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ワールドツアー回想録3:キューバ その1

World Lifeな生活
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2002223日、キューバのハバナ空港に降り立ちました。New Yorkはこの冬も、連日の最高気温が0度を越す事はなく、極寒に見舞われていた矢先のことでした。

メキシコ経由でキューバへ

この頃、アメリカと当時宿敵であったロシアの援助を受けている社会主義国であるキューバは断絶しており、54年間にわたる経済制裁中で国交がなく、米国からの便だと直接キューバに入ることができなかったため、まずメキシコのカンクンへ入り、その後メキシコ発の便でキューバへ向かいました。

(この後2015年にオバマ大統領により、米国との国交が一時回復)

私は日本のパスポートを持っているので、キューバに入る事は違法ではありませんが、当時から、こそっとキューバに入るアメリカ人もいたようで、キューバのイミグレーションでは、入る時も出る時も、スタンプを押さないのです。そこにはマシンガンを構えた警備兵が何人もいて、ちょっと驚いたのを、覚えています。

キューバン(ラテンジャズ)のなりたち 

私は、彼らのキューバン(ラテンジャズ)音楽にとても興味があったので、それを聞きたくてキューバに向かったのですが、まず、なぜあんなにかっこいいラテンジャズが生み出されたのか。

キューバンがうまれた当時、キューバ政府のお達しにより、ミュージシャンは、「アメリカの音楽である(スイング)ジャズを演奏してはいけない」と言う法律があったそうです。それで、ジャズを演奏したいミュージシャンたちは、ラテンとジャズをコラボして、生粋のジャズとは聞いた感じが異なるものにしたようです。

Arturo Sandoval(アルトゥーロ・サンドヴァル), Paquito D’Rivera(パキート・デリベラ)などが有名です。
よかったら検索してみてください♫

日本でのキューバ音楽

この平和な日本やアメリカでは、現在は考えられませんが、政治と言うのは酷なもので、国の指導者によって、演奏できる音楽のジャンルが決定されてしまったりします。日本も、大東亜戦争中には、アメリカの音楽を演奏などしてはいけなかったのだそうです。

 

そして敗戦した途端、堂々とジャズを演奏できるようになった。歴史と言うのは、後から鑑みると不思議なものです。現在はカフェでも焼肉屋さんでもジャズが流れている日本ですが、演奏してはいけない時代もあったなんて、不思議に思えますよね。

日本では、キューバ音楽と言うと2000年に大ヒットした映画、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブを覚えておられる方もあるでしょうか。古きよきキューバの音楽を奏で続ける、90歳代のギタリストなど、年配ミュージシャンたちの、キューバでの日常や過去の出来事などを伝えたドキュメンタリー。
ご覧になった方は、大きな感動を覚えた方も少なくないのでは。

NYのキューバンミュージシャン

ニューヨークのキューバンミュージシャン仲間に、あの映画のことを尋ねてみたら、あれはほんとに懐かしいよ、と。至るところであのキューバン音楽が、ときにはもの哀しかったり、でもラテンのリズムが強く底辺にあり。

そして詞はロマンティックだったり、日頃の生活の事だったり、、、演奏されていたそうです。彼らの親の代でアメリカに亡命してしまったから、祖国にはもうしばらくは帰れないそうですが。

キューバとアメリカの国交が断絶される直前や、断絶中でも、アメリカに渡ったキューバ人の子孫が、ニューヨークには結構います。彼らは音楽にとても才能のある人々で、その後もアメリカの音楽を演奏し続けています。日本にいると、なかなか「亡命」という言葉には縁がありませんが、こちらに住んでいると、日常にも、出てくる言葉です。

 

さて、キューバ、ハバナ空港に降り立った私は、まずむっとした暑さ、強い風と砂を感じました。そして空港を出てすぐ目に焼きついたのは、1940年、50年代の、ハイカラなアメリカのクラシックカーたちです!

そんなキューバでの様子は、次回お届けしますね。たくさんミュージシャンたちのフォトがあるので、楽しみにお待ちくだされ!

Kayo

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