突然ですが私、最近周りでメールについてのこんな不満をよく聞くんです。
メールでホントは何が言いたいのかが読めない。
どんな気分のニュアンスで言ってるのか分からない。
一つの言葉の本当の意味が分からない。(不機嫌?嘘?こちらが何か悪いコトでもした?)
???ばかりでむしゃくしゃ…
あなたにも似た経験ありませんか?
アメリカ人ならどうかと思い、ある米人教授のサイトを見たら、
学生・教授・学会から毎日来るメール。これれにすぐ返事しないと何だか後ろめたい。
この「即答プレッシャー」は私だけではあるまい。
アメリカ人はすぐ返事出すのだけが煩わしいのか「本心」なんて関心なさそう。
で、ある本によれば「メールの本心が読めない」の不満は、ないものねだりらしいんです。
どういうことでしょうか?
どんな言語も内容を伝えるコミュニケーション。でも伝える手段には意外なものまで。
発言や文章の他に、声(抑揚・声量・息遣い)、目付き・表情・姿勢等もあるようです。
これらの「非言語情報」の方が発言や文章の情報よりはるかに重要。
例えば、口先でうまく言っても、顔色や目つきでホントは嘘だと伝わってしまうとかです。実際のコミュニケーションでは「非言語情報」は重要度が9倍以上…と「人は見た目が9割」の著者は述べています。言葉より全体的な言い方の方がず~っと大事みたい。
<察しようにも判断材料が…>
さて少し視点を広げると…日本文化は「察する文化」。察するのは、まさに声や顔つき・姿勢から。でもこれらの非言語情報は、基本姿が見えないメールではゼロ。
日本人はメールに接する時でも、つい「本心」を察しようとするのでしょう。でも声もしない、顔の表情や姿勢も見えないのに真意を察しようなんて土台無理な話。超能力者でもない限りですw
つまり日本人はメールの「本心」という、見つからない情報探しに疲れてしまうのかも。
教訓を英語にしてみました。
The meaning of a mail lies only in what it says.
(メールの意味はその文面だけにある)
結局メールは本心とか裏の意味を探らず、表面の字面に注目するしかなさそうです。
<言う、言わない…の差>
日本語とは対照的に、英語話者の文化は「察し」でなく、口で「言う」文化。
冒頭の米人教授も、即答の負担への愚痴だけ。つまりすぐ返答を言わねばという愚痴で、相手の真意が察せない云々ではありません。
米国のように人種や背景が多様だと、察し合うのはまず無理。だから全てを口にして、明け透けにコミュニケーションを図ろうとするのかも。会議や授業でも、単なる出席でなく発言が重要視されるのも同じ理由でしょう。
そう言えば、新約聖書の冒頭にも「初めに言葉ありき」とありました。まさにズシンと来る言葉。
今回お話しは、私の周りの人間と一人の米大学教授の愚痴が出発点。大勢を調べればもっと
色々結果が出てくるかも。
何はともあれ、対面のコミュニケーションが普通にできる日が待ち遠しいですね。
See you later!
Jiro
追伸
◯大学の先生が書くメールの恐怖症
https://www.psychologytoday.com/us/blog/the-mysteries-love/201902/is-why-i-haven-t-replied-your-email
◯人は見た目が9割 (新潮新書) 新書
https://amzn.asia/d/guyeNFy
「やっぱり見た目が9割」という続編もあるようです。
私立学校に英語教師として勤務中、40代半ばに差し掛かったころ、荒れたクラスを立て直す策として、生徒に公言して英検1級に挑戦することを思い立つ。同様の挑戦を繰り返し、退職までに英検一級(検定連合会長賞)、TOEIC満点、国連英検SA級、フランス語一級、スペイン語一級(文科大臣賞)、ドイツ語一級、放送大学大学院修士号などの成果を得る。
アメリカで生徒への対応法を学ぶ為に研修(地銀の助成金)。最新の心理学に触れた。4都県での全発表、勤務校での教員への研修を英語で行う。現在も特別選抜クラスの授業を全て英語で行っている。「どうやって単語を覚えればいいですか?」という良くある質問に答える為、印欧祖語からの派生に基づく「生徒には見せたくない語源英単語集」を執筆中。完成間近。常日頃洋書の読破で様々な思考にふれているが、そうして得た発想の一つを生かして書いた論文がコロナ対策論文として最近入賞。賞品の牛肉に舌鼓をうっている。元英検面接委員