今回から6回に分けて、ジャズヒストリーと題してお伝えしたいと思います。
このジャズヒストリーシリーズ、きっかけは私のジャパンコンサートツアーの時に、(あ、私の本業はジャズピアニストです、笑)ジャズクラブは敷居が高くて行ったことがない、と言う声をあちこちで聞いたからです。ジャズが敷居が高い! ええっ? 私は驚きました。ジャズで有名なシンガーなどは、私はアメリカの演歌だなぁと思っていたからです。八代亜紀を聞くような感じで、ビリー・ホリディを聞いているんです。普通のおんなが、普通の行き場のない恋を、忘れられないあの人を、酔いつぶれながら歌ってる、みたいな。なので、全然敷居が高いと言うのは当てはまらないんです。なのでみんなでジャズを知って、ジャズを聴きにいきましょう(笑)。
それでは、ジャズ入門篇どうぞ。
#1
『ジャズの生誕 1900-1920』
ジャズの生誕と言えば、1900年頃の、ニューオリンズなどでのブラスバンドやデキシーランドが、有名ですよね?
ニューオリンズの空港に到着すれば、ニューオリンズの空港に着けば、1983年日本のホンダシビックのCMが懐かしい、What a wonderful world 「この素晴らしき世界」で有名なルイ・アームストロング像が、迎えてくれます。
アメリカでは、19世紀後半、俗に南北戦争と言われる、欧州移民が持ち込んだ産業革命によって自分たちで工業などの産業を起こし人口も増え景気の良くなってきた北部の州と、南部の州では、当時まだ1600年代から200年以上にわたる、合法な奴隷制度による奴隷の労働に頼った農業、プランテーションが産業の中心であり、自由州か、奴隷州かを巡り起こった戦いがありました。
その時の、マーチを演奏していた軍楽隊の楽器などが終戦後南部の各地に置き去りにされ、本来ならば高級な管楽器類がそこかしこに発見されて、せっかくあるのでそれで演奏を始めたと言うのが、ジャズの始まりなのだそう。なので今はジャズでは定番となっているアコースティックベースですが、当時はマーチングバンドだったので室内用の弦楽器はなく、チューバが、すごく重い楽器だけれどベースパートをとっていたのです。
この音楽はまず最初は冠婚葬祭に役だったようですが、「聖者が街にやってくる」っていう、有名なお葬式の曲がありますよね、それにブルースや、ラグタイムなどがミックスされ、だんだんとジャズらしくなって来たみたいです。何事も、きっかけって、あとで知ると本当に面白いですよね。
もともと19世紀には、奴隷として遠くアフリカなどからアメリカ大陸に連れてこられた黒人たちが、夜明けから日暮れまでの綿摘みなど休みなしに働かされており、その重労働の中で、日曜の朝だけはこのコンゴ・スクエアという広場に集まって故郷の歌や踊り、ドラムのリズムなどで労働の辛さを癒したのだそうです。音楽が人の心を癒すのに大きな力がある事は明白で、古代から、人間にはなくてはならないものだったのでしょうね。
このミシシッピ川の下流にあるニューオーリンズと言う街は、この後寄港地としてホテルやバー、売春宿などがどんどん栄えていき、ブラスバンドを中心とするジャズは、それらの店で必須のものとなっていくのですが、1914年の第一次世界大戦の勃発によって、そのようなムードは一掃されてしまいます。政府によって風俗の店がクローズとなり、仕事にあぶれたミュージシャンたちはミシシッピ川をどんどん北上し、メンフィスを経由してシカゴや、そしてニューヨークなどの大都会へ上っていくのです。
そしてこの続きは、また後日このシリーズの#2として、お届けしますね。
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。