こんにちは
NYのKayoです。
「お涙ちょうだい」とひとことで言っても、日本とアメリカでは、その泣きどころがちょっと違うようです。
私が思うに、日本人の胸がじんわり熱くなるのは、「コツコツと努力を積み重ね、報われない時間を耐え抜いて、やっと細い淡い光が見え始める……」
そんな物語ではないでしょうか。
いわば、「我慢の先にあるご褒美」とでも言うような。
一方でアメリカは、ちょっとニュアンスが違う気がします。
こちらが感動の波が押し寄せている最中に、「で、結局勝ったの? 負けたの? どっち!?(早く結果、結果!)」とせっつかれるような感じ(笑)。
「がんばる姿」そのものが尊い日本
日本の社会は、昔から「我慢」や「継続」、そして「集団の中での役割」を重んじてきました。
だから物語の中でも、努力している姿そのものに価値があります。
たとえば、昭和の伝説的ドラマ「おしん」。
彼女が冷たい川で洗濯をしたり、理不尽な苦境にじっと耐え忍ぶ姿に、当時の日本中が涙しました。
また、1年かけて一人の生涯を描く「大河ドラマ」もそう。主人公が長い下積み時代を経て、晩年にようやく花開くまでの長いプロセスに、私たちは自分を投影して深く感動するのかも。
たとえ結果が出る前でも、その健気な姿だけで「もう十分立派だよ……」と泣けてしまう。私たちは「結果」よりも「過程の美しさ」に恋をしているのかもしれません。
努力の先にある変化を求めるアメリカ
それに対してアメリカでは、努力はもちろん大切ですが、それはあくまで、何かを成し遂げ、人生を劇的に変えるための「手段」として描かれます。
例えば、ボクシング映画の金字塔「ロッキー」。
1作目で彼は試合に負けますが、無名のボクサーが最強の王者に最後まで立ち向かい、自分の価値を証明しました。
彼にとっての結果は、試合の勝ち負けではなく、自分を変えたこと。負けたのに最高に爽快なのは、そこに、「やり遂げた!」という明確な答えがあるからです。
つまり、アメリカでは「努力したこと」そのものよりも、その努力によって何を得たのか、どう変わったのか、という部分に強く心を動かされるのでしょう。
「こんなに頑張ったのに、ダメでした」では、彼らには少し物足りない。「それでどう変わったの?」と、その先の変化、ハッピーエンドを求めるのが、アメリカ流の、感動のパッケージみたいです。
「肩を抱く」日本と、「背中を叩く」アメリカ
ここが面白いところで、日米どちらも「努力の物語」は大好きなんですが、味わい方が違うんですね。
日本では「よく耐えたね、がんばったね」と、隣で優しく寄り添い、肩を抱くような感動。
アメリカでは「さあ最高の結果だ、次へ行こうぜ!」と、背中をバンッ!と景気よく叩くような感動。(笑)
日本のドラマを見ていると「まだこの試練続くの……」と悶々することもありますし、アメリカの作品だと「そんなにトントン拍子に成功しちゃうの!?」と爽快すぎる展開に驚くこともあり。
満塁ホームランが大好きなアメリカです。もちろん日本人だって満塁ホームランは大好き。でも、その一打そのものよりも、そこへ至るまでの努力や苦労に心を動かされることが多いような気がします。
一方アメリカでは、その一打で流れが変わり、人生が変わるような劇的な瞬間に、大きな拍手が送られるのでしょうか。
これこそが文化の違いなのかもしれません。
最近はNetflixなどで、日本の「静かな努力」を描いた作品も海外で人気です。世界がグローバルになるって、お互いの「涙のツボ」をシェアし合えることなのかもしれませんね。
さて、今日はどちらのタイプの映画を観て、デトックスしましょうか?
それではまた次回♫
Kayo
平木かよ / Kayo Hiraki
ニューヨーク在住 2017年より、世界屈指の米国グラミー賞の投票権を持つ。同じく米国スタインウェイ・ピアノ公認アーティスト。現在、グリニッジ・ビレッジのジャズの老舗「Arturo’s」のハウス・ピアニストとして、週に5日、自己のトリオで演奏活動を続けて26年目。ニューヨーカーに、スイングの楽しさを届けている。ベースの巨匠、ロン・カーターとのトリオで、ブルーノート・NYへも出演。JALの国際線機内誌でも、海外で活躍する日本人として大きく取り上げられた。また、舞台「ヴィラ・グランデ青山」では山田優がジャズシンガーに扮するシーンでの、ミスティーのピアノ伴奏。カナダ・トロント・リールハート国際映画祭でブロンズメダルを受賞した映画「Birth Day」への挿入曲提供と共に、ピアニスト役で出演。フランス・パリ日本文化会館での館長招聘コンサートや、台湾にて、最大規模を誇る、台中ジャズフェスティバルへの出場など、世界を股にかけるスイング感あふれる彼女のピアノとボーカルには、定評がある。定期的に、くにたち音楽大学ジャズ専修で講義を持つ。

