今からもう半世紀前、高2の夏。一か月英語研修で英国に行けた時のことです。
初日にクラス分け試験。
30分位の文法問題中心だったと思います。
日本の学校と同じだ!みたいな最初は楽勝気分。
ところがクラス分け後の最初の授業。10人位の生徒が、皆私に驚いた様子なんです。
それもそのはず。他のメンバーはドイツ人やベルギー人の英語の先生達。
つまり彼らは母国で英語を教えている側。一方私は当時ただの高校生。驚くのも無理はありませんよね。
毎日2,3コマの授業が始まってみると、なんと最高レベルのクラス。今度は私が驚く番w。日本の授業からすれば、レベル高すぎ。
聞き取れない英語が飛び交い、読む題材はDH.Lawrenceの小説。ペーパーバックで一気に数十ページ、(もちろん訳さずw)日本の現国みたいな感じで進む。
討論の時間のテーマは、philosophy(フィロソフィー/哲学)とreligion(リリジョン/宗教)の違い。ライティングのクラスで書くのは詩…
もうカルチャーショックならぬスクールショック。
<踏みとどまったドロップアウト>
クラス降格も一瞬頭を過りました。
でも朝から晩まで英語漬け…というわけではありません。一日の大半は自由時間。それに日本のようにテストもない。レベルは高いけど、言って書いて発表すれば何でもOKのよう。
もう半分やけくそで、最高クラスの劣等生として最後まで居座ったわけです。
<クラス分けの謎>
ただ自分に英語の実力がないのは明らか。それがなぜこのクラス…と???が一杯。
あちらで一緒の日本人高校生達も、クラス分け試験で皆高得点。でも授業には歯が立たず、「下」のクラスに変わった人も結構いたみたい。
私の実感として、日本でそれまで受けきた英語の授業とは雲泥の差があるのを再認識。それもそのはず。英語を使う機会はほぼゼロだし、(まるで暗号解読だなあ)と。
クラス分け試験で試されたのは、たまたま暗号解読的な文法問題。日本人なら高得点になる理由が分かった気がしたんです。
<学校英語の意外な有難み>
さて今回あなたへのお話の胆は、この流れからすると少し意外かも。それは古臭い日本の英語教育の一つの良い点…それは文法。また文法の知識が英国研修で実は役立ったということです。
高校生の私が、英国外の英語の先生用の最高クラスに踏みとどまれたのは、多分英文法のおかげ。そのおかげだけw。繰り返しますが、文法知識がなければきっと無理だったでしょう。
パッと聞いて分からなくても、後でゆっくり考えれば文法的には普通。つまり文法の理解不足ではなく、慣れの問題。
英語を実際に話すにも、基礎の文法はちゃんと役立ちました。文法ゼロなら単語の羅列しか手がなかったでしょう。
構文の古臭さに笑われたって、人格の問題じゃない、単なる言葉の問題。笑いたきゃ笑え…とまでは思いませんでしたが、要はこれも慣れ。
教科書のタブレット化とか色々変化しても、文法の知識はどうしたって大切かも。
ここまで読んでくれたあなたも、授業のおかげで、英文法は自分で思っている以上かも。当時のクラス分け試験なら予想以上に良い点数だったかもしれませんね。
もしそうなら、後は実地。人の往来が通常に戻り、英語を実際に使える場面が増えること…ほんとに楽しみですね。
See you soon!
Jiro
私立学校に英語教師として勤務中、40代半ばに差し掛かったころ、荒れたクラスを立て直す策として、生徒に公言して英検1級に挑戦することを思い立つ。同様の挑戦を繰り返し、退職までに英検一級(検定連合会長賞)、TOEIC満点、国連英検SA級、フランス語一級、スペイン語一級(文科大臣賞)、ドイツ語一級、放送大学大学院修士号などの成果を得る。
アメリカで生徒への対応法を学ぶ為に研修(地銀の助成金)。最新の心理学に触れた。4都県での全発表、勤務校での教員への研修を英語で行う。現在も特別選抜クラスの授業を全て英語で行っている。「どうやって単語を覚えればいいですか?」という良くある質問に答える為、印欧祖語からの派生に基づく「生徒には見せたくない語源英単語集」を執筆中。完成間近。常日頃洋書の読破で様々な思考にふれているが、そうして得た発想の一つを生かして書いた論文がコロナ対策論文として最近入賞。賞品の牛肉に舌鼓をうっている。元英検面接委員