、と声を掛け合う映画というよりは、映画館の片隅で静かに日本通の人々が楽しむ「ちょっと難解なアート・フィルム」というイメージが強いのかもしれません。
人気がないというよりは、とても大切に扱われすぎて身近な話題になりにくいのかも、と感じてしまいます。
言葉にできない、空気感
また、歌舞伎という、日本の伝統ある世界を理解する難しさ、もあると思います。
私たちは、舞台に立つ人の覚悟や言葉にしなくても伝わる「間」の美しさを、なんとなく肌で感じることができ、ときには身震いさえしてしまいます。
けれど、英語の字幕だけでその細かいニュアンスや文化の重みをすべて伝えるのは、やはり至難の技なのかもしれません。
私たちが深く感動したあの「切実な空気感」が、文化の壁を越える途中で、少しだけ薄まって届いているような気がして、そこが少しもったいない、と感じます。
私にとってはすごい感動
こうして日米の温度差を考えてみると、この映画がアメリカで爆発的にヒットしないのは、それだけ「日本ならではの深い心」が詰まっているからではないか、という気がしてきました。
万人受けする娯楽ではないけれど、一度心に触れたら離れない。そんな孤高な強さを持っているのが、この作品の魅力なのだと思います。
たとえ外国で大きな賞に届かなかったとしても、私自身が感じた、あの震えるような大きな感動は、これからもニューヨークで大切に持ち続けていたい、かけがえのないものです。
映画の監督さん始め、スタッフの皆皆さんに、大きな拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。
それではまた次回♫
Kayo
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。

