Hey!guys.
Swatchです。
Swatchは、沖縄海兵隊の司令部に4年間勤務し、その間13回に渡って、硫黄島を訪れた経験があります。
海兵隊員の聖地である硫黄島には、米軍の慰霊碑があり、毎回100名近くの若い海兵隊の研修を支援しました。
硫黄島、米軍では、“Iwo Jima”と発音されます。
日本では、「いおうじま」と「いおうとう」が混在しています。その違いを、英語の観点から考えてみたいと思います。
<硫黄島の正式名称は、「いおうじま」か「いおうとう」か?!>
結論から言えば、硫黄島の正式名称は、「いおうとう」です。
硫黄島は、東京都小笠原村に属し、「いおうじま」は戦後、1968年まで統治していた米国の使用していた呼び方、いわゆる米国式の呼び方です。
Swatchは、英語的に“IWO TOU”と発音するのは、きわめて難しく、米軍人が軍事作戦の中で発音しやすい“IWO JIMA”に落ち着いたと仮説を持っています。
歴史的には、旧島民と旧帝国陸軍は「いおうとう」と呼称し、帝国海軍は、明治時代に作成された海図の「いおうじま」を使用していました。米国はこの海図をもとに、「いおうじま(Iwo Jima)」という表記になったとされています。
1968年小笠原諸島が米国から返還されるにあたり、第1回小笠原村議会は第1回議会定例会で、これまで「いおうじま」と呼ばれたり、「いおうとう」とばらばらに呼称されたりした島名を、硫黄島(いおうとう)に統一するため「硫黄島の呼称に関する決議案」を提出し採択したのです。
これにより、現地での読み方に合致し、本土復帰当初の地形図も「いおうとう」となりましたが、皮肉なものに、1982年の地形図改訂にあたって、小笠原村が誤って「いおうじま」と東京都に報告したため、そのまま修正されてしまったのです。情報の正確さ、大切です。
その後、「いおうとう」へのこだわりの強い旧島民や子孫らが変更をたびたび要望されたものの、事務手続きが上手くいかず長年の課題となった。
情報は公的に認証されると、それを覆すのは、非常に困難です。その後、小笠原村の総務課職員は、何度も呼称変更を試みていますがうまくいきません。
2007年6月18日、国土交通省国土地理院は、東京都小笠原村からの地名修正の要望を受け、「硫黄島」の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」に変更したと発表した。誤報告から10年以上の月日を経て、島民の願いがかなった日です。
小笠原村の総務課の担当者の言葉で、「呼称変更の方法が分からず今日まで来てしまったが、旧島民の願いがかなって喜ばしい」が記録されている。
島名の呼称変更には、実は、国土地理院と海上保安庁海洋情報部で構成する「地名等の統一に関する連絡協議会」で検討し決定されたのです。
情報の変更がより複雑な組織的努力が必要であることを物語っている。元公務員であるSwatchには、「あるある」話です。
<小泉進次郎防衛大臣の硫黄島合同慰霊追悼顕彰式のことば>

令和8年、その「いおうとう」で、第27回日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式」が執り行われた。もちろん、主要官庁のひとつである防衛省の小泉進次郎防衛大臣が、参加された。
式典には、日米両国の遺族で構成される(日本)硫黄島協会、米国硫黄島協会の代表の参加もあった。その中で、日米の「硫黄島協会」の呼び方が違うのである。米国は「いおうじま」、日本は「いおうとう」である。前章を読んでいただいたあなたは、「なるほど!」と納得していただけるのではないだろうか。
両協会の設立の時期と状況から、「いおうじま」、「いおうとう」の名称が確定したことは、あなたの明晰な考え通りで、
日本の場合は、国土地理院の正式名称に従った組織名。
米国の場合は、あくまでも戦没者が戦った「作戦名(Battle Campagne)」に由来するのです。
そこで、小泉防衛大臣の追悼の言葉である。
