硫黄島シリーズの第3弾は、夏にふさわしく?少し怖いお話を2つお届けします。
前回お話した、食堂勤務の上等兵から、通訳官になったモレノ通訳官。彼女は霊感が強く,時々何かわからないものが見えたり,聞こえたりするようでした。
硫黄島研修が決まり、私, Swatchが、硫黄島への初の出張を明日に控え、オフィスで最終調整をしていた時。
そんなモレノ通訳官が話しかけてきました、、、。
<そのミョ~な経験を話してくれよ!>
モレノ通訳官:チーフ、硫黄島、明日出発ですね。
私Swatch:そうだよ。初めてだから楽しみでもあり、不安でもある。
通訳官:お守り持っていてくださいね。チーフも、霊感強そうだから。
私:霊感ねえ、、、。チーフもって,君も霊感強いのか?
通訳官:え?知らなかったんですか。私、霊なんか見えちゃったりするんですけど。
私:まあね。類は類を呼ぶっていうからね。急に,どうしてそんな話を?
通訳官:いえ、私以前、硫黄島の摺鉢山(すりばちやま)でミョ~な経験したんです。
私:摺鉢山?硫黄島の慰霊碑があるところね。激戦だったところだよ!山の裏半分は,米軍の爆弾でぶっ飛んでいるらしい。
通訳官:そうです。その山です、、、。
私:予定では、そこに個人用テントを立てて、一晩過ごすよ。
通訳官:そ~なんですね、、、。
私:もったいぶらずに、そのミョ~な体験を話してくれないか。
そこから、モレノ通訳官は、とつとつと語り始めた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
モレノ通訳官が,沖縄に来て間もない、まだ上等兵だったころ、硫黄島慰霊式典※があり、海兵隊は,若手の海兵隊員を選び,硫黄島での式典の支援にあたらせていた。
彼女は、仲間の海兵隊員とともに選ばれ、海兵隊の聖地である硫黄島慰霊式典に参加できることを誇りに思っていた。
式典当日、日米の政治家,遺族等の参加で厳かに挙行された。
式典が終わり、海兵隊部隊は、そこから3km先の摺鉢山のもとに移動して、摺鉢山ランをすることとなった。
摺鉢山ランとは、慰霊のために摺鉢山へ駆け上る訓練である。慰霊でも訓練?と思われるかもしれないが、海兵隊の気質というか,とにかく海兵隊は訓練が大好きなのだ。「訓練開始!」という命令で,やる気がみなぎってくる。訓練は,身を守るために必要であることを知っているからだ。
徒歩で摺鉢山のふもとまでいき、全員が駆け足で一気に頂上を目指す。摺鉢山の標高は,約170m。らせん状に続く道路は,急勾配であり,歩いて上がるだけでも息が上がる。
そして、摺鉢山の上には、日米それぞれの祈念碑が並んで立っており、海兵隊員はその祈念碑に、自分のドッグタグ(認識票)や階級章をつけて、慰霊することになっている。
訓練開始にあたり、責任者の軍曹(Staff Sergeant)が檄を飛ばした。
「マリーン(海兵隊)諸君!ここが摺鉢山だ。
我々の先達が,1945年2月23日に,星条旗をこの山の頂上に立てた。その偉業を思いながら,駆け上れ!
頂上に着いたならば,まず,深呼吸し,脈拍が落ち着いたならば,水を飲め。そして,異常の有無を私に報告せよ!
Urahhh!(行け!)」
とgoサインをだした。
〜〜〜〜〜〜〜〜
<私の背中を押すのは誰?>
モレノ通訳官は、一息置いて、何かを見つめるような目で、語り続けた。
〜〜〜〜〜〜〜
軍曹が,私のところへ歩み寄り,
「お前は俺の長年の経験から見て,どん尻だと思う。急ぐ必要はないが,最後まで駆け足で上がって来い!Urahhh」!」
と告げ,私の背中をポンと押したんです。
<軍曹は、最後尾から海兵隊員の健康状態をチェックしながら、叱咤激励して部隊を動かします。>
軍曹は私の後ろにピッタリとついて応援してくれていました。
頂上まで残り30メートルぐらいのところが急こう配の直線で,一番きついところ。すでに頂上についている先輩が手を振っていました。後ろからも多くの仲間の声がして私を励ましてくれています。
応援にこたえようと思うのですが、体が重くて足が前に出ません。背中のデイバックの中の水や糧食が鉛のように重く感じます。
すると、
「がんばれー!」という声が一層大きく聞こえ、デイバックが、ス~ッと、軽くなったんです。
きっと、軍曹が後ろからバッグを持ち上げて、応援してくれているのだと思いました。
そこから、「Urahhh!!!」と叫びながら、数十メートルを一気に駆け上ることができました。
「軍曹、ありがとうございます!」
とお礼を言いながら振り返ると、、、、、、
誰もいません、、、
、、、
応援してくれた先輩も、バッグを持ち上げてくれた軍曹も、、、。
その時、
「モレノ上等兵,良くやったな!ご苦労様!」
と頂上から声がします。
え?と思い、頂上に振り返ると、軍曹が満面の笑みで立っています。
「軍曹、ありがとうございました。バッグを持ち上げて走ってくれたんですね!」
とお礼を言うと、
「俺は、ここでずっと隊員の世話をしていたけど、俺が何をしたって?」
と言う軍曹・・・。
「じゃあ、私の背中を押して、声をかけて応援してくれたのは、、、、、誰?!」
〜〜〜〜〜〜〜
霊がはなしかける!
