ニューヨークの、アート・ギャラリーで有名なチェルシー地区にある、ホリス・タガート・ギャラリーにて、フランシス・ハインツ展「バウンド・イン・タイム(時間に縛られて)」が、昨年10月に開催されました。
フランシス・マットソン・ハインズ(1920-2016)は、1980年にニューヨーク大学の招待で、ワシントン・スクエア・アーチ(ワシントン・スクエア・パークにある大きな凱旋門)を、面積の広いひも状の布で包み上げてラッピングして、巨大な芸術作品にしたことが最も有名で、動くアートとラッピング芸術の限界を押し広げた、実験的な作品を多く制作しました。
そんなフランシス・ハインツ没後、はじめての、エキシビジョンでした。
1980年ごろから名前が出てきた、このハインツ氏ですが、その彼の初期作品群が、コネチカット州の、ある農家の納屋にあった大きなダンプスター(ゴミ用の金属のコンテナ)から、最近偶然見つかった、と言うことなんです。
実は私、生前のミスターハインツと交友があり、私が演奏したブルーノート・ニューヨークでのコンサートにも、何度も来ていただいたのです。
私のピアノのビッグファンだと、常日頃からおっしゃっていて、彼が往年、ニューヨークのロフトを売却し、フロリダに引っ越すと決めたとき、ニューヨークのロフトにあった彼のクナーベのグランドピアノを、私がいただいたのでした。
私が現在、自宅で演奏しているグランドピアノは、この、フランシス・ハインツのロフトにあったものだったんです。
思い返せば、この彼のアトリエでもあるグリニッジ・ビレッジのお洒落なロフトで、このグランドピアノと共に、雑誌のインタビューやウェブサイトのフォトシューティング、アルバムのジャケット撮影など、いろいろと使わせていただきました。
ずいぶんと前ですが、クリスマスパーティーに呼んでいただいたこともありました。彼のアート作品が見事に展示されたロフトには、いろいろお世話になった思い出がいっぱい詰まっていました。
そんなご縁で、息子さん達や、姪っ子さんなどと、いまだに交流が続いており、今回このオープニング・レセプションにもご招待をいただいた、というわけです。
当日は、最初の30分ほどは何とか知り合いを探してご挨拶等できましたが、あっという間に大勢の人が押し掛けてきて、満員になってしまいました。
大概、ニューヨークでのオープニングパーティーには、無料でワインなどがふるまわれるのですが、その行列も並々ならぬ長さ。その間に、人々が噂していたのは、ニューヨークで1番大きなケーブルテレビ(スペクトラム)のローカルニュース(NY1)で、このミスター・ハインツが話題に取り上げられていたと言うのです。なのでぜひ見にこようと思っていたと。
そのアート作品の、値段表を見せてもらいました。びっくりです。すごい値段がついています。そして、もっと驚いたことには、この作品群の半数が、そのオープニングの日に、既に売約済みだと言うのです。
1番小さいのでも4500ドル(約67万円)と書いてます。わぁ、、、、
実は、私も彼からいただいたアート作品のスカルプチャーを家に持っています。もっと大きくて立派なものです(笑)。
いつの日か、何かあったときには、役に立ってもらう時があるかもしれません(大笑)。とにかく、知り合いが有名になるのは、嬉しいことです。
美術系のアーティストさんは、亡くなってから、と言うことが多いですが、でもきっと、どこからかニコニコして、我々を見守っておられることと思います〜。
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。