アメリカ人なら、子供時代にクリスマスにはテレビで必ずこの映画を見て過ごした、というほど、毎年毎年クリスマス・シーズンには欠かせない映画「クリスマス・キャロル」のお話を、今日はしようと思います。
古い映画です。1938年制作、イギリスの有名な大衆作家チャールズ・ディケンズによって書かれた作品で、当時のイギリスの庶民の生活を反映していて、大ヒットになった小説の映画化だそうです。
中には、クリスチャン(キリスト教)のお説教話のように解釈する方もあるようですが、決してそれだけでなく、もっと広い大きな心で人間を愛する気持ちが大切だ、と言うことを伝えた映画だと、私は思います。
お金の事だけ考えていると、だめな人間になってしまう、そんな感じの映画なんですが…
さて、ストーリーです。
時はクリスマス・イブ。主人公は、守銭奴のスクルージ、年老いた商人です。彼は、彼が雇っているセキュレタリー(秘書)のボブを、暖房もケチって、とても寒い部屋で遅くまで仕事をさせていました。
もちろん何もプレゼント等ありません。おまけに帰り道では、その秘書のミスでスクルージの帽子が馬車に轢かれてしまったので、その帽子代を弁償させる、と怒って、秘書のクリスマスの日の給料から帽子代を勝手に差し引き、おまけに、「君よりも優秀な使用人はいくらでもいる」と捨てゼリフを吐いて、彼を解雇してしまいます。
スクルージは友人のマーリーと共に、とにかく儲け重視で他人のことを考えず、思いやりを持たず、2人でどんどん商売を大きくしてきました。
でもそんなマーリーは7年前のクリスマスイブの夜、亡くなりました。
その後、自分1人で、強欲にビジネスを続けてきたスクルージのもとに、鎖で体をぐるぐる巻きにされた苦しそうなマーリーの亡霊が現れました。
彼は、私が死んだ後どれだけ苦しまなければならなかったか、と話をし始め、唯一の機会だから、いちどだけチャンスをやるので善人になれ、今なら挽回できる、と言います。
そして君にそれを考えさせるために、3人のスピリッツ(精霊)を送る。今日の夜中、1時に1人目、2時に2人目、3時に3人目だ。それでよく考えろ、そう言って姿を消します。
恐れていた午前1時が来ます。まぶしい輝きの中に、「感謝の精霊」が立っています。
彼女は彼を、彼の昔の、子供の頃のクリスマスの情景に連れて行きます。最高に楽しかった時を一緒に過ごした学校の友人たち、愛らしい妹、仕事先の、自分をいつも思いやってくれた経営者、すっかり忘れていたそれらのことを思い出し、彼の目が涙ぐみます。
「感謝の精霊」は、なぜあなたはこういうことを全て忘れてしまったのか、こんなふうによくしてくれた人たちに、自分が恩返しをしようと思わないのか?と問い詰めます。
スクルージはその場から逃げ出そうとして、ふと気がつくと現実の世界に戻ります。
少し自分のベッドでまどろんだ後、午前2時となり、2人目の精霊が現れます。
「現在のクリスマスの精霊」です。自分が今日クビにしたばかりの秘書ボブの、楽しげなクリスマスの家族団欒の模様が描かれます。彼には6人の、それはそれは明るい子供たちと、優しい妻があります。
でも、彼の末の息子は重い病気で、非常に高額の手術をしなければ来年のクリスマスはもう迎えられないかもしれません。
しかし、父親は今日、職を失いました。彼らが、教会で神に祈りを捧げる讃美歌を歌うシーンがありますが、この壮大な教会のシーンで、彼らは精一杯「クリスマス・キャロル」を歌います。
私はキリスト教とは何の関係もないのですが、とても感動しました。宗教的なことを抜きにしても、言葉がわからなくても、素晴らしい音楽は、人の心を打つものだと思います。
さて、ボブは、今日このクリスマス・イブにクビになった事を、家族には言えません。彼の妻が言いました、「来年はお給料が少し上がりますように、彼の雇い主のスクルージさんに乾杯しましょう!」そして、この家族全員が、彼のために乾杯してくれるのです。
場面はかわって、クリスマス・イブに、スクルージをクリスマス・ディナーに誘いに来てくれた唯一のファミリー・メンバー(家族)甥の家のクリスマス・パーティーの様子に移ります。
