#1のおさらい
南北戦争以降のアメリカ南部で、軍隊を盛り上げるためのマーチングバンドが置いていった管楽器を使って、奴隷たちの故郷アフリカの音楽にアメリカのブルースやゴスペルなどが加わってジャズの起源となり、そのニューオリンズでジャズが盛り上がりを見せていましたが、1914年の第一次世界大戦の勃発により、寄港地として賑わっていた歓楽街は、1917年政府によりクローズされ、行き場を失ったジャズミュージシャンたちはミシシッピ川の流れに沿ってシカゴへと北上していきました。
ではその続きをどうぞ♫
#2 『スイングジャズの隆盛 1920-1940』
第一次世界大戦後の好景気で隆盛を極めたこのアメリカ ”Roaring Twenties” の、本場ニューヨークのジャズへと、発展を遂げていきます。
ここで出てくるのが、アメリカのギャング映画などでおなじみ、1920年から10年以上続くアメリカの禁酒法です。シカゴのアル・カポネ等の名前は、聞いたことがあるかな? アメリカでは敬虔な清教徒が、同じ移民のアイルランド人やイタリア人の酒の飲み方があまりにひどいと議会に訴えたため禁酒法が成立し、そのためにお酒を飲みたい人は、違法であるマフィアの経営する秘密クラブのようなバーに行って飲むようになりました。
ニューヨークには当時、推定約10万軒ものモグリのバーができていたそうです。肉屋の裏口から、合言葉で入っていくような。その時に不可欠だったのが、ジャズと言うわけです。内緒ですることって、なんかドキドキして気分が高揚しますよね。そこにお酒と、その時代の先端を行くジャズがプラスされれば、さぞ盛り上がったのだろうと思われます。
この頃、ニューヨークのスピークイージーと呼ばれたシークレットバーで大流行したのは、ストライドピアノのジャズ。開拓時代の幌馬車での移動でピッチが狂ってしまったピアノを利用したラグタイム(左手で、ベース音と和音を交互に打つもの)に、スイング感や即興性を加え、これは後のモダンジャズピアノの礎を築きます。余談ですが、このラグタイムは、シカゴではブルースピアノ(ブギウギ)として発展していきます。
そして、1929年にはウォール街を襲った大恐慌。不景気の嵐が吹きまくり、傷ついたり荒んだりした人々の心を、新しい、人の心に響く音楽、ジャズが、癒してくれたようです。自然と体が動くような、楽しい音楽を人々が求めた。それが、「スイングしなけりゃ意味がない」(デューク・エリントン楽団の名作)、スイングジャズの始まりです。
どん底の時があれば、次は景気は良くなっていく。1930年代からは、ジャズは、17名ほどのブラスバンドの編成によるビッグバンドが、隆盛を極めます。皆さんもよくご存知のクラリネット、ベニー・グッドマン。ピアニストのデューク・エリントンや、カウント・ベイシー。トロンボーンのグレン・ミラーなどが、サクソフォン5名、トロンボーン4名、トランペット4名、の管楽器 + ピアノ、ギター、ベース、ドラムなどのリズム・セクションで約17名ほどのビックバンドを編成し、ニューヨーク各地の高級クラブやハーレム、そしてその人気はどんどん上がり、アメリカ中を、はたまた世界にまでこのジャズを広げていくことになるのです。
この章の最後に、きっと皆さんも耳にしたことのあるビッグバンドで有名な曲を、ちょっとだけ上げておきますね。ベニー・グッドマンの代表曲では、「シング ・シング ・シング」「サボイでストンプ」「アフター・ユーブ・ゴーン」、デューク・エリントンは「A列車で行こう」「ソフィスティケイテッド・レディー 」「ソリチュード」「サテン・ドール」、カウント・ベイシーは「パリの四月」「ストライク・アップ・ザ・バンド」「シャイニー・ストッキングス」「リル・ダーリン」、グレン・ミラー楽団は「真珠の首飾り」「ムーンライト・セレナーデ」「イン・ザ・ムード」「茶色の小瓶」などなど。ちょっとだけのつもりが、良い曲がすごくたくさんあって、どんどん増えちゃいました、ごめん。皆さんも聞いたことのある曲が、きっと入ってたと思うんですが。
さて次回は、1940年以降、17名で1バンドとしてきちんと構成された楽譜を演奏していたそれぞれのミュージシャンが、もっとたくさんソロ(アドリブのこと、即興で、もちろんいろいろなルールがあるのですが、譜面を吹くよりも勢いを持ったフレーズが期待されます)を吹きたい弾きたい叩きたい、と思い始めて、コンボなどの小編成へ戻っていく、ビバップの時代、ジャズの黄金期と呼ぶ人もいるぐらいなところへと、進んでいきます。お楽しみに。
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。