硫黄島シリーズ第3弾は,夏にふさわしい怪談を予定しているのですが、そのお話の前に,どうしても知っておいていただきたい海兵隊員がいます。その怪談の体験者です。
今回は,その海兵隊員が,食堂勤務の上等兵から,海兵隊で最高の通訳官になるお話をお届けします。
海兵隊は,米国の6軍(陸軍,海軍,空軍,海兵隊,宇宙軍,沿岸警備隊)の中で,最初に紛争のある場所へ駆けつけます。ですから,海兵隊のことを,spare(矛先、槍の先)と呼ぶことがあります。
その先駆け部隊である海兵隊で重要視されているのが,情報。
世界に展開し,作戦を実行するには,その地域や国の情報を,いち早く入手することが大切です。
海兵隊と陸上自衛隊がカウンターパートになって間もなく,海兵隊基地の師団司令部の中に,両組織の協力と調整のために,自衛隊連絡官のオフィスが設けられました。
海兵隊師団長は,陸上自衛隊との関係を構築するために,1年間の計画を立てます。その際,キーとなるのが日本語の通訳官なのですが,当時,日英の通訳官は,上級司令部に一人しかいませんでした。
そこで,「日本語を話せる海兵隊員は、我が師団にはいないのか?」という師団長からの一言。
日本語を話す海兵隊員を探せ!
キャンプ・コートニーにあるオフィスに,通訳見習いの女性海兵隊員がやってきた。階級は上等兵。フィリピン系アメリカ人の軍人の父と,日本人の母の間に生まれ,沖縄で育った。
米軍基地にある高校を卒業し,アメリカの大学に入学,陸軍士官候補生として入隊したが除隊。海兵隊に2等兵として再入隊して,両親の住む沖縄に赴任した。
頭の切れも良く,細かいところまで気が付く。英語はネイティブで,日本語は流暢に話し,沖縄方言も理解できる。ただ,敬語はむちゃくちゃ・・・。
筋トレが趣味で,腕は私より太い。小柄ではあるが,大学時代,アルバイト先のファーストフード店で,うっぷんを晴らすために,業務用冷蔵庫の扉を正拳突き。拳の後がくっきりと残り,ばれて首になった,という武勇伝を持つ。
沖縄で両親と一緒に住むために,海兵隊に転勤願を出し,半年前から,隊員食堂に臨時勤務していた。
海兵隊師団長の「日本語を話す隊員を探せ!」の一声で,食堂の長である軍曹が,そんな上等兵の存在を通報してきた。
すぐさま師団長が直接面接をすることになり,陸上自衛隊連絡官も面接官として,師団長室に急遽呼び出された。
上等兵は、隊員食堂での皿洗いが終わり、そのままの姿で,駆け足でやってきた。
いつも冷静な司令官室の女性秘書が,上等兵を見るなり
思わず,“Oh, My!(あらまあ!)”と,その姿に小さく声を上げたそうだ。
上等兵の名前をMoreno(モレノ)という。
モレノ上等兵は,食堂で着る白い分厚いビニール製の前掛けをしており,作業衣の白衣には,ケチャップやミートソースのシミがついていたのだ。さらに,ぜいぜいと荒い息を切らし,大汗をかいている。
軍曹(sergeant)から,「直ちに師団長室へ行け!」といわれ,“Yes, Sergeant!(了解!)”と駆け足でかけつけ,大汗をかいているのだ。
師団長と陸上連絡官は,その姿に絶句した。
椅子もすすめられないまま,陸上自衛隊の連絡官から日本語の質問が飛ぶ。直立不動だが,打ち解けた仲間のような日本語の会話が続く。その時は,上等兵はまだ何も知らされないまま,日本語を話していた。
そして,その日からモレノ上等兵は,海兵隊師団長付の通訳官となった。
公式に通訳官デビューするまで,自衛隊連絡官室で預かることに。つまり,通訳の特訓をすることになったのである。
その3か月後,私Swatchが、陸上自衛隊海兵隊連絡官室に赴任した。
女性海兵隊員に日本語の敬語を特訓
「最初は電話の取り方だ!」電話はコールが3回以内にとり,第一声はこうだ,「モレノでございます」。
人間はとっさに行動したときに,自分の言葉がでる。電話で,「ございます」と言えれば,普段からいつでも「ございます」は使えるようになる。
私,Swatchは,モレノ上等兵の通訳訓練官兼世話係に任じられた。
モレノ上等兵は,食堂の臨時勤務から自分の職種である化学部隊に戻り,部隊で特別な訓練がある日以外は,連絡官オフィスに詰めることとなった。朝から夕方まで一緒である。
昼は,基地内の「天願キャッスル」というクラブハウスで一緒に昼食をとる。これも訓練だ。
通常,通訳の際,通訳官には食事は供されないが,主催者によっては,通訳も食卓を囲むことがある。その時は,会話を中断させないための技術がいる。会話を聞きながら、機を見て食べ物を口に運ぶ技術だ。
であれば,「食べなければ良い!」ということになるが,高官との会食は高価なコースディナーで,できる限り料理を口に運ぶのが礼儀である。ただ,通訳中,食事を味わう余裕はない!
