今回は、「バーミンガム公民権国定記念物」に指定された、ある重要なモニュメントのお話をしたいと思います。
アメリカの「公民権運動」の歴史における重要な場所を保存するモニュメントなのですが、それがなぜできたのか、そしてそれがどういう役割を果たしているのか、お伝えできたらと思います。
一口に「公民権運動」といっても、何のことだか、現代の我々日本人にはわかりづらいかと思いますが、人間としての差別、と言えばわかりやすいでしょうか。人種の差別、男女の差別、思想の違いによる差別、宗教の違いによる差別に対する運動です。
「Jim Crow laws / ジム・クロウ法」という法律をご存知でしょうか?
これは、1870年代から、1964年に公民権法が制定されるまで長きにわたって続いた、黒人分離の州法です。 この法律によって具体的には、学校、バスなどの交通機関、公園、水道、トイレなどの公共施設が、白人用と黒人用に分離されていました。
この対象となる人種は「アフリカ系黒人」だけでなく、黒人の血が混合している者は全て黒人とみなす」という人種差別法の「一滴規定(ワンドロップ・ルール)」に基づいていました。
またこの州法は、黒人との混血者に対してだけでなく、インディアン(先住民)、ブラック・インディアン(インディアンと黒人の混血)、日系人などアジア系といった黄色人種など、ヨーロッパ系の白人以外、すなわち非白人の「有色人種」Colored (カラード)をも含んでいるのです。
つまり、もし私たち日本人がその時の米国にいたとしたら、多くの虐げられた黒人たちと、まったく同じ扱いを受けていたわけです。
1901年に採択されたアラバマ州憲法は、黒人の選挙権を剥奪し、南部のジム・クロウ制度を維持することを目的としていました。この憲法は、黒人への差別的な投票法を制定し、また、公の教育を、人種別に分離することを、義務付けていたのです。
1960 年代、アラバマ州バーミンガムは、アメリカ国内で、最も人種隔離が酷かった場所の 1 つでした。市内のトイレ、水飲み場、ランチカウンター等での人種隔離(黒人用、白人用とにはっきりと分けられていた)や、黒人の雇用に対する障壁などがありました。
そんな人種隔離の政策に対して、非暴力の抗議活動が行われていました。
しかし、これらの抗議活動を、警察と消防隊員は激しく妨害し、警棒、犬、催涙ガス、放水砲で参加者を攻撃。非暴力の抗議者たちは、平等を求める闘いの中で、暴力での圧力を受けたり、逮捕されたり、と残酷な扱いを受けていました。
しかしながら、その努力がやっと実り、長い歴史の後に、最終的に歴史の流れを変えることができました。
1963年4月に、アメリカで公民権運動の指導者として有名なマーチン・ルーサー・キング牧師が、バーミンガムの獄中から書いた手紙が有名です。
暴力ではなく、不公平さを是正したいと思った人々は、警察により投獄されていました。キング牧師は、アラバマ人権運動などの、数多くの歴史的な非暴力抗議活動の一つで逮捕された独房監禁中に、新聞の余白に言葉を書き記したのでした。
この書簡では、人々は裁判を通じて正義が訪れるのをいつまでも待つのではなく、不正な法律を破り、直接行動を起こす道義的責任を負っている、と主張しています。
そんな中、1963年6月11日。公立のアラバマ大学に、当時では考えられなかった、2人の黒人学生(ビビアン・マローンとジェームス・フッド)がクラスを登録できた、というすごいことが起こりました。その際、ガバナー(州知事)が、この2人の黒人学生が入学できないように実力行使をした、にもかかわらず。
この6月11日の出来事は、アメリカの公民権運動の流れを変える、とても大きなひとこまでした。
ニコラス・カッツェンバック米司法副長官は、ジョン・F・ケネディ米大統領の権限に基づき、連邦保安官とアラバマ州兵を伴って、実力行使をしたウォレス州知事と対峙し、2人の黒人学生がフォスター講堂に入り、授業の登録をすることを許可するよう求めたのです。
公民権運動における、この重要な出来事を決して忘れないように、未来の子供たちにもきちんと伝え、保存し、その意味を理解するのに役立つであろうことを、祈るために、2017年1月12日、ついに新しい国定モニュメント(記念碑)が、建てられました。
自分たちが当然受けることができるべき権利は、自分たちで勝ち取る。長年ひどい扱いを受けながらも、自分たちの権利を勝ち取ってきたカラードの人々は、本当に強いと思います。
日本人には、自分の上の人には真面目に従う、と言うDNAがしっかり根付いているそうなので、なかなかアメリカ人のようにはいきませんが、この世の中を少しでも良くしようと思えば、何か自分たちで行動を起こさなくてはいけない、そんな時期に来ているのかも、しれません。
それではまた来週♫
Kayo
◯モニュメントに関する記事
https://www.npca.org/articles/1442-birmingham-civil-rights-national-monument-will-preserve-pivotal-civil
◯黒人2人が入学した記事
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。