こんにちは
NYのKayoです。
アメリカで暮らしていると、街を歩く人たちのスマホの扱い方に「お国柄」が出ているなぁ、と感じます。
ニューヨークの人たちは、とにかくスマホを、ツール (道具)として使う。ケースはシンプルで頑丈、色も黒やグレーなど、控えめです。あとは、落としたときの衝撃を防ぐための強化ガラスを貼るくらい。
それを片手に持つか、あるいはジーンズのお尻のポケットにサクッと突っ込む。ちょっと危なっかしいと思うのですが、本人たちはまるで、気にもしていない様子。
電話が鳴っても、スッと取り出して「Yeah?」と短く返す姿が、なんだか妙にサマになるんですよね。ニューヨークの街角でその姿を見ると、「スマホさえスタイリッシュに見せるのか」と感心してしまいます。
日本人のスマホはアバター
一方で、日本に帰るとびっくりします。皆さん、スマホに「愛情」を注いでいる。
ケースはカラフルで、キャラクターのチャームやステッカーがあふれています。そして手作りのデコ。最近は、手首だけでなく首からストラップで下げる人も多いようで、まるでアクセサリーの一部のよう。
スマホが、ツールというよりも、「自分の分身」のように扱われているように感じます。
アイドルやアニメの写真を上手に切り抜いて貼ったり、キラキラ光るストーンをあしらったり。ひとつとして同じデザインがない、まるで小さなアート作品みたい。
日本人が特別に手先が器用なのかもしれませんが、私はその繊細さと遊び心に、日本らしい可愛らしさの文化を感じます。
NHK WORLDと言うブロードキャストで、京都の伝統のある工芸品などをよく紹介しているのですが、きっとそういう歴史ある工芸の根強い文化が、こういうことにも反映しているのだろうと思います。
そして日本の大人たちは、スマホって本来は平べったい2次元のものなのに、その平らなスマホを、わざわざ厚みのある皮革などの手帳型ケースで「3次元化」してしまう、、、そしてそのポケットにクレジットカードや身分証を入れたり、まるで小さなお財布です。
その、簡潔な利便さを追求する姿勢と言ったら。そんなところにも、日本人らしいこだわりを感じます。
「実用」か「表現」か ─ 文化の違いを映す小さな窓
考えてみれば、アメリカと日本では「個人の表現」の方向性がちょっと違うのかもしれません。アメリカ人はシンプルに、自分そのもの、で勝負する。だからスマホを派手に飾るよりも、ラフに扱う方が自然なのかも。
一方の日本では、身の回りの持ち物にこそ、個性を込める。「自分を直接アピールするのはちょっと照れくさいけれど、スマホケースならステキだし、友達との話題にもなる、DIYって楽しいし!」そんな気持ちなのでしょうか。
ニューヨークに長く暮らしていると、アメリカの合理的なスタイルにも慣れてしまいますが、日本に帰って街で見かけるスマホのデコには、思わず笑顔になります。
なんというか、そこには、生活を楽しむ余裕、があるのですね。この、「生活を楽しむ余裕」というのは、本当に、世界でも有数の日本人だからこそ持っているもので、外国に住んでいると、とてもうらやましく思えるのです。
対照的に、ニューヨーカーのスマホは、仕事のツール、情報の端末。飾るよりも、とにかく壊さないで役立てる。けれど、そのぶっきらぼうなシンプルさの中にも、都会らしい颯爽さがあります。ただ同じ「スマホ」という小さなデバイスを通しても、文化や価値観の違いがこんなに表れるのだと思うと、ちょっと面白いですね。
次に日本へ帰ったら、私も可愛いストラップでもつけてみようかしら!でも、もしニューヨークの地下鉄で、素敵なストラップで首から下げていたら、きっと目立つでしょうけれど。(笑)
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。