甥である若い彼には婚約者がいて、彼らはとてもラブラブです。でもお金がないので、まだ結婚はできないそうです。友人達と、それはそれはとても楽しそうな会話をしています。
そして、なんと、この甥は、今日のクリスマス・ディナーに来れなかった叔父のスクルージのために、その場の全員で乾杯をしてくれました。
かたくなに、クリスマスがなんだ、人助けがなんだ、貧乏人を助けてどうするんだ、と息巻いていた年老いたスクルージでしたが、クリスマス、いいな、クリスマス、大好きだ、と言い始めます。
さて、恐ろしげな3人目の精霊の登場です。皆さんも多分想像つかれていると思いますが、怖い未来が待っています。死体安置所には、誰も来ていません。どこかで野垂れ死にしたような雰囲気です。死体には大きな布が掛けてあり、スクルージは恐ろしくて、それをめくることができません。
一方、ボブの家では、スクルージのお葬式から戻ったボブがとても悲しそう。末息子のティムも亡くなっていて、家族全員が悲しみの底にいました。
スクルージは、こんな死に方はしたくないと思い、精霊に、生き方を悔い改めますから、どうにかこんなふうに死ななくていいように将来を変えてください、と頼みます。何度も何度も頼みます。
最後はもうハッピー・シーンの連続です。
スクルージはこぼれるような笑顔になり、人々に施しをします。たくさんのお料理やプレゼントを買い、自分の甥を共同経営者としてフィアンセと結婚式ができるようにし、そしてボブの家にも行き、子供たちに、それはそれは素敵なプレゼントを配り、来年にはボブの給料を上げることを約束します。
多分彼は、ティムの手術費も出してあげるつもりだと思います。スクルージ自身にとっても、周りの人々にとっても、それはそれは素晴らしいクリスマスの日です。愛に溢れた、人を思いやるクリスマスです。
この物語「クリスマス・キャロル」の原作者、イギリスの偉大な大衆作家ディケンズについて、少し調べてみました。
1812年、彼は割と裕福な家庭に生まれ、音楽や芸術などと親しみながら育つのですが、彼が12歳の時、お金に無頓着だった父親が破産して刑務所に入ってしまいます。
そしてその後ディケンズは学校を辞めブーツ工場で働き始め、ちょうど産業革命が起こり、経営者たちがどんどん財を成し、労働者たちは搾取され生活が厳しくなっていく時代に、労働者として過ごすことになります。
しかしながら、ディケンズは15歳のときには、新聞社のオフィスで働き出し、そのうち記事を書き始め、24歳のときには、最初の妻と結婚し、その後10人の子供を育てていくのだそうです。だからこその、この愛が溢れるクリスマス・キャロルへ繋がるのかな、と感じました。
みなさまも、もしチャンスがあれば、たまにはこんな古いモノクロの映画もいかがでしょう。
私は、毎年気にした事はなかったのですが、今年はこの映画の記事を書こうと思ったので、久しぶりにもう一度この映画を見てみました。とても暖かな気持ちになりました。
それでは良い年の瀬をお迎えください。
それではまた来週♫
Kayo
P.S.
この時期、ニューヨークでは、街のあちこちで、ファンド(募金)が行われています。有名人や有名スポーツ選手たちが、支援の必要な子供たちの施設に、素敵なクリスマス・プレゼントをたくさん送ったり、身寄りのないお年寄りのために、何千食もクリスマスディナーを配達したりします。
郵便物でも、あちこちから募金のお願いがたくさん舞い込んできます。アパートに住んでいれば、管理人やドアマン、ポーターさん達などに、クリスマスギフトのお金を用意します。日本で言うとお歳暮のようなものですね。お世話になった方にお礼の気持ちを、と言う意味もあると思います。結局、誰かに施しをすると言う事は、その人のため、と言うよりも、自分が幸せになるためなのだと思います。
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。