敬語,食事のタイミングなど,一連の通訳の業務は,一朝一夕にはうまくならず,毎日の努力がそれを可能にする。さらに,通訳は人並み外れた記憶力がいる。いわゆるエピソード記憶を最大限に利用し,大脳の海馬に大量の情報を落とし込んでいく必要がある。
私自身,20年前に通訳したことでも,当時の簡単なメモがあれば,今でも会話の内容を再現できる。
通訳直後に,発言内容を報告書にするのが通常で,晩餐の後に,パソコンに向かう。でき次第報告を求められることもある。
モレノ上等兵の通訳の技術は,日に日に向上。記憶力も群を抜いていた。
そして,通訳官としての大仕事が彼女に。目指すは、東京都市ヶ谷の防衛庁(当時)である。別名、市ヶ谷プリズン*(刑務所)
*市ヶ谷プリズン:エリートが集まる防衛省本省は,当時、連日泊まり込みの勤務が多く,週末金曜日の夜にようやく自宅へ帰る,という隊員もいたことから,刑務所に例えられた。
陸上自衛隊との三角関係 (Love Triangle) って何?
海兵隊師団長が,少将から中将に昇級し、沖縄米軍のトップとなった。第一弾の「米軍司令官は,旅行代理店!」で紹介した,凄腕の第3機動展開部隊司令官である。
そんな司令官が,陸上自衛隊トップである陸上幕僚長へ,就任の表敬訪問をすることなった。通訳官は、モレノ伍長である。
彼女は沖縄での通訳の功績が認められ。上等兵から伍長へ特別昇級していた。
表敬前日に,東京天現寺にある米軍の厚生施設、ニュー山王ホテルに宿泊。ここは,米軍人及び軍属専用なので,一般客は泊まれないが,私は,海兵隊司令部から,出張命令書(ITO:Invitational Travel Order)を発行してもらって宿泊していた。
表敬訪問当日,新宿区市ヶ谷の,真新しい防衛庁庁舎に到着。司令官と通訳官モレノ伍長は,黒塗りの車で玄関の車寄せに到着する。
連絡官チームが先導し,表敬のため応接室へ案内する。陸上幕僚長と司令官の力強い握手で会談は始まった。海兵隊師団長の頃からの旧知の仲であった二人は、最初から忌憚のない意見を交わしていた。
そんな中、
〜〜〜
司令官(モレノ通訳官訳):陸上自衛隊と米海兵隊はカウンターパートとなり,今回就任のご挨拶ができるのは、非常に喜ばしいことです。陸上自衛隊は,米陸軍と米海兵隊をカウンターパートとして,三角関係*を維持しているのは,なかなか難しい点もあると思いますが、、、。
Swatch:(モレノ通訳官に向かって頭を大きく横に振る)小声で,「三軍の関係」とつぶやく。
陸幕長:???