追悼の言葉で使われる硫黄島は、「いおうとう」となっている。式典の行われた当日の追悼の言葉としては「いおうとう」は妥当であるし、問題はない。ここで起きた戦闘は、つまり、現在の地「いおうとう」で起きたということだからです。
Swatchが少し違和感を抱くのは、他のフォーラムにおける「硫黄島の戦い」について、小泉防衛大臣が、“Battle of Iwo Jima”と言ったのかが、明確ではないところです。
<英語のコミュニケーションは、情報の正確さが重要>
Swatchが聞いたニュースの英語のスピーチに、“Battle of Iwo Jima”は聞き取ることはできなかった。
硫黄島に関する表現は“ Iwo Tou”だったと思う。行政的に、島(とう)に統一されていたのではないかと考えている。Swatchも年齢を重ね、聴力や英語の瞬発的な聞き取りの力も落ちていることもあり、何とも歯痒いところである。
防衛大臣がそう言った言わないという議論ではなく、情報の正確さというところで、一度考えてみていただきたい。
硫黄島の戦いは、米軍がつけた“Battle of Iwo Jima”であり、米軍的には、永劫名称が変わることはない。
Swatchが、日本側通訳として、米軍人に対して“Battle of Iwo Tou”を使ったことは一度もない。
それは、日本人としての誇りを失ったことでも、米軍に媚びを売っている訳でもない。米軍人と話をする以上、日本語の行政用語ではなく、相手に伝わる英語で、正確に伝えることが第一義だと考えるからである。
英語のコミュニケーションには、流暢さも必要であるが、情報の正確さが重要である。相手の心に届く言葉を的確に選ぶことで、コミュニケーション力が磨かれます。
お試しください。
執筆家・英語教育・生涯教育実践者
大学から防衛庁・自衛隊に入隊。10年間のサバイバル訓練から人間の生について考え、平和的な生き方を模索し離職を決断する。時を同じくして米国国費留学候補者に選考され、留学を決意。米国陸軍大学機関留学後、平和を構築するのは、戦いを挑むことではなく、平和を希求することから始まると考えなおす。多くの人との交流から、「学習することによって人は成長し、新たなことにチャレンジする機会を与えられること」を実感する。
「人生に失敗はなく、すべてのことには意味があり導かれていく」を信念として、執筆活動を継続している。防衛省関連紙の英会話連載は、1994年1月から掲載を開始し、タモリのトリビアの泉に取り上げられ話題となる。月刊誌には英会話及び米軍情報を掲載し、今年で35年になる。学びによる成長を信念として、生涯学習を実践し、在隊中に放送大学大学院入学し、「防衛省・自衛隊の援護支援態勢についてー米・英・独・仏・韓国陸軍との比較―」で修士号を取得、優秀論文として認められ、それが縁で定年退官後、大規模大学本部キャリアセンターに再就職する。
修士論文で提案した教育の多様化と個人の尊重との考えから、選抜された学生に対してのキャリア教育、アカデミック・アドバイジングを通じて、キャリアセンターに新機軸の支援態勢を作り上げ、国家公務員総合職・地方上級職、公立学校教員合格率を引き上げ高く評価される。特に学生の個性を尊重した親身のアドバイスには、学部からの要求が高く、就職セミナーの講師、英語指導力を活かした公務員志望者TOEIC セミナーなどの講師を務めるなど、大学職員の域にとどまらぬ行動力と企画力で学生支援と教員と職員の協働に新たな方向性をしめした。
生涯教育の実践者として、2020年3月まで東京大学大学院教育研究科大学経営・政策コース博士課程後期に通学し、最年長学生として就学した。博士論文「米軍大学における高等教育制度について」(仮題)を鋭意執筆中である。
ワインをこよなく愛し、コレクターでもある。無農薬・有機栽培・天日干し玄米を中心に、アワ、ヒエ、キビ、黒米、ハト麦、そばを配合した玄米食を中心にした健康管理により、痛風及び高脂質血症を克服し、さらに米軍式のフィットネストレーニング(米陸軍のフィットネストレーナの有資格者)で筋力と体形を維持している。趣味はクラッシック音楽及びバレエ鑑賞。
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