あなたは瞑想と聞くと、どんな印象でしょうか?
(自分とは縁遠そう。いろんな効果あるらしいけど…)みたいな印象でしょうか?
実は私もそうでした。瞑想=一人で夕陽に向かって座禅。
でもある本によれば、瞑想って意外に身近。誰も皆、普段「瞑想」してるんですって。
例えば
子供時代に虫取りに夢中になった時とか…
今草むしりに没頭してしまう時とか…
そういう無心の集中は、瞑想だと。
なるほど、一生懸命集中するのが瞑想なら、何でも瞑想になりそう。
でも、さらに私の見るところ、瞑想は外国語と関係が深いみたい。だからあなたとも深い関係があるのかも…
少し先走りしましたが、どういうことでしょう。まずは私の感覚から。
<同時にしてる2つのコト>
私自分が英語で話したり読んだりしている時。
同時進行で頭の中で日本語が出て来ないよう止めてる感じがするんです。
まるでダムが水を抑えるように日本語の流れを(軽く)堰き止めているみたい。
ここであなたは(大変そう。今村は英語が一人でに、楽に普通に出るんじゃないの?)と思うかも。
ハイ正直大変なんですw。英語使っている時、私に要るもうひと手間。それは日本語を抑えて止めておくこと…
頭の中で英語オンのスイッチの時は、必ず日本語オフにしておく…と言ってもいいかも
ここからが今回の胆。まさに「日本語を止める」が瞑想につながります。
さて、瞑想って「何も考えない無心」とよく言われますよね。
でも「日本語を止める」って結局「何も考えない」ことでは?
日本人が日本語を止めれば何も考えられない…ならばですよ。「日本語を止めれば、そのまま何も考えない」無心の瞑想になるのではとフト思ったんです。
そこで実際に試しました。頭の中で日本語が流れ出ないように止められないか、それだけできないかって実験。そしたら数回試して…できたんですw!
これで「何も考えない無心」の瞑想できた…..は話うま過ぎ?
でも私流の瞑想を何度か続けるうちに、不思議なことが起き出しました。
車の運転が、集中でき以前より疲れなくなった。
にわか雨の後、汚いはずの空き地が妙に美しく見えた。
いろんなアイデアが次々浮かぶようになった。
腹の立つことが減りw落ち着いてきた….
これって、一般的な瞑想の効果と似ている気が。やはり私流の瞑想も立派な瞑想?
<外国語が結びつく先…>
話が英語から外国語へと少し広がります。
外国語が結びつく先は瞑想から結局宗教かも。それが証拠に、キリストとか釈迦、宗教の始祖達が出たのは多くの言語が飛び交う多言語環境のよう。
日本でも、親鸞等の仏僧は梵語などの外国語に通じていたみたい。また悟りを開いた(と言われる)仏教学者の鈴木大拙や、日本ヨガの祖とされる中村天風。二人共英語に非常に堪能だったそうです。
「多言語は例外でなく世界の普通。日本だけ例外」と反論されれば、確かにそうとも…
いずれにしろ、英語を初め外国語には思いがけない可能性があるのかも。正に英語ができると世界が変わるですよね。
See you later!
Jiro
追伸;頭で日本語を止めなければならないのは、私がバイリンガルの帰国子女でないから?帰国子女なら母国語同然にすらすら英語が出てくるだけなのかも。でももし母国語を止めるひと手間が瞑想につながるなら、帰国子女でないことが逆にラッキーなのかもしれない。
私立学校に英語教師として勤務中、40代半ばに差し掛かったころ、荒れたクラスを立て直す策として、生徒に公言して英検1級に挑戦することを思い立つ。同様の挑戦を繰り返し、退職までに英検一級(検定連合会長賞)、TOEIC満点、国連英検SA級、フランス語一級、スペイン語一級(文科大臣賞)、ドイツ語一級、放送大学大学院修士号などの成果を得る。
アメリカで生徒への対応法を学ぶ為に研修(地銀の助成金)。最新の心理学に触れた。4都県での全発表、勤務校での教員への研修を英語で行う。現在も特別選抜クラスの授業を全て英語で行っている。「どうやって単語を覚えればいいですか?」という良くある質問に答える為、印欧祖語からの派生に基づく「生徒には見せたくない語源英単語集」を執筆中。完成間近。常日頃洋書の読破で様々な思考にふれているが、そうして得た発想の一つを生かして書いた論文がコロナ対策論文として最近入賞。賞品の牛肉に舌鼓をうっている。元英検面接委員