こんにちは
NYのKayoです。
日本はこの季節10月といえば、もうすでに秋刀魚が出てる頃でしょうか。秋の夜長にふっとそんなことを考えると、なんとも言えないノスタルジーに包まれます、、、
ニューヨークに住んでいると、正直「旬」という言葉がだんだん霞んでしまうのです。
スーパーに行けば、ブドウもイチゴも、まるでバナナと同じ感覚で、いつでも並んでいる。ありがたいといえばありがたいのですが、その便利さが逆に季節感を奪っているような気もします。
「旬を待つ文化」の懐かしさ
以前、富士山のふもとに遊びに行ったとき、「この土地のブドウは最高なのよ」と地元の方に教えていただき、「じゃあ明日お店に行けば買えますか?」と聞いたら、大笑いされました。「5月にブドウ?あるわけないでしょう?」と。
あの時の赤面ぶりは今でも覚えています。ニューヨークではフルーツに「待つ」という発想がない。だからこそ、日本の「旬を待つ文化」がとても懐かしい。
春といえば、やっぱり山菜。子どもの頃は、週末に両親と山歩きに出かけ、蕨やぜんまいを摘んだものでした。大人たちは「今日はなめこがあったぞ!」と誇らしげに分けてくれたりして。正直、子どもだった私は山菜よりもお菓子の方が嬉しかったのですが(笑)、今になって思うと、あの“季節のごちそう”をいただけたのは贅沢な経験だったのかもしれません。
「同じ顔ぶれ」のニューヨークの野菜たち
ニューヨークで「新玉ねぎ」のニュースを見ても、「え、玉ねぎっていつでもあるじゃない」と思ってしまう。そう、こちらでは一年中同じ顔ぶれの野菜たち。でも、日本では「新玉ねぎの季節だ!」と聞くだけでワクワクする。あれは魔法のようです。
そして秋。やっぱりさんまですよね!七輪でじゅうじゅう焼いて、大根おろしをちょこんと添えて、そこに醤油を一滴…あぁ、思い出しただけで白いご飯が恋しくなります。ニューヨークで、それに出会えることは、まずありません。ジャパニーズ・レストランに季節メニューで登場するかもしれませんが、きっと目の玉が飛び出すようなお値段だと思われます。
「旬」は人と人をつなぐ合図
さらに、私にとって秋の象徴は「芋煮会」。東北の小学校では、毎年の恒例行事でした。クラス全員で鍋や材料を抱えて、片道30分ちょっと歩いて原っぱへ。焚き火を囲んで先生たちが慌ただしく走り回る中、ぐつぐつ煮える大鍋。野外での調理実習です。
里芋、きのこ、肉…そして味噌や醤油の香り。あの湯気の中で食べた芋煮の味は、今でもはっきり覚えています。おいしさの半分は、友だちとのおしゃべりや笑い声だったのかもしれません。
そう考えると、日本の「旬」はただの食材の話ではなく、人と人とをつなぐ季節の合図でもあるのでしょう。ニューヨークでは一年中同じ野菜や果物が手に入るけれど、「あ、もうさんまの季節か」とか、「そろそろ山菜だね」と言える日本の暮らしには、心のリズムを整えてくれる何かがある。
今度帰国するときは、ぜひまたその「旬の合図」に耳を澄ませたい。さんまでも、ぶどうでも、山菜でも。あの一瞬しかない味わいを楽しむために。ニューヨークにはない、けれど日本にはちゃんと残っている宝物。それが「旬」なのだと、秋風に吹かれながらしみじみ思うのです。
ニューヨークは、きっとすぐダウンジャケットが欲しい季節になることでしょう。それまで秋晴れが続いてくれるといいなぁ。政治の面ではいろいろ厳しい今日この頃ですが、負けずに頑張りましょう〜!
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。