2022年の年末は京都の瞑想会へ行きました。
男女全部で40名、「10日間で100時間超の瞑想」という強行軍。
人生最後かもしれない機会は嬉しいんですが、60代半ば過ぎの者にこなせる?と一抹の不安も。
京都から山陰線に。園部駅から半時間バスで山間を縫った後、マイクロバスでさらに20分。でも人跡絶えた感じは無さそう。山中の道路沿いに広壮な人家を見つけるたびに何だか安心w。
現地は速足なら10分で一周できそうな敷地。瞑想ホールと食堂の2棟がメイン。初心者は瞑想ホール一階を占める共同部屋を5,6人づつ使用。瞑想ホールをぐるり取り巻く宿泊施設は再参加者用の一戸建てのよう。次々に到着する参加者達は緊張気味なのか黙りがち。
冒頭に簡単なオリエンテーション。そこで告げられた決まりは耳を疑うほど。
瞑想期間中は
<聖なる沈黙noble silence>を守る。
他人とは一切意思疎通ナシ。
身振りダメ目配せダメ。
筆談もダメ
と言う具合。
事前の多少の覚悟にも関わらず、実地に言われると少しビビりましたw。これ他意はなく、瞑想に集中する為らしいんです。
やってみて初めて分かることってあるんですね。こういう禁止禁止の中で、私が気づいたのは細かい意思疎通の大事さ。
どういうことでしょう?
<禁止されて分かったコミュの大事さ>
つまり、例えばスケジュールや持ち物の気楽な確認とか。分かりきってても何となくお互いに
確かめ合わないでしょうか。隣の人と「これ7時からだよね」みたいに…
実は私(自分はそんな風に確めない。何でも自分一人でやる、やれる)と思ってたんです。
でも今回コミュの全面禁止で、何気ない確認ができなくなり狼狽。(あれ、結構周囲に頼ってたのか…)と気づいたんです。細かい情報確認一切なしで、最初心細さを覚えた程w
繰り返しになりますが、分かりきっていても確かめ合い、連帯感等も同時に確認…自分の普段の振る舞いについて意外な気づきでした。今回瞑想会参加の副産物です。
こんな風に普段できることとか、奪われて初めて気づくことってあると思うんです。
<失って初めて気づくもの>
他に奪われないと大事さに気づかないモノって言うと…コミュの他に例えば健康。
英語でよく言う表現に
We don’t know the value of health until we lose it.
(健康は失なってから価値に気づく)
下線部のhealthに、communicationコミュニケーション、自由freedom・平和peace等を入れても、同じことが言えそうです。
We don’t know the value of peace until we lose it.
(平和は失なってから価値に気づく)とか。
でも平和でも自由でも、失って遅すぎ…なんてことがないようにしたいですよね。
See you soon!
Jiro
追伸:海外でも瞑想ブームみたいで、ビヨンセとかレディーガガなんかも瞑想してるようです。
https://do-gen.jp/meditation_worldwide/
私立学校に英語教師として勤務中、40代半ばに差し掛かったころ、荒れたクラスを立て直す策として、生徒に公言して英検1級に挑戦することを思い立つ。同様の挑戦を繰り返し、退職までに英検一級(検定連合会長賞)、TOEIC満点、国連英検SA級、フランス語一級、スペイン語一級(文科大臣賞)、ドイツ語一級、放送大学大学院修士号などの成果を得る。
アメリカで生徒への対応法を学ぶ為に研修(地銀の助成金)。最新の心理学に触れた。4都県での全発表、勤務校での教員への研修を英語で行う。現在も特別選抜クラスの授業を全て英語で行っている。「どうやって単語を覚えればいいですか?」という良くある質問に答える為、印欧祖語からの派生に基づく「生徒には見せたくない語源英単語集」を執筆中。完成間近。常日頃洋書の読破で様々な思考にふれているが、そうして得た発想の一つを生かして書いた論文がコロナ対策論文として最近入賞。賞品の牛肉に舌鼓をうっている。元英検面接委員