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優柔不断な人ほど英語にはまる!?

World Lifeな生活
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クリスマスは予定した通り、充実したイベントになりましたでしょうか。
ある統計によると、日本人のクリスマスイベントは、意外に、充実感や達成感がないそうです。

都会のファンシーなレストランはどこへ行っても満員御礼。それも通常の定員オーバーの予約。
料金も特別料金、サービスといえば、忙しさで期待できません。

日本人の「皆と一緒に行動をすれば安心」とか、「周りに合わせておけば間違いない」という考え方。実は、その優柔不断な考え方が、すごく英会話の勉強に向いているんです。

<他人と同じことをしなければ不安なひと、英会話の学習に向いています>

他人と同じことをしなければ、なんとなく不安な人。実は、英会話の学習に向いています。
ポイントその1は、なんとなく他人につられて、英会話を始めることができる能力がある。

英語では、優柔不断な人を“wishy-washy”(ウィシー・ワッシー)と言います。
もともとは、「水っぽいとか味が薄い」といった意味です。

例文を示すと、

“You are wish-washy!”
(あなたは、優柔不断ですね)

となります。

ウィシー・ワッシーは、(煮え切らない、決断力のない、どっちつかずの)というニュアンスになり、優柔不断なパーソナリティを表現することができます。

なんとなく、ユーモア―のある発音ですね。でも、優柔不断ってそんなに悪いことですか?

日本人の特徴である、皆と一緒の行動をとってしまう。他人と違った行動をとりたくないという考え方は、生来のモノではありません。文科省の小学校教育で刷り込まれたものです。

詳しくは、拙文「日本の小学校で軍事教育」を参照。

小学校からの教育で、団体生活に自分を合わせるという高度な心理学テクニックを用いているのです。日本人が優柔不断な民族であったら、これほど世界に注目される民族にはなっていません。
一見優柔不断に見える行動は、「訓練されて培ったもの!」なのです。ですから、いったん英会話を始めてしまえば、ひとりぼっちにならない限りは、英会話はなんとなく続くことになります。

ウィシー・ワッシーの人は、英会話を始めると長く続けることができます。
つまり、英語にはまります。

<日本人は、決断ができない民族ではないのです>

(決断をする)にあたる英語はdecide(デサイド)です。その派生語で、(決断できない)ということをindecisive(インディサイシッヴ:決断する力がない)と言います。

あなたは日本人が、インディサイシッヴだと思いますか。
いえ、日本人は優柔不断ではありません。

日本人は国民同士で波長を合わせることができる、世界で唯一の特殊な民族なのです。
どんな味かわからないぐらい薄いものを、国民同士で共有できる特殊な能力があるということ。

ポイント2は、日本人は特別な感覚で、あることを共有する能力があるということ。
そういった繊細な感覚が、実は英会話習得には一番必要なことなのです。

戦後日本の文部省(現文科省)の英語教育政策は、高度成長のために、外国の文献を読み解き、そこから最新の知識をえて、工業力を高めるという趣旨の教育政策でした。

それが功を奏し、日本は世界第二位の工業国まで上り詰めました。決して間違った英語教育政策ではなかったのです。

それをやり遂げた日本人が、今の後期高齢者です。彼らは、現代の若者とは少し考え方を異にします。英語を学ぶことで、世の中を良くしようという熱意があったと言えます。

つまり、当時は日本人を突き動かす大きな国家目標がありました。同じ目標を英語でも共有していた。

今、日本は、他人と同じように生き、同調しながら生きていくという社会的な風潮があり、考え方も皆同じで、個性が感じられないかもしれません。

しかし、長年日本に滞在する外国人は、日本人ほど個性を尊重する国民はいないと言います。各人が自分の生き方を持っているということです。個性的な外国人だからその違いが判るのです。

社会人としては、社会の慣習やルールに従いながらも、自分の人生をしっかりと生きているという感覚でとらえられています。

決断するところでは、しっかりと決断する民族である日本人。2つ目のポイント(共有する能力)によって、目標が定まれば燃えるという国民性に注目することです。

いったん英会話学習に火が付けば、大変なエネルギーで学習します。そして、英会話にはまるのです。

<2つの事項でバランスをとれることが重要です>

人間は2つ以上の選択肢があると迷い、結果、優柔不断になると言われています。

英語でも、

“She is of two minds”
(彼女は、優柔不断だ)

二つの心(minds)が同居しており、どちらかを決めかねているという状況です。

確かに、2つの心があれば、迷います。どちらにしたら良いか悩むかもしれません。
しかし、日本人は常に2者択一で悩みながらも、平気で長~く生きてきたのです。

「日本の国を守ることは、必要である。でも、自衛隊は違憲である。」と言っても悩みません。

社会に自分を合わせるという生き方と自分自身の信念に従って生きるという生き方の2つのことを、心のバランスを非常にうまくとっていく技術を持っているのです。

そのバランス感覚が、第3のポイントで、英会話の勉強に非常に役に立つのです。

日本人の外国語の学習は、中国の漢字の学習が始まりでした。漢字をそのまま外国語として使うことと、音だけを取り入れてカタカナという日本語の表記を作った。素晴らしいアイデアです。

カタカナの発達により、外国語を発音に近く表記出来るようになりました。江戸時代のポルトガル語やオランダ語は、どう聞こえるかで表記し実用的でした。テンプラ、カステラなどです。

ところが、ネイティヴの発音を無視して、日本人に読みやすいカタカナ英語にしてしまったことが、
戦後英語教育の残念なところです。Machineを「ミシン」と読んだ頃は実用的だった気がします。

聞いて表記するのではなく、ローマ字で読んでいくという、「読む外国語」になってからは、そのまま覚えても、実際には通じない英語になってしまったのです。

そこに語学学習の難しさがあります。外国語を学ぶ、学習側に便利であればあるほど、本来の英語とはかけ離れたものになってしまっていたのです。

ポイント3での、英語と日本語のバランスをとっていくことができなくなってしまったのです。

1946年に始まった平川唯一氏の「カムカムエヴリバディ」ラジオ英会話が、バランスの取れた日本人向けの実践的な英会話だったのだと思います。戦後まもなくは、そういった素晴らしい英語学習が可能だったのです。

英語は英語、日本語は日本語として両者をバランスよく認識していくことで、耳で聞いて覚えるという本来の英会話勉強法との出会いが生まれてきます。

皆で英語をやってみる、お互いに英語を共有し合う、日本語と英語のバランスをとって学習することで、英語は日本人にとって、さほどハードルの高いものではなくなると思います。

あまり肩ひじを張らず、なんとなくやってみるという感じで英語をはじめれば、知らないうちに英語の面白さの虜になっているのかもしれません。

優柔不断な人は、英語にはまりやすい。実践しております。

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