以前選挙時のID(身分証明)に関した記事で identify(アイデンティファイ)「本人だと確認する」という語の語源をお話しました。
(→8/6「県知事選で裏切られたコト?」)
その中で私ちょっと引き摺っている部分をあなたと共有したくって…w
それはiden-(イデン)「それ自身」 の部分。
iden「それ自身」は元々はラテン語が語源で「本当に絶対にそれ」「誓ってそれ」というような意味。つまりidenは「それ」を強調した形。
iden「本当に絶対に誓って、それ」=(語源的に)「それ」の強調
「強調」って英語の説明に意外によく出てきますよね。後でお話しますが、not at all「全く~ない」はnotの強調など。でも「強調」だけでは、何だか分かったようで分からないように感じません?
私が引き摺ってたのは「英語の強調って何?」今回はそれをぜひあなたにお話したいんです。
<強調ってホントは何?>
idenが「それ自身」「それ」ではなく、強調して「それ自身」
英語の「強調」は、他に例えば「強調」のdo
“You didn’t go to the dentist.”
「お前歯医者に行かなかったな」
“ I did go!”
「行ったよ!」
I did go. のdidは「強調」のdo。普通に「私は行った」ならI went.で済む…それをわざわざdid goと分けています。このdidが「強調」のdo。(時にdo, does, didになる為、代表でdoと)なら。「強調」に使われます。
また一番普通の「強調」ならvery「とても」
You are very beautiful.”
「あなたはとても美しい」
very は「強調」
これらは普通「強調」だけで済まされますが、私何だか引っかかって…「強調」の本質を知ろうと、洋書を一冊読んでしまいましたw
<言語の起源はコミュニケーションじゃない?>
ここで少しマニアックになりますが、私が読んだ本は、ある言語起源の説とセットで強調が説明されていたのです。その言語起源の説がちょっと変わっていまして…
普通、言語ってコミュニケーションの為…って思いますよね。でも、
言語学者の井筒俊彦氏は、Language and Magicの中で「言語の起源はcommunicationではない」と主張しているようです。えっ?って思いませんか?私も読んでて驚きました。
communicationは言語の機能の一部。
言語の大本の機能は「呪文」
だったと言うのです。
以下 井筒氏の言葉で(私も少しまとめましたが)
ーーーーーーーーーーーーー
呪文とはオマジナイだ。おまじない…例えば「テルテル坊主」を考えよう。
人々はテルテル坊主で「雨を止めてくれ、降らせないで」と神に祈ったり、頼む。
これは神様の力に訴え、力を示してください、貸してくださいというお願い。
言語の本来の機能もまじない。つまり
言語とは神等の超自然的な力に訴え借りる手段として生まれたと考えられる。
例えば命令文”Come in!”(中に入れ)。
これは今は相手へ「命令」を伝える文として説明される。
しかし元々はある状況を話者が言葉で直接(バーン!と)引き起こそうとする「お呪い」として生まれたのではないか。
「さあ、中へ入る(あなたがそうするよう私は神にお願いする)」のように。….(中略)….
そして言語の色々な強調表現は(神よ)とか(神に誓って)という呪い意識の名残りではないか…..。
言語の色々な強調表現に(神よ)とか(神に誓って)という呪い意識が今も残っている…大昔言語を発生させた呪いの意識の痕跡が「強調」だというのです。
で、それで説明がつくのか、「強調」を(神よ)や(神に誓って)と言い換えて意味が通るかどうか、少し例に当りました。
◯強調のdo(上で述べました)
“You didn’t go to the dentist?”
「お前歯医者に行かなかったな」
“I did go!”
「神様に誓うけど、行ったよ。」
→良さそう。
〇not at all (全く~でない)という否定の強調
“I don’t know it.”
「私はそれを知らない。」
強調
“I don`t know it at all.”
「私は神に誓って全然それを知らなかった。」
→これも良さそう。
〇very (とても)ごく普通の強調表現。
“She is beautiful.”
「彼女は美しい。」
強調
“She is very beautiful. ”
「彼女は神に誓って本当に(→とても)美しい。」
→良さそうです。
very「とても」の語源は「本当に」だそう。
つまり「神に誓って本当」これも井筒氏の説明と矛盾しません。
〇身分証明Identifyのiden
iden「それ自身」=「(神様に誓って、神様ご覧あれ)彼本人」という意味。
だからIDとか言う時、(神に誓ってもいいけど)オレ自身だよとか、(神様みてくださいよ、本人だよ)と神様を証人にしてることになる….→良さそうです。
結局、「強調」とは
神に誓って(I swear by God that….):という、言語起源に遡る意識の名残の表現
これって分かりやすい説明の気がするのですが…
今回は言語の起源についての一説から、「強調」のホントの意味をお話しました。
読んでいただき有難うございます。あなたも引き続き楽しく英語を学べるといいですね。
See you next time,
Jiro
強調構文も「神に誓って」で説明できる?
まず念の為(下線部を強調する)強調構文の書き換えをまとめる。
“Jane visited Paris.”
ジェーンはパリを訪問した。
下線部を強調
下線部をit was < > thatで挟み、残りはthatの後に。
→ “It was Jane that visited Paris.”
パリを訪問したのはジェーン。神に誓って他の人じゃない。
同様にParisを強調するなら
“It was Paris that Jane visited.”
「ジェーンが訪問したのはパリだ。神に誓うが他の都市じゃない。」
こちらも「神に誓って」と言い換えても意味が通って良さそうでは?
◼️追記2:
英語版:Language and magic: the magical function of speech
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日本語版:言語と呪術
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私立学校に英語教師として勤務中、40代半ばに差し掛かったころ、荒れたクラスを立て直す策として、生徒に公言して英検1級に挑戦することを思い立つ。同様の挑戦を繰り返し、退職までに英検一級(検定連合会長賞)、TOEIC満点、国連英検SA級、フランス語一級、スペイン語一級(文科大臣賞)、ドイツ語一級、放送大学大学院修士号などの成果を得る。
アメリカで生徒への対応法を学ぶ為に研修(地銀の助成金)。最新の心理学に触れた。4都県での全発表、勤務校での教員への研修を英語で行う。現在も特別選抜クラスの授業を全て英語で行っている。「どうやって単語を覚えればいいですか?」という良くある質問に答える為、印欧祖語からの派生に基づく「生徒には見せたくない語源英単語集」を執筆中。完成間近。常日頃洋書の読破で様々な思考にふれているが、そうして得た発想の一つを生かして書いた論文がコロナ対策論文として最近入賞。賞品の牛肉に舌鼓をうっている。元英検面接委員