今回は、初めてニューヨークに来た頃、当時まだ英語ができなくて、ホテルで困ったこと3選、そして、その困りごとをどうやって解決できたのか、をお伝えします。
今だと、簡単に解決できることも、なにぶん初めてのニューヨーク。英語もできない当時は困りましたが、そこから色々学びました。
困ったことはたくさんあるのですが、今回は印象に残っている3つを。
ワインオープナーはどこで手に入る・・・?
まずは、友人たちとホテルで部屋飲みをすることになって、わざわざ専門店まで行き、ワインをボトルで買ってホテルの部屋に戻ってきてから、ワインオープナーがないことに気がついたとき・・・。
まだ若くて、海外のホテルにも泊まり慣れていなかったので、疲れていたけれど、ワイン・オープナーを買いに外へ出ました。
マンハッタンのミッドタウンで、ワイン・オープナーを購入するのは、どのお店に行けば良いかがまずわからなかった。酒屋さんに行ってみたけれど、ワイン・オープナーは売っていませんと言う・・・。
アメリカで普通に言うところの「ハードウェア・ストア」に行けばよかったんだけれど、何しろアメリカ初心者で、当時、台所用品(キッチン・ウェアとか、ユーテンシルとか)、を何と言うのかも、わからなかった。
もちろん、まだまだ、携帯電話やスマホが私たちの手元にあるようになる、ずっと昔の話です。
雑貨は、ハウス・ホールド。日用品、雑貨屋さんなどは、リテイル・ストアともいいます。そして、ワイン・オープナーの正式名称は、corkscrew(コーク・スクリュー)だそうです。
もちろん、デパートメント・ストアまで行けば、ちゃんとしたワイン・オープナーを売っていることも、後ほどわかりました。
さて、なかなか買い求めることができず、疲れて帰ってきたホテルの、フロント・デスク・・・。
そうだ、聞くだけ聞いてみよう!、とフロントに聞いてみたら、快く貸してくれました。
そっか、ホテルのフロントには、お客さんが、普段の生活で必要ないろんなものが置いてあるんだ!っと、それまで知らなかったので、目から鱗が落ちました。
部屋が暑い・・・
次の話題は、ロンドンの、古いホテルに泊まったときの話です。由緒ある、歴史小説に出てきそうな雰囲気のホテルでしたので、このヨーロッパならではの雰囲気を楽しもうとしました。当時、ロンドンの人々は、どこでも葉巻を吸っていて、それはとても息苦しいと思いましたが、でもそういう場所なのだなぁと思って過ごすことにしました。
到着した晩、部屋が暑くて眠れませんでした。窓を開けようにも、防犯のことを考えると、むやみやたらに窓を開けたまま寝ると言うのは怖かったので、びっしょり汗をかいて、次の日はどうしようか、翌朝ルームメイトの日本人女性と相談しました。
彼女も一晩中我慢していたようなのです。よく眠れなかった、と言っていました。散々悩んだ末、フロントに聞いてみることにしました。英語がうまくしゃべれないので、電話では難しいだろうと言うことで、2人でフロントまで降りて行って、面と向かって、身振り手振りのジェスチャーを加えなければなりません。
結局、各部屋についているボイラーの根元の部分に、小さいけれど、調節できるつまみが付いていると言うことを教えてもらえて、部屋に戻ってそれを閉めたところ、部屋が涼しくなりました。(大笑)
人生って、こんなものだねって、その彼女と残りの毎日を快適に過ごしたのを、覚えています。
外国に行ったときには、自分が快適なように、ちゃんと自分で主張しなければならない、と言うことを、この頃から少しずつ学び始めたのだと思います。日本にいるときは、なるべく周りの人に迷惑をかけないように、自分が我慢すれば良い、と思うことが多かったので、外国人とは少し考え方が違うんだなぁ、と思い始めました。
窓の鍵が掛からない・・・
最後は、1990年ごろニューヨークのチェルシーにあった、ちょっとモダンで、ボヘミアンが暮らすような、各部屋のインテリアも違って、値段もそんな高くないホテルに泊まったときの話。
ちょっと広めの部屋を予約してあって、窓からは、ちょっとうっそうと繁った中庭も見える、そんなお部屋で、最初満足だったのですが、よく見てみると、部屋は2階で、窓に鍵がかからない・・・。
古い窓で、立て付けが悪く、どうやっても内側から鍵がかけられないのです。一人旅だったので、これは悩みました。自分は神経質で臆病者です。ニューヨークですから、2階で、鍵のかからない窓の部屋に1人で寝るのは、怖いと思いました。
なので、フロントに行って話してみると「あれはずっとそうだから、大丈夫です。」と、全然回答になっていないのですが、忙しいので、と追い返され・・・。
だんだん日も暮れてくるし、そこに連泊することになっていたので、とても困りました。
悩んだ末、思いついたのが、知り合いの日本人女性の電話番号。とても面倒見の良い年配のご夫婦で、当時よくお世話になっていたので、彼女を頼って電話してしまいました。
彼女のご主人は、アメリカ人の弁護士さん。運良く、電話をしたときに、ご主人もその場にいらして、私のこの話を聞いて、ホテルのフロントマネージャーを電話に出しなさい、と彼が言ってくれました。
「私はこのカスタマーの弁護士だけれど、鍵が壊れている部屋に宿泊客を泊めるとはどういうことだ、それは施設が十分に機能していないということだから、当方がそちらを訴えることができる。彼女の部屋を、今すぐ鍵のかかる窓の部屋に変えるか、予約金を全額返しなさい。」
と威丈高に言ってくれたのです。私はびっくりしました。そして彼の最後の一言は、
「今すぐそれをしないなら、法廷であなたと会うことになるでしょう。」
このすぐあとに、私は、窓の鍵がちゃんとかかる部屋に案内されました。この翌日に、私がこのご夫婦宅にお礼に伺ったのは、言うまでもありません。まるで映画の一コマのようでした。
海外で困った話は、まだまだたくさんありますが、ぱっと今思いついたのはこの3つでした。いろんな方たちのおかげで、今までやって来れたと思います。パンデミックも終わり、日本から多くの方がニューヨークに見えています。
今度は私が、皆さんのお世話をする番だと思っています。非力ですが、日本の方が困っていれば、少しでもお助けしたいと思う今日この頃です。
それではまた来週♫
Kayo
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。