モレノ通訳官:失礼しました。「三角関係」ではなく「三軍の関係」でした。
陸幕長:いやいや,モレノさん。その通りです。三角関係は,なかなか難しいところがあります。言い得て妙です。ありがとう。
一同:爆笑
*三角関係:Love triangle 恋愛関係のもつれ
〜〜〜
通訳も英語ペラペラも,結局は場数!
モレノ通訳官の東京デビューは,大成功。私は、彼女の対面でそれを確認することができた。
落ち着いた雰囲気,歯切れのよい通訳,さらに彼女の笑顔とユーモアで大きな成果を得た。
彼女自身にも成果があった。陸上幕僚長がモレノ伍長の日本語に感心し,その明るさと人柄を気に入ってくれたことである。その後,再会の都度,二人は「三角関係」の話で盛り上がっていた。
モレノ伍長は,陸上自衛隊の様々なイベントに通訳として参加し,自衛官の間で,アイドルのような人気を博していった。特に女性自衛隊員からは,姉妹のように慕われた。
通訳は,まず場数を踏むことで,段取り,気配りや技能が向上するといわれています。英会話も,記憶するだけではなく,覚えたフレーズを実際に使うことで身につきます。場数を踏むことで使えるフレーズになるのです。
実際にフレーズを口にしたときの相手の表情,反応や言葉がしっかりと画像としてインプットされることで,そのあとは,英語のフレーズがペラペラと出てきます!
英会話ペラペラは,まずは,場数を踏むこと。そして積極的に英語で話しかけてみることです。
※次回,今回お伝えした,モレノ伍長が硫黄島で体験した怪談をお届けします!
執筆家・英語教育・生涯教育実践者
大学から防衛庁・自衛隊に入隊。10年間のサバイバル訓練から人間の生について考え、平和的な生き方を模索し離職を決断する。時を同じくして米国国費留学候補者に選考され、留学を決意。米国陸軍大学機関留学後、平和を構築するのは、戦いを挑むことではなく、平和を希求することから始まると考えなおす。多くの人との交流から、「学習することによって人は成長し、新たなことにチャレンジする機会を与えられること」を実感する。
「人生に失敗はなく、すべてのことには意味があり導かれていく」を信念として、執筆活動を継続している。防衛省関連紙の英会話連載は、1994年1月から掲載を開始し、タモリのトリビアの泉に取り上げられ話題となる。月刊誌には英会話及び米軍情報を掲載し、今年で35年になる。学びによる成長を信念として、生涯学習を実践し、在隊中に放送大学大学院入学し、「防衛省・自衛隊の援護支援態勢についてー米・英・独・仏・韓国陸軍との比較―」で修士号を取得、優秀論文として認められ、それが縁で定年退官後、大規模大学本部キャリアセンターに再就職する。
修士論文で提案した教育の多様化と個人の尊重との考えから、選抜された学生に対してのキャリア教育、アカデミック・アドバイジングを通じて、キャリアセンターに新機軸の支援態勢を作り上げ、国家公務員総合職・地方上級職、公立学校教員合格率を引き上げ高く評価される。特に学生の個性を尊重した親身のアドバイスには、学部からの要求が高く、就職セミナーの講師、英語指導力を活かした公務員志望者TOEIC セミナーなどの講師を務めるなど、大学職員の域にとどまらぬ行動力と企画力で学生支援と教員と職員の協働に新たな方向性をしめした。
生涯教育の実践者として、2020年3月まで東京大学大学院教育研究科大学経営・政策コース博士課程後期に通学し、最年長学生として就学した。博士論文「米軍大学における高等教育制度について」(仮題)を鋭意執筆中である。
ワインをこよなく愛し、コレクターでもある。無農薬・有機栽培・天日干し玄米を中心に、アワ、ヒエ、キビ、黒米、ハト麦、そばを配合した玄米食を中心にした健康管理により、痛風及び高脂質血症を克服し、さらに米軍式のフィットネストレーニング(米陸軍のフィットネストレーナの有資格者)で筋力と体形を維持している。趣味はクラッシック音楽及びバレエ鑑賞。
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