彼女を押してくれたのは、応援してくれたのは、、、誰だったのか、、、、、。
確かにミョ~な体験話でした。
この話を聞いた翌日、私は硫黄島研修へ向かったのですが、やはり,私も霊感が強いのかもしれません。
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研修当日、海兵隊のC-130大型輸送機に乗り,硫黄島に着陸。飛行場にイオウのにおいが立ち込めていた。
硫黄島研修が始まりました。
私は先頭に立ち,海兵隊員の研修者に日本軍の戦闘を説明しながら,作戦の要所を道案内していきます。もちろん,初めての土地で,地理感はないので、地図が頼り。
なにぶん初の硫黄島研修、地図で場所は確認していますが,なかなか壕の入り口が見つかりません。
その時、
「こっちだ!・・・」
と声が聞こえます。草木がぼうぼうとはえ,道がわからなった所で、声が聞こえます。
「こっちだ!・・・」
声を頼りに、無事入り口を見つけると、海兵隊の上級曹長が声をかけてきます。
“Hey! Have you ever been here?”
(ここに住んでたのか?)
私は、
“Yeah, my friends still live here!”
(友達がたくさん住んでいるからね!)
と返すが,さすがに、声が聞こえた、とは言えない。
さらに不思議だったのは,進んで行く中、ポイントポイントで,戦闘の映像が、勝手に頭に浮かんでくるのです。書籍や論文で確認した戦闘内容が、映画を見るように頭の中に映像化され、浮かんでくる感じで。
研修ツアーの最終地点、滑走路付近では、次のような場面が頭の中に現れた。
日米の兵士が,それぞれ私に話しかけるのです。
ーーーーー
日本兵:「米兵は、俺たちの死体の上に鉄板を乗せ、その上を軍用車でひき潰(つぶ)したんだ!」
米兵:「ジャップは死んでない!次の瞬間に生き返り、ゾンビのように襲ってくるにきまっている!」
ーーーーー
私は,その光景を言葉にして、海兵隊員に伝えました。
海兵隊員の顔色が変わり,奥歯をかみしめています。伝えながら、私の背中にも,寒いものが走ります。
後世に残したい言葉
私は,司令官から研修の締めくくりを任されていました。最前列の海兵隊員の青い目が私を見つめています。その時,先程の戦闘の映像が,頭に走馬灯のようにながれ,心に一つのフレーズが浮んだ。
“ We will never do it again! ”
(二度とこのようなことをしてはならない!)
it(このようなこと)とは,海兵隊員各個人へのメッセージ。各自が一番印象に残った「してはならぬこと」を意味する。
両軍の霊は、天国で安らかに眠っている。
私は,硫黄島研修をこの言葉を伝えて締めくくることにした。
次回、モレノ通訳官の、もうひとつミョ~な体験話をお届けします。
※硫黄島慰霊式典
硫黄島は、第二次世界大戦末期、日米両軍が死力を尽くして戦った島です。日本軍は、20,129人が命をささげ,米軍は,死者6,821人、負傷者21,865人,合計28,685人で,日本軍の犠牲者を上回りました。
毎年,硫黄島で日米合同慰霊祭が行なわれ、海兵隊員も多く出席します。
執筆家・英語教育・生涯教育実践者
大学から防衛庁・自衛隊に入隊。10年間のサバイバル訓練から人間の生について考え、平和的な生き方を模索し離職を決断する。時を同じくして米国国費留学候補者に選考され、留学を決意。米国陸軍大学機関留学後、平和を構築するのは、戦いを挑むことではなく、平和を希求することから始まると考えなおす。多くの人との交流から、「学習することによって人は成長し、新たなことにチャレンジする機会を与えられること」を実感する。
「人生に失敗はなく、すべてのことには意味があり導かれていく」を信念として、執筆活動を継続している。防衛省関連紙の英会話連載は、1994年1月から掲載を開始し、タモリのトリビアの泉に取り上げられ話題となる。月刊誌には英会話及び米軍情報を掲載し、今年で35年になる。学びによる成長を信念として、生涯学習を実践し、在隊中に放送大学大学院入学し、「防衛省・自衛隊の援護支援態勢についてー米・英・独・仏・韓国陸軍との比較―」で修士号を取得、優秀論文として認められ、それが縁で定年退官後、大規模大学本部キャリアセンターに再就職する。
修士論文で提案した教育の多様化と個人の尊重との考えから、選抜された学生に対してのキャリア教育、アカデミック・アドバイジングを通じて、キャリアセンターに新機軸の支援態勢を作り上げ、国家公務員総合職・地方上級職、公立学校教員合格率を引き上げ高く評価される。特に学生の個性を尊重した親身のアドバイスには、学部からの要求が高く、就職セミナーの講師、英語指導力を活かした公務員志望者TOEIC セミナーなどの講師を務めるなど、大学職員の域にとどまらぬ行動力と企画力で学生支援と教員と職員の協働に新たな方向性をしめした。
生涯教育の実践者として、2020年3月まで東京大学大学院教育研究科大学経営・政策コース博士課程後期に通学し、最年長学生として就学した。博士論文「米軍大学における高等教育制度について」(仮題)を鋭意執筆中である。
ワインをこよなく愛し、コレクターでもある。無農薬・有機栽培・天日干し玄米を中心に、アワ、ヒエ、キビ、黒米、ハト麦、そばを配合した玄米食を中心にした健康管理により、痛風及び高脂質血症を克服し、さらに米軍式のフィットネストレーニング(米陸軍のフィットネストレーナの有資格者)で筋力と体形を維持している。趣味はクラッシック音楽及びバレエ鑑賞